869 横浜港 IHI横浜 DD112まきなみ進水式
869 IHI横浜 観測記 平成14年8月8日 木曜 快晴 14:20〜15:30
- フェリーゆうかり IHI横浜第三工場第一突堤北側にて工事中
- DD112 まきなみ IHI横浜第三工場建造船渠より進水
今日は、IHI横浜第三工場で、海上自衛隊の改むらさめ型(4600t)である「たかなみ」型護衛艦2241番艦の進水式が行われるので出動。12:15西小山⇒12:28武蔵小杉・特急⇒12:40?/12:52横浜⇒新杉田、徒歩で13:15正門。そしてマリンクラブへ。13:30〜14:10が受付時間で、14:10車で構内を通って14:20?式場へ。ここの建造ドックは、長さ320mの大型ドックで、開設当初は、超大型タンカーの建造を前提としていたものだ。従来は、前後からくまなく撮影するところなのだが、今回は撮影場所も実際の環境もかなり制約されているので、護衛艦2241番艦の写真を正面前後から写して待機位置へ。通常なら式台は艦首正面なのだが、今回は船渠が大型で特殊なため、西岸(左舷艦首)に式台が設けられていて、シャンパンも薬玉も、艦首左舷に用意された。今回は、IHI横浜第三工場最初の護衛艦の船渠進水と言う特殊性からか、報道も多く来ていた。今年は、海上自衛隊創設50周年の記念となる年であるが、本艦は護衛艦建造100隻目の記念すべき艦でもある。
15:25車で14:34磯子駅まで送っていただき、15:35磯子⇒16:16品川にて撤収。
「DD112まきなみ」の進水式の様子は次の通り。
15:00?中谷元防衛庁長官到着で式は始まり、国家奏楽、15:04防衛庁長官による命名式、進水用意発令、陸上要員準備、船上要員準備。5:06支綱切断、シャンパンが割れ、軍艦マーチ演奏裏に、船体はゆっくりタグにより引き出され、薬玉が割れ、15:07花火、祝賀汽笛、15:09祝賀放水、そして船渠外の方へ曳かれていった。尚、本日は船渠外まで出したかは不明。15:12防衛庁長官退場。
中谷元防衛庁長官、古庄海上幕僚副長、新貝契約本部長、MU津田社長、IHI伊藤社長、その他来賓が参列。
滑走進水なら、『「ただいまより進水作業を行う」「進水準備」「腹受盤木取り外し始め」盤木を取り外す作業「進水作業始め」安全確認発令「安全ピンを外せ」』支綱切断、シャンパンが割れ、船体はゆっくり、そして物凄い轟音と共に加速され滑走、タグの祝賀汽笛の中、進水。』となるのだが、船渠進水は、船体は既に浮かんでおり、感激もかなり割り引かれる。
艦名だが、本艦は「まきなみ」となった。「あめ」の名前は、9隻ものシリーズの名前としては、かなり苦労したようだが、「なみ」なら充分な隻数に対応できるだろう。
IHI石川島播磨重工業東京第一工場の歴史は、嘉永6年(1853)石川島造船所創業に始まる。この地は今の中央区佃で、現在の工場は、昭和14年(1939)に発足している。その後、石川島重工と社名変更し、昭和35年(1960)に播磨造船所と合併、IHI石川島播磨重工業として今日に至っている。
昭和31年(1961)初代「あけぼの」がこの工場で建造される最初の護衛艦(当時 警備艦)で、奇しくも2代目が、最後の艦となった。
建造船舶は、防衛庁向け艦艇26隻、海上保安庁巡視船8隻、気象庁9隻、国土交通省(運輸省)15隻、その他客船、貨物船など634隻の、総数692隻に上った。
IHI石川島播磨重工業横浜第三工場は、1964年、IHI石川島播磨重工業横浜第ニ工場として発足しており、東京第一工場の長い伝統、高い技術力、豊富な経験と人材を受け継ぎ、旧横浜工場の設備を一新し、2001年4月に新鋭工場として生まれ変わっている。
新規作成日:2002年8月8日/最終更新日:2002年10月21日