974 久里浜港 2003久里浜ペリー祭
974 久里浜港 観測記 平成15年7月12日 土曜 曇り/晴れ 10:00-17:00
今日は、久里浜のペリー祭へ。例年、1953.7.14のペリー久里浜上陸を記念して行われているが、見るのははじめてだ。8:29西小山⇒白金高輪⇒8:50三田・快速特急⇒9:51京急久里浜。バスに乗ろうかとも思ったが、時間もあるので徒歩で。駅前商店街では、出店が並んでいる。と、いくつかのイベントは、ペリー公園ではなく、ここのイベントステージで行なわれるようだ。さっそく布陣。11:00ステージ開幕、11:10-11:30ペリー上陸再現・親書受渡し。11:30-11:35踊り。12:00-12:40「爆竜戦隊アバレンジャー」ショー、12:40-サイン色紙販売。13:00-14:00米海軍第七艦隊音楽隊演奏は、準備に時間がかかり、13:30からと。ペリー公園へ移動13:39。14:00-14:30水師提督ペリー上陸記念式典。日米代表の式典そのもので、米海軍指揮官の写真を揃えるのみに終った。16:00-17:00日米親善ペリーパレード。ペリー公園前から駅前までの行列で、布陣位地に悩むところだが、スタート位置でそこそこ撮れそうなので布陣。が、米海軍第七艦隊音楽隊が抜けていたりと…。で、途中から陣地変更するが、あまり追い付かなかった。17:13?久里浜・快速特急⇒三田⇒西小山にて撤収。
・ペリー記念館 (046-834-7531) 横須賀市久里浜7−14
\0 9:00-16:30 月・祝日の翌日休み 久里浜港ペリー公園の中
さて、ちと気になる一面が有った。
祝辞には、アメリカ大使と、日本の外務大臣が招かれていた。実際は両者代理の出席である。多忙と言う理由であったが、まあ、地方の行事でも有りいいだろう。が、あくまで名義人は、アメリカ大使と、日本の外務大臣である。アメリカ大使の代理は、最初日本語で、そして英語で祝辞を述べた。日本の外務大臣の代理は、北米課長だかなんだかだったが、川口大臣名の祝辞を読み上げた。そのなかで、横須賀市長他の日本側の名前が色々読み上げられたが、アメリカ側の名前は、その他を含めて一言もない。確かに久里浜ペリー祭は地方の行事だ。が、150年前の日米外交の第一歩でもある。そして、両国の外交の長が招かれているのである。ただの町おこしとでも考えているのであろうか。川口大臣本人が書いたとも思えないが、大臣名で読み上げられるのであるから、外務省としての国際感覚上の責任は大きかろう。そして、かりに記載が漏れていたとしても、ただ読み上げるだけなら小学生でもできる。代理と言えども課長かなんかなら、現場で一言「アメリカ側参列者のみなさま」くらい付け加えられないものだろうか。そもそも、この日本の代理は、アメリカ側の席の顔を向けることもなかった。
日米親善ペリーパレード 行進順序 参加約650名
- 広報車(久里浜行政セン夕ー)
- パ卜力ー
- 横断幕(ボーイス力ウ卜)
- 日米国旗(自衛隊、米海軍)
- 先触れ隊(仮 自衛隊)
- 奉行行進(仮 VlP)
- 横須賀開国甲冑隊
- 上陸再現グル−プ
- 海上自働隊下総航空基地カラーガード隊
- 海上自衛隊横須賀音楽隊
- オーブンカーNO.1(横須賀市長)
- オーブンカーNO.2(アメリカ大使代理)
- オーブンカーNO.3(横須賀市議会議長、商工会会頭)
- 米国第7艦隊音楽隊
- PLMBA神奈川第1ブロック
- オーブンカーNO.4(横須賀地方総監)
- オーブンカーNO.5(在日米海軍司令官)
- オープン力ーNO.6(久里浜駐屯地司令)
- 陸上自衛隊第1音楽隊
- オーブン力ーNO.7(米海軍横須賀基地司令官)
- オーブン力ーNO.8(下田市長、下田市議会議長)
- オーブンカーNO.9(ペリー、横須賀観光協会会長、久里浜地区連合町内会会頭)
- オーブンカーNO.10(戸田伊豆頭、井戸石見守、香山栄左衛門)
- ヨコス力・ファイアー・ドリーム
- 縁ヶ丘女子高等学校バ卜ン部
- 富士保青圏
- 汐見台杉の子音楽部
- 広報車(浦賀行政センター)
- 「花の国」黒船よさこい
- 大八車(観光課)
- 開国Dancin’ モデルチーム “D-Splash”
- 広報車(衣笠行政センタ一)
- 藤流藤昌会
- 横須賀葵連
- 広報車(北下浦行政センター)
- 横須賀民謡普及会
- パ卜力ー
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新規作成日:2003年7月12日/最終更新日:2003年7月13日