552 横須賀港 韓国練習艦隊 AOE58 TaeCheong FF952 Seoul 入港、見学

552 横須賀港 観測記 平成10年12月21日 月曜 晴れ 9:00-12:15

今日は、韓国の練習艦隊が、横須賀へ寄港するので出動。7:49西小山⇒7:58田園調布⇒日吉・急行⇒8:25横浜・特急⇒8:54?汐入。さっそく、臨海公園へゆくが・・・。朝鮮総連の反対デモで入れなかったらどうしようとか心配していたら・・・誰もいない。警察さえいない。今度は逆に、潜水艇事件の関係で本国直行にでもなっていたら・・・と心配したが、やがて「全学連?」かなんかの旗を掲げた集団が10名弱登場。ゴミ拾いをしつつ集まっていて、かつての学生運動を知る者としては隔世の感を禁じ得ない。ホストシップが出船で、しかも外側の桟橋に着いているので、ちと迷ったが、まだ間がありそうなので、移動。今回は、事前に「韓国大使館」「大韓民国民団」「横須賀地方総監部広報」等へ打診をしていたので、何とか桟橋まで。当初、総監部前のあたりからと思っていたが、内側の桟橋へ入るので、桟橋の突端へ。すでに艦船ギャラリーは5名ほど。一般の報道は、10:00を目標に登場。9:20?沖に「AOE58 TaeCheong」の姿が見えている。やがて民間のタグ2隻に伴われ、吉倉桟橋沖で時計回り回頭、後進で着岸。やけに岸壁に寄ってきて、右舷中央を岸壁にゴリゴリ。音は大きくはないが、振動が若干。つづいて「FF952 Seoul」も進入。吉倉桟橋沖で、自力で旋回、回頭。後進してくるが、北風が強い為か、どんどん流されてゆく。やがてタグが張り付いて、支援するが、一度下がって、また出してなど、手際が良くない。民間のタグは、基地の桟橋は、なれていない為だろうか。10:00すぎ、歓迎側と韓国の乗員が整列。10:20から歓迎式典。今回は、両国挨拶、花束贈呈程度で、東京で行われた韓国民族衣装の華やかな舞いは見られなかった。途中、放送機器の障害で、10分ほど中断し関係者は大変だった。特に、韓国乗員はひなたの整列だが、その他はホストシップの日陰で、別けても花束贈呈の女性陣は凍えていた (韓国側は途中コートをかけて回っていたが、日本の方はそのまんまで気の毒だった) 。花束贈呈は、一人づつ贈呈・記念写真で「ニッ」ではなく、横須賀市と民団が各1列に並んでいっせいに「パッ」で終わってしまった。10:55式典終了、記者会見で「AOE58 TaeCheong」艦内へ。前回同様の艦内ルームにディスプレイされていて、ここで韓国練習艦隊司令官の記者会見。気さくに全員に握手してくれた。司令官は3度目の来日らしい。今回の練習艦隊は、東南アジア歴訪の途次の寄港らしい。「日本人は同じ顔立ちなので帰ってきたという気分になる」と話していた。その後、ディスプレイ(陸海空の最新戦力の模型や産業文化の展示)を見てパンフレットをゲットし、「FF952 Seoul」へ。レセプションとの事で、見学は後日に回し、退艦。横須賀地方総監部広報へ挨拶して11:50?退場。そんなに寒くないので、臨海公園でお弁当。12:36汐入・特急⇒13:35大門にて事務所へ。
フィルムは、当初、10枚20枚で終わるつもりだったが、何時の間にか4本終わっていた。
尚、今回も「AOE58 TaeCheong」が旗艦である。「ちょうちょトンボも虫ならば、輜重輸卒も兵の内」と後方を馬鹿にしたのは旧日本軍で(正面で命を張ることを称える意味はあったが、近代戦では正面も後方も軍民さえも無関係で)合理的な価値観が物を言う。
韓国海軍は近代化が進み、大型の艦艇も増えている。補給艦は本艦が4隻目で、相当の外用能力を備えている。元来、朝鮮半島周辺が対象海域であった物が、韓国海運界をフォロー可能なシーレーン防衛も念頭においているのだろうか。ふと、矛先が狂った場合、きわめて重大な脅威ではある。
尚、ソウル(Seoul)を「京城」と表記して「ソウル」と読むのは、日韓併合による統治下の日本政府の表記であり、大韓民国においては、用いていないので、本欄においても、便宜上を含めて利用しない事といたしました。


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新規作成日:1998年12月21日/最終更新日:1998年12月26日