Usa 92年サンジェゴ・ロングビーチ UsaE

これは、92年に会社の研修旅行でアメリカへいったときの報告書です。
LANWORDと言う、昔のワープロの文書でしたが、変換ツールが見つかったので、移植してみました。丁度ロス暴動にも遭遇したり、翌日そのロスへ一人で行ったり、今思えば、冒険でした。以下、基本的に原文です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
’92年度 海外研修報告


はじめに

 研修や、その報告と言うと、本来研修内容に対する堅苦しい報告書であり、又そうあるべきである。しかしながら、今回の海外研修は、海外の体験自体が研修の目的の一つでもあり、色々な意味で「日本」から離れる事も意義のあることと考え、残留部隊には申し訳ない次第ではあるが、現地の行動もそれなりのものとした。従って、LasVegas(ラスベガス) やGrandCanyon(グランドキャニオン)等の定例コースでないようなものに。また、規定外の時間はは出来るだけ非団体行動を中心とした、独自性の強い行動をとる事にした。結局、日本人と一緒にいると、安心ではあるが、「海外」を十分味わう為には「外国語」である必要がある。私の場合、言葉には相当支障があるが、冒険も必要である。
従って、この報告も、従来の形式ではなく、見聞き体験した事を出来るだけ多く伝えるべく務めた。

 行き先であるが、例年西海岸中心と聞いていて、SanDiego(サンディエゴ)の話も出てはいたが、会社の研修でもあり、全く意識をしていなかった。しかし、今回の自分の案内等を見ると、港迄約1.5km。心穏やかに納まる訳が無い。SanDiego(サンディエゴ)と言えば、U.S.Navy(合衆国海軍) 屈指の軍港であり、太平洋艦隊の約半数はここにいる。日本でいうと横須賀のようなものである。考えて見れば、パールハーバーも軍港だが、Hawaii(ハワイ) で有名なのはWaikiki(ワイキキ) の方であった。
好みの違いは、情報解釈も、大きく変えてしまう。

 にわかじたての情報を集めて見ると、LosAngeles(ロサンゼルス)郊外のLongBeach(ロングビーチ) には、かつての大西洋航路の超大型客船QueenMary(クイーンメリー)号がいる。そして、LongBeach(ロングビーチ) も軍港でもある。SanDiego(サンディエゴ)から、2〜3時間程度。自由行動日の計画はここら辺になってゆく

 語学力についてだが、元々私の英語はゼロである。思えば、中学1年の夏に英語の先生が椎間板ヘルニアでリタイアして以来、成績の向上は無かった。もし、英語が「フツウ」だったなら、今ごろは海上自衛隊の護衛艦の艦長を目指していたか、全日空のパイロットになっていた事だろう。当時の防衛大学は東大に次いで難関であった。以来平凡な20年が経過している訳だが・・・。それだけ、英語は、我が人生の足を引っ張っていた。が、去年、異変が起きた。ソ連崩壊の比ではない。

船が好きで、あちこち資料を集めていると、当然外国の本の素晴らしさが浮かび上がってくる。始めは写真や図、データを見るだけで満足していたが、そのうち内容を知りたくなってくる。
そして、更なる情報を要求するには、英文の手紙を書かなければならない。英語は必要という事になって、NHKのラジオ講座を聞き始めた。20年前の敗因は、6:00の放送を眠い目を擦りながら聞いていたこと。現代はタイマー録音が出来る。やると決めたら、徹底的にやるのが私のモットーである。基礎英語・続基礎英語・上級基礎英語を毎日90分テープに往復録音して、一日に何度も聞いた、BGM代わりに。土日を含めて一日平均二時間程は聞いた。もっとも殆ど聞き流している状態ではあったが。毎日二時間だと、年間700時間を越える。高校の授業は夏休み等もあるので、年間200時間程度であるから、3.5倍である。このくらいやってくると、結構分かってくるもので、(これで分からなければただの馬鹿かも知れない)ついでに受けた英検3級にも合格。(マークシートには強い!)なんで英語がキライだったのか、とさえ思うようになった。と言っても、英語力として充分役にたつものが備わったわけでは決してないが、多少のものはあると思う。 更に余談だが、このおかげで、ロシア人の友達が出来た。更に、17歳のロシア人のGALから、バースデーカードも貰った。今年はロシア語のラジオ講座にも手を出している。昔の私を知る人なら、世の中の異変位に思う事だろう。私が外国語の勉強等、ソ連崩壊より有り得ない事である。そんな訳で、私の場合1年の準備があった訳で、(普通の人なら1ケ月でも十分かも知れないが)逆を言うと、日頃から事に備えて置かなければならないと思う。

 同行したのは、ノ*社(大*義氏、星*晃氏、武*潔氏、掛*子さん)、株*グ(赤*氏、佐*子さん)札*社(辻*秋氏、木*一氏、石*准氏)、そして会社(太*明氏、宗*樹氏、阿*史氏、そして私)合計13名。

24.Apr.92 Fri

 いよいよ出発である。航空券とかを受け取り、説明を受け荷物を預ける。このときパスポートを荷物として預けてしまった人がいたが、無事回収できて13名全員出発出来た。  予定ではUA852便は17:50 出発のはずであったが、表示は17:35 になっている。にもかかわらず、動いたのは18:10 だった。18:35 我々の乗った飛行機は空へ舞った。今回の搭乗機は標準的なBoeing747であり、−400とかのではない。私は飛行機が好きである。ただ、エンジンが2つしかないものや、尾翼付近にくっついているものは避けたいが。煙と何とかは高い所へ昇りたがると言うが・・・、別に何と思われても良い。テイクオフ時の加速感は最高である。私の車ではとてもこうは行かない。飛行機の醍醐味は何と言っても離陸時の加速、旋回時の傾斜、着陸時の降下感。ジェットコースターでもこうは行かない。
 UA(ユナイテッド)の機体であるが、日本語通訳が一人乗っている。また、この便の客室乗務員(スチュワーデスさん)であるが、日本のそれとは大きく異なる。「万が一墜落したとしても彼女等が無事機体を支えてくれる」と思える方々ばかりであった。ハイジャック等も彼女等が鎮圧してくれると言う安心感すら生まれる。軍用機に乗っているようでもあった。機内食の夕食はステーキ。時刻をLosAngeles(ロサンゼルス)に合わせてビデオの上映とかを見る。 日付変更線を越えて昨日に戻ったが・・・、地球を東西方向にグルグル回り続けると、日付がどんどん戻ったり進んだりするのだろうか。ンな馬鹿な事はない。と言うのは、日付変更線に於いて日付をずらすのは、結果的な話であって、手順から行くと、東西方向に動くに従い、時間をずらしながら行くのであって、結果的にグリニッジ標準線から180°の線を通過するところで、日付の補正をするのである。だから、一昨日に戻ったり、あさって迄進む事は無い。
 出来るだけ寝るように務め、時差ぼけ対策をする。合計でも三時間程度しか眠れなかったが、時差調整はほぼ成功。
 SanFrancisco(サンフランシスコ)の着陸の空撮も成功。GoldenGateBlidge(金門橋)とか、AlcatrazIsland(アルカトラス島) も見えた。西海岸では、今サマータイムである。普通なら、日本との時差−17時間であるから、日本の24時はここでは7時なのだが、サマータイムによって1時間前シフトさせるので、8時になっている。が、飛行機で何時間、何千キロも移動してきた私にとって、時差やサマータイム等どうでも良く、今が何時と言われれば「あーそーですか」と言うしかない。
 このSanFrancisco(サンフランシスコ)で、入国手続きを済ませる。荷物のスーツケースを破損された人がいたが、北海道組は御難続きのようだ。約二時間の連絡でSanDiego(サンディエゴ)行きの飛行機、UA1755便に乗り換える。乗ったのはBoeing737であった。隣の乗客は、佐世保にいるUnited States of America(アメリカ合衆国) 政府関係の人。13:45 すぎ出発。SanDiego(サンディエゴ)着陸時、軍港が手に取るように見えた。心が弾んでくる。
 15:15 ころ着陸。出迎えはマサさんとミツコさん(とこの時点からしばらくは誰もが思っていたが)ではなく、マサさんとリョウコさんであった。空港からホテルへの車の中からも、港が見える。
 ホテルへチェックイン。ルーム#434。割に広い部屋である。ルームメイトは阿部君。
17:00 再び全員で集合し市内へサンポに出る。港の方へと言うのでワクワク!
 横断歩道の話であるが、ここでは歩道そのもののラインは殆ど引いていない。歩行者の信号は、青信号は日本と同じ歩行者マークだが、赤は人の手形が止まれを示している。黄色はこの赤の手形の点滅である。又、青は数秒で、すぐ黄色になる、がこの黄色は結構長く、ゆっくり渡れる。
 SeaportVillage(シーポートビレッジ) へ行くが、眼前には航空母艦三隻。CV61Ranger(レンジャー) 、CV41MidWay(ミッドウェー)、CV63KittyKawk(キティホーク) 。折しもLHA1タラワも入港してくる。感心したのは、艦名と艦番号を現地の人が割合知っている事。日本では、海上自衛隊と海上保安庁の区別がつかなかったり、存在すら知らない人が多いのに。全員で夕食を取っている間にも、窓越しに巡洋艦やら、Cutter(巡視船) やらの入出港がみえる。この感激は他の人には分かるまい!。ステーキの厚さは2cmくらいとでかい。さすがUnited States of America(アメリカ合衆国) 。だが、肉さえあればと言う感じで、たれに凝る日本とは感じが違う。ご飯はパサパサで、ロシア船で食べたお米と似ている。スーパーに立ち寄り、SanDiego(サンディエゴ)の地図を買う。普通ならガイドさんに貰った地図でも十分だが、正確な地形と地名を把握する為には必需品である。
 ここの州税は7.75%、Hawaii(ハワイ) は4%、日本の消費税は3%だから、かなり高い。だから逆に国民全てが納税者意識を持っていて、政府もその還元を念頭に置いているのではないだろうか。これが本来の民主主義の在り方だと思う。日本の場合は「わからない様にかすめ取る」如くである。
今日の所は、明日の行動に備えて早めに寝る。

25.Apr.92 Sat

 朝は4:00位から眼が覚めてしまう。6:00に起きて、阿部君と港の方へ散歩に出掛ける。6:30にはもう明るい。フェリーバースからSeaportVillage(シーポートビレッジ) にかけて歩く。駆逐艦とか中型Cutter(巡視船) とか給油艦とか触れる距離である。客船の入港もあった。

 一度ホテルに戻り、朝食後、ミニバスで市内巡りへ出掛ける。ガイドはリョウコさん。私のいでたちであるが、「日本人観光客」を上回るもので、かなりひんしゅくを買った。と言うのも、港街と言うことで、いつでも船を写せる体制=艦船作戦行動時の姿であり、カメラをぶら下げたあげく、今回は8_ビデオまで持っている。こののち、この姿は基本的に変わらない。
 LaJolla(ラホーヤ) 、PointLoma(ロマ岬) 、海岸や浜辺が美しい。PointLoma(ロマ岬) には灯台があった。(この灯台は、記念物的存在のものである)ここから眼下に潜水艦基地が見える。
 続いて、OldTown(オールドタウン)。ここでMexico(メキシコ)料理を食べる。SanDiego(サンディエゴ)が国境に近いからMexico(メキシコ)風と言うのは実は正しくなく、元々、スペイン領→Mexico(メキシコ)独立→United States of America(アメリカ合衆国) 購入、と言う変遷を辿っているのだから、Mexico(メキシコ)の面影を残すのは当然である。ウエイトレスのお嬢さんが、イタリアから来た歌手のロザンナさんに似ている人で結構愛想が良い。
 BalboaPark(バルボア公園) 。AeroSpaceMuseum(航空宇宙博物館) に実物の飛行機がポールに支えられて飛んでいるかの様にディスプレイされている。
 アメリカズカップ(America's Cup) (ヨットレースである)のキャンプ。U.S.CoastGuard(合衆国沿岸警備隊) のコーナーで資料を貰う。 時間があるからとの事で、Coronado(コロナド)橋を渡り、Coronado(コロナド)地区へ。Coronado(コロナド)橋のうえからは相当数の艦艇が眼に入る。Coronado(コロナド)でも航空母艦の真下まで近づいてくれた。 ここのゲートの警備員が写真禁止のポーズ。しかし数歩下がれば警備員からは見えない! 。
 ミニバスはCoronado(コロナド)ビーチを走る。浜辺が美しいが私は反対側の海軍基地が気になってしまう。去年の報告では「見どころと言っても、これと言って目立ったものはない」との事だったが、私としては見どころばかりであった。

 ホテルに戻り、ビデオの電池を充電して、再び港へ。ちょうどウェーブピアサー型の湾内フェリーが出港しているところ。港をフラフラして、戻る。
 ホテル付近にいいお店が見つからず、ファーストフードで夕食を間に合わせるが、やたらでかいハンバーグとサラダなので十分。
 路上でパルメデックの救急車を見掛けたのでカメラを向けると、赤灯やらをにぎやかに点灯してくれた。この辺のノリはヤンキーそのものである。日本なら責任問題やらで、考えられない。(逆にパトカーが赤灯を回して交通ルールを守らず勝手に走り回る事はあるが・・・)

26.Apr.92 Sun

 自由行動日。今日も早起き。奇麗な真っ赤のSanDiegoTrolley(トロリー) (東急世田谷線のような路面電車である)で市内を一回りと思ったが、乗車したものの、駅名と現在位置、方向が把握出来ず、しかも途中で折り返し運転をされたので一時パニックになりかけた。郊外へ出てゆくとわからないが、市内循環なら¢50均一で、改札がないワンマンであり、車内のアナウンスは運転手がマイクでやってる。また、扉は自動開閉では無く、停車中に乗り降りしたい人が、ボタンを操作して開閉する。障害者料金が設定されている。結局市内半周したところで、港に向かう。今日もまた、別の客船がいる。

 朝食後、HarborExcursions(港内クルーズ) とAeroSpaceMuseum(航空宇宙博物館) とどちらに先に行こうかと迷ったが、結局ギリギリになって、HarborExcursions(港内クルーズ) に向かう。2時間クルーズに乗船。湾内を右側通行で一巡。先ずはMaritimeMuseum(海洋博物館) の帆船。続いて、U.S.CoastGuard(合衆国沿岸警備隊) の基地、ヨットハーバー。港の北側はヨットばかり。この辺で「左前方100mに鯨」との事で少々停泊するが変化無し。港の浮標識におっとせいが何匹ものっかっている。湾の入り口はPointLoma(ロマ岬) からも見えた潜水艦基地。この辺で反転し、Coronado(コロナド)の海軍航空基地には、F4,F18,やヘリコプター等がズラリ。ここでおなじみの航空母艦三隻に間近に対面。Coronado(コロナド)橋をくぐってからは東側の基地沿いを航行。造船所では、おびただしい数の艦船が工事をしている。最新鋭のAegis(イージス) 巡洋艦が浮きドックの上にのっかっていたり。最新鋭の高速戦闘支援艦が建造中だったり。ベルナップ級の巡洋艦のマストに白いカバーがかけられ工事していたり。春に東京の晴海で見学したU.S.CoastGuard(合衆国沿岸警備隊) のCutter(巡視船) Boutwellもいた。しかしあと少しと言うところで船は反転・・・。

 一度ホテルに戻り、AeroSpaceMuseum(航空宇宙博物館) に向かう。ホテルのフロントで路線バスの説明を受けたが、情報が古いようで、散々待たされたあげく、路線が違うとのこと。後でわかったことだが、歩いても30分程度であった、が、途中の渋滞もあり今回90分程度かけてしまった。先日も通ったBalboaPark(バルボア公園) 内のAeroSpaceMuseum(航空宇宙博物館) であるが、実物や実寸のレプリカ等60機余りに加えて、模型多数、更に各種のディスプレイがされていて最高である。中庭で宙に舞うF4はでかい。ショップには、各種の絵葉書がおいてあったが、キリがないので今回は見送る。上空を空港へ降りる飛行機が、ひっきりなしに飛ぶ。

 バスで戻り、再び港へ。Hawaii(ハワイ) のバスは¢60だったから¥90程度。こちらは$1.25だから¥180くらい。Hawaii(ハワイ) に比べると倍くらい高いが、日本の首都圏のバスと同じ位である。お札を使うとやたら高い気がするが、¥100札と同じレベルである。
 通貨の話であるが、お札は、$1,$5,$10,$20,$50,$100等があるが、$100等の高額紙幣は敬遠されている。ここは既にカード社会であり、偽札の心配や、盗難の危険もあり、高額紙幣は敬遠されているようだ。硬貨は¢1,¢5,¢10,¢25,¢50,$1があるが、¢50,$1はもう見ない。¢25は$1/4(当たり前だが)で、日本の感覚では半端だが、慣れると結構便利でもある。尚、ここら辺では、VISA,MC,AMEX等のカードが主流であり、Hawaii(ハワイ) と違い、JCBは殆ど使えない。
 港では、今回、MaritimeMuseum(海洋博物館) を見学する。ここは、1863年建造の帆船StarOfIndia(スターオブインディア) 、1898年建造のフェリーボートBerkeley(バークレイ) 、1904年建造のヨットMedea(メディア) の三隻を係留し、公開すると共に、各種展示品を船内に置いている。余談だが、この三隻は、ここに固定されている訳ではないので、しばし場所が変わっているようである。事前に見た地図と明らかに違う場所に現在ある。しかも、ヨットMedea(メディア) は、昨日は航海していたようで、不在だったし。
7:30くらい迄はまだ明るいが、今日はこんなもので引き上げる。

 帰る途中「ヨシノヤ」があったので、夕食を買って帰る。ここのカウンターのお嬢さんが結構可愛い。名前はマリアン。どこかで見たことがあるような気がしていたが、ナンノ(南野陽子)に似ている。

 いやー未だ2日目なのに、全日程を完了した如くである。充実した日々!。反面、暇潰しの為に持ってきた本等は、全くのお荷物である。

 ここで、SanDiego(サンディエゴ)港周辺の説明をしよう。この沿岸の構造は、SanDiego(サンディエゴ)湾が南北に長く伸びており、入り口は北西側のみである。そして、この入り口を守るようにPointLoma(ロマ岬) の岬が南へ伸びている。ポットを横から見た感じである。従って船は、太平洋から時計周りに北側を半周して入港する事になる。港湾は殆ど海軍の設備である。入り口から時計周りに湾の奥へ説明をして行こう。PointLoma(ロマ岬) 付近に潜水艦基地。電波兵器の研究所、艦載用三次元レーダーやらがある。続いて、海軍墓地。湾の北側は訓練センター、SanDiego(サンディエゴ)空港。隣にU.S.CoastGuard(合衆国沿岸警備隊) の基地。格納庫と巡視艇の桟橋がある。湾の東へ進んで、DownTown(ダウンタウン)の周辺。北から、MaritimeMuseum(海洋博物館) 。客船の桟橋。港内遊覧船のハーバー。海軍の補給センターと桟橋、SeaportVillage(シーポートビレッジ) 。隣は造船所。商船用の桟橋と倉庫。Coronado(コロナド)橋付近にも造船所。更に南にも大規模な造船所。この南は海軍の桟橋群。更に南は商工業港のようであるが今回確認出来なかった。次に、対岸に当たるCoronado(コロナド)地区。北には海軍航空基地のあるNorthIsland(ノースアイランド) 。この東岸は航空母艦の桟橋。長さ350mの航空母艦が三隻一列に並べるのだからすごい。南側は海兵隊の訓練場、戦闘車両やヘリコプターの張りぼてが並べてあり両用戦の訓練場のようである。大体このような感じである。尚、ヨットハーバーは随所に存在する。

27.Apr.92 Mon

 今日が海外研修の本命の日である。ガイドはミツコさんとタロウ君
このタロウ君、中国系だが、中国語を知らず「日本が豊かな国だから日本語を勉強して日本へ行くんだ」と言う青年。(まだ日本語には苦労しているようだ)
 8:00にミニバスで出て、先ずはU.S.D(SanDiego(サンディエゴ)大)。ここは、学費が年間200万もかかるおぼっちゃまお嬢様学校らしい。9:30から10分程度、学生用のマシンを見る。2校目は、UCSD(California(カリフォルニア) 大学SanDiego(サンディエゴ)校)。ここも同じような物だが、ウィルス対策に、毒味役のマシンがあった。
 続いて、KNOX社のオフィス。思っていた程大人数の所ではなかった。この辺のオフィスは、ビルのような感じでは無く、70m四方位の一階建てのビルが、あちこちに建っている集合オフィス街である。
 この辺りに、去年のグループの利用したホテルがあるらしいが、もし今回の宿泊先がここなら、港まで何十キロもあり、私の行動も相当違うものになったであろう。
 United States of America(アメリカ合衆国) では、日本の漢字プリンタの輸入に際して100%課税(即ち価格が2倍になる)される為、日本製品の輸入が少なく、ソフトで対応しようと言うことで、KNOX社はそのソフトを開発、販売している。「美漢JALM」がそれである。方式は、文字をイメージデータとして扱い、カナ漢字変換も「一太朗」の形式にしている。大変だったろうなと感心してしまう。
 フリーウェイ(FreeWay) は片側5車線で、壮快である。かたわらで草むしりをしている人がいるが、「交通違反の罰金を払えない人たちが、労働力で贖っている」との事。  昼はLaJolla(ラホーヤ) 。本屋で本を買うが、支払いに当てようとした東京銀行のトラベラーズチェックが使えない。「これはドルか」「見たことが無いが本物か」「VISAとかのはないのか」という対応で、住友銀行のを使う。トラベラーズチェックは或る意味では、他国の得体の知れない銀行が勝手に印刷している訳で、お店の側としても、本物かどうか困ると思うが、日本唯一の外国為替銀行たる東京銀行のものが通用しないとは、日本の金融も其の程度なのかも知れない。
 浜辺に降りて見るが、正に「California(カリフォルニア) の青い海!」である。
 昼食のトーストに付いてきたフライドポテト、お皿からこぼれんばかりの量である。
いよいよ最後は、SDSC(SanDiego(サンディエゴ)コンピュータセンタ)。マルチアレイ方式のクレイやnCUBEとか、最先端のマシンを使用している。画像処理も色々やっているそうで、映画の「アビス」の水の顔もここのマシンで作ったらしい。1秒50画面が1日当たりの生産能率のようである。

 ホテル帰着が16:00 前、千載一遇の好機なので、16:15 の最終のHarborExcursions(港内クルーズ)に急行する。1時間クルーズなので船は湾口迄は行かず、帆船StarOfIndia(スターオブインディア) の辺りで反転する。航空母艦もこの時間では逆光になるが、今日の目当ては南側の海軍基地である。昨日よりも多少南進したが、やはり途中で反転、軍の制限でもあるのだろうか。あっても当然だが。昨日に比べて何隻かいなくなっている。

 続いて、SanDiegoTrolley(トロリー) 一周の続きに挑戦。広大な車庫とかもあった。結構車両は揃えているようだ。
 Horton'sPlaza(ホートンプラザ)によってみたりして、「ヨシノヤ」によって、例のマリアンの写真を撮って来る。(ちなみに、実物の方がもっと可愛い!)

28.Apr.92 Tue

 多少早起きして、市内の建物を見て回る。刑務所が街中にある。
ホテル周辺は、よく考えると、殆ど白人を見掛けない。又、お金をせびる人も見掛けた。SanDiego(サンディエゴ)の中では、一番危ない地区らしい。が、別に襲われる程のものは無く、新宿西口地下街の夜中程度のものだろうと思う。要は、日本人から見て、体格の良い外人に対する恐怖感も相当含まれているのでは無いだろうか。
 それから、車椅子に乗った人も結構見掛ける。歩道とかも車椅子のままで動きやすくなっており、公共の交通機関(一部のバスも含む)も、車椅子の乗降設備が整っている。そういう面での実際の配慮は出来ているようだ。その点、見せ掛けのようなスポット的な日本の福祉とは根本的に違う。

 港へ行くと、客船が2隻入っている。1つは、ロイヤルカリビアンラインの小型クルーズ客船のバイキングセレナーデ。沖の方には駆逐艦が出航中。そして隣の桟橋から給油艦も出航していった。そして前方の航空母艦Ranger(レンジャー) も出航準備の様子。離岸の頃、軽騎兵?のマーチ。「出陣じゃー!」。三次元レーダーの走査で8_ビデオの画像が乱れる。上空にはヘリが舞い、哨戒中。折しも客船が1隻出航。航空母艦の方は65000tもの巨体を小さなタグボート2隻程度で引いているもんで、なかなか動かない。朝食のオーダーを阿部君に頼んでギリギリ迄頑張る事にする。結局9:30、回頭をやっと終え静々と出航して行った。走って戻って、朝食を済ませ団体行動に向かう。

 今日の日程はMexico(メキシコ)行きである。10:00 に出てTijuana(ティファナ)へ。ガイドはミツコさん。
フリーウェイ(FreeWay) を南下。周辺には密入国取り締まりの為、国境警備のパトカーが何台も待機。1時間もせずに国境である。ゲートもUnited States of America(アメリカ合衆国) 出国側は申告と書類のみ、それも代表者の処理で済む。国境付近には密入国待ちの人々。
 先ずはロザリタビーチへ。California(カリフォルニア) 半島の浜、九十九里浜の比ではない。昼の食事はロブスター、冷蔵庫が無いから、とれたての新鮮なものか、痛んでいるものしかないとの事。結構美味しい。価格は42000リラだが、$1:3600リラ、のレートなのでたいした事はない。約2年前に比べて50%程度のドル高リラ安のようだ。Mexico(メキシコ)風ではあるが、さほどにも思わなかった。メキシカンバンドの生演奏の迫力!。マルガリータも美味しい。
 続いてTijuana(ティファナ)。ショッピング街である。そんなに汚いとも思わないが、砂漠っぽい感じは受けた。噂どうり、やたら「ミルダケタダヨ」とか言ってまとわりついて来る。Tシャツ5枚$1から、ついには8枚$1とまで言ってまとわりついて来るので付き合うと、ただの呼び込みのネタのようで、実際にそのような商品は無く、別のものをやたらあっ旋して来るやからがいる。ある品物を1ヶ$20とかで売り付けて来たが、隣の店で¢99で売っているシロモノであった。
 帰りの国境は、パスポートを見せるだけで拍子抜け。Mexico(メキシコ)への入出国印もなく、履歴が残らないのが残念。去年の研修は、メインのフリーウェイ(FreeWay) で入国したので待ち時間がかかったようだが、今回は迂回したので、すぐ入国出来た。

 ホテル到着後、再び港へ。今日はConventionCenter(コンベンションセンター) の方へ行く。艦船の出入りは無かったが、隣が造船所であることがわかった。ChartHouse(チャートハウス=海図室) で夕食。30分程度も待たされたが、あとのサービスは極めて良い。ステーキ11〜12oz、350gくらいのが、厚さ4cm、平面が5×7cm位。中心に迄火が通る訳が無い。サラダも大盛りである。

29.Apr.92 Wed

 早起きして今日も港へ。朝方曇っていたがやがて晴れる。折しもCV41MidWay(ミッドウェー)が出航中。既に桟橋の前を通過していた後だったが。退役しているハズなので、最後の航海かもしれない。(後で録画したビデオを見てわかったのだが、タグがまとわりついたままだったので、自力の航海では無いかも知れない。)
更に別の客船が1隻入っていた。U.S.CoastGuard(合衆国沿岸警備隊) のブイテンダー(設標船)も入っているが、ATF(航洋曳船)とかがいなくなっている。

 8:00ミニバスでLosAngeles(ロサンゼルス)へ向けて出発。ガイドはマサさんと、ミツコさん。約2時間かかってSantaMonica(サンタモニカ) 。桜田淳子の歌のような気忙しさはない。ここも奇麗な浜辺である。続いて、UniversalStudio(ユニバーサルスタジオ) 。先ずトラムツアーで一巡。迫力あるセットのアトラクション。地下鉄の大地震、キングコング、を始め、日本ならミニュチュアで済ませる所であるが、こんなものを実寸で作るところがさすがアメリカ。洪水のアトラクションでは、水がかからないよう十分配慮はされているが、飛沫は多少はかかってしまう。スタジオガイドのお姉さんが一生懸命説明してくれているが、当然英語。「カメラの用意はいいかな?」位は分かったので、ラッキー!。あとは個別のアトラクション。マイアミバイス、コナン、西部劇のスタント。どれも爆発シーンがあって迫力満点である。あっと言う間の3時間。
 次は、FarmersMarket(ファーマーズマーケット)。ミツコさんの話では「運転手が勝手に来てしまった」と言っていたが、例年立ち寄っているようだし、一見の価値はあったと思う。
 この運転手さん、結構人なつっこく、また、自分自信も観光を楽しんでいる。かなりお腹の大きなひとだが、同行した赤沼さんをつかまえて、「親子だ」等といって打ちとけていた。Rodeo Dr.(ロデオドライブ)(有名ブティック街)、ここは運転手さんのお気に入りらしく何周もしていた。BeverlyHills(ビバリーヒルズ) (公園のような庭のある邸宅街)を通過し、Mann'sChineseTheater(チャイニーズシアター)へ。マリリンモンローの手形もしっかり見た!。
 最後はリトルトウキョウ。「東京」と言っているが何処となく中華街風なとこがあって、こういうのが、日本のイメージを正しく伝えていないとも思う。
 さて、食後、街へ出て見るが、折しもパトカーのサイレン。それも1台や2台ではなく、2〜30台のパトカーや白バイ。果てはヘリも2機。行き先は約1km先の官庁街。日本なら機動隊のバス2台程度で済む所だろうが、同じ人数を動員するのに、これほどの台数が必要になってしまうようだ。後でわかった事だが、LosAngeles(ロサンゼルス)暴動の始まりの瞬間であった。この日、我々がLosAngeles(ロサンゼルス)を出た後、道路閉鎖等も行われたとの事で、危機一髪というところであった。

30.Apr.92 Thu

 自由行動日。会社の他の三人はゴルフとの事だが、私はLongBeach(ロングビーチ) へ向かう。5:00モーニングコール。5:15にはホテルを出る。外は未だ真っ暗。往復ともどうやって行っても良いのだが、GreyhoundLines(グレイハウンド) もAmtrakもどちらも乗ってみたいので、片道づつ利用する事にした。GreyhoundLines(グレイハウンド) のターミナルで切符を買って5:53頃乗車。料金は$12.1 。乗客は10人もいない。定刻の6:00を少し過ぎて出発。運転手は制服の関係かルフトハンザのパイロット風!。ミニバスよりでかいだけあって快適だが、路面の状況は変わらない。アメリカのバスはホイールベースが長い。車体の殆ど両端にタイヤがある。その分乗り心地が良いわけだが、日本の道路ではとても走れない。なぜなら、曲がり角で交差点を塞ぎながら走る事になってしまうから。特に左折等出来ないのでは無いだろうか。途中何箇所か停車して、渋滞もあり、定刻より15分程度遅れてLongBeach(ロングビーチ) 到着。このバスは、日本のハイウェイバスの感覚であった。ここはLongBeach(ロングビーチ) DownTown(ダウンタウン)。詳しい地図を持っていないため、右も左もわからない。とりあえず、バスをつかまえる。ミニバスのようなもので、市内循環のようだった。¢25と安い。バスターミナルで、帰りのルート等を聞く。観光案内所を探すが、地図に書いてある所は広大な更地で何もない。そのまま歩いて公園へ。お目当てのQueenMary(クイーンメリー)が目の前に。いやー感激!。ここは対岸なので公園を海沿いに回り、クイーンズウェイブリッジを渡る。川崎汽船のコンテナ船にこの名前のがあったが、このようなローカルな橋とは思わなかった。橋の真ん中から写真をと思ったら、左車線と右車線の間は10cmを隔てて下は海、多少眼が眩む。QueenMary(クイーンメリー)のゲートに着いたのはほぼ11:00 。ここは客船QueenMary(クイーンメリー)、飛行艇SpruceGoose(スプルースグース) を実物公開すると共に、英国風の町並みを作っている。尚、政府補助が打ち切られるそうで、経営が怪しくなっていて、解体されるかも知れないとか。
 まず飛行艇SpruceGoose(スプルースグース) を見る。でかい。大きさそのものはBoeing747より大きいとか。エンジンはプロペラ8機。12:00 頃QueenMary(クイーンメリー)へ移る。シアターの次にエンジンやスクリュー。スクリューは船体装備のものを見れるようにしてある。外板のリベットやらが往年を偲ばせる。プロムナードデッキやら、船室やら、船橋やらを見て回る。とにかく大きく広い。プロムナードデッキ等、片舷分で中型巡視船の甲板の幅がある。
 長さ300m超のでかぶつをそのまま置いとけるUnited States of America(アメリカ合衆国) の広さには、改めて驚かされる。しかも、これが港の中では小さく見えるからさらに驚く。長さ100m程度の東京の宗谷や、150m程度の横浜の氷川丸の方が、日本では大きく感じてしまう程である。

 14:30 頃、少々早いと思ったが、公園沿いに回って戻る。バスターミナルで再び確認して帰路。帰りのコースは、市バス二本乗り継いでAnaheim(アナハイム)へ行き、そこから17:29 のAmtrakでSanDiego(サンディエゴ)ヘ。が、始めのバスで、運転手に頼んでおいたにも関わらず乗り換えの場所を通過して終点まで行ってしまった。ドライバーは「俺が悪かった、すまない、今度は大丈夫だから」と言って折り返す。が渋滞。バスターミナルから乗ったのは15:40 頃で、本当の区間は10分の距離なので、16:08 のバスに十分間に合うはずだったのに、乗り換え地点に戻れたのは16:30 、次のバスに乗れたのは17:10 。結局一時間余分に食った。更にここから先も混んでいて、Anaheim(アナハイム)到着は18:30 。結局Amtrakは予定より一本後の19:05 のになってしまった。と言うことは、もう少しノンビリしていたら、帰って来られなかったかも知れない。
 Anaheim(アナハイム)は、デイズニーランドとスタジアムがあるが(それも何キロも離れている)後は何もない街のようである。Amtrakの駅前等、スタジアムと広大な駐車場(空き地のようでもある)しかない。駅があることすら良くわからない位の距離感である。駅舎もかなり小さなものである。GreyhoundLines(グレイハウンド) のバスはどこに着くのだろうか。公共交通機関の連絡等全く想定外のようである。そう言えば、バスの路線図等には鉄道との連絡が明示されていない。日本なら鉄道の表示は最優先だが・・・。
 Amtrakの電車、単線で、驚いたのは機関車が後ろにいる。すなわちSanDiego(サンディエゴ)からLosAngeles(ロサンゼルス)へ普通に行った列車がそのままの編成でバックしている。料金は$19 。改札所は無く、乗車後車掌が切符を改め、半券を回収すると共に、チェック札を貼ってゆく。後は駅を出る毎に、この札を見回して、乗り越し等の処理をして行く。走行中には頻繁に警笛を鳴らしている。座席は、普通車でもジャンボ機のビジネスクラス並みの大きさのが2,2配置。飛行機と同じ構造の座席でテーブルがついている。しかも天井灯も間接照明+スポットライトと飛行機並。窓は横長の小さいもの。車内は、多少汚い感じはした。SanDiego(サンディエゴ)では、ホームが無い。すなわち、操車場のような所がそのまま駅なのである。車掌が踏み台をセットして乗客の乗降に供する。やはり乗ってみる価値はあった。
 LongBeach(ロングビーチ) −SanDiego(サンディエゴ)の交通は、LosAngeles(ロサンゼルス)暴動のあおりの渋滞もあり、行きの6:00→8:40(正味2:30) に対して、5:30もかかってしまった。LosAngeles(ロサンゼルス)経由の方が早かったかも知れないが、暴動に巻き込まれてしまう可能性も十分あった訳で、やむを得ない。

 やはり、United States of America(アメリカ合衆国) の足は車である。バス等もあるが、実際機動性に欠ける。ガソリンも1ガロン$1.1程度だから、日本の半額。ディーゼルの軽油も同じ位の価格だから、日本のようなディーゼルのメリットは無い。アメ車はガソリンをまいて走ると言うが、リッター数キロは、日本のような信号の多い所の話。アメリカ本土は、いつもハイウェイ気分であるから、多少条件は違う。
 でも、ここSanDiego(サンディエゴ)周辺では、日本車が目立つ。約半分のようだ。日本車叩きもメーカ 関係のパッシングであって、ユーザは歓迎している訳である。
 今回は会社の研修だったので、レンタカーの利用を控えたが、こういう広々とした所のドライブは気持ちの良いものだし、機動性向上には持ってこいだ。しかも日本のように駐車場に不自由しない。でも、所々$3とか$6とか有料の駐車場になっている。
 又、ドライバーも日本の様にハンドルを握ると人が変わるような事は無いようで、黙っていても歩行者優先だし、割り込みや、無理な追越し等殆ど見掛けない。まして、縫うようにして行く奴等いない。「広いアメリカ、少々急いでも変わり無し」というところであろう。

 この日、買い物をと思っていたが、LosAngeles(ロサンゼルス)暴動のあおりで、警察の閉店指導が行き届き、買い物が出来なかった。LosAngeles(ロサンゼルス)や、SanFrancisco(サンフランシスコ)の地図も欲しかったのに・・・。

1.May.92 Fri

 6:00頃モーニングコール。SanDiego(サンディエゴ)出発の日。急ぎチェックアウトし、パンと紅茶。7:00ホテル発で空港へ。荷物を預けると一気に疲れが出始める。UA1690便。SanDiego(サンディエゴ)空港9:00発。Boeing727であった。(実は私はこの型には乗りたくなかった。この型はカッコイイが、幼少期の記憶で何機も墜落している。)SanFrancisco(サンフランシスコ)10:20 すぎ到着。窓側だったが、GoldenGateBlidge(金門橋)と反対側で残念。
 空港での機内持ち込み手荷物のX線チェックであるが、どうも超音波でやっているようだ。なぜなら、X線なら金属、特に鉛のX線防護袋に対して全面反応し、内容点検が必要になるはずだが、袋の中までブラウン管に表示されているようだ。だから、最近は「X線を通しても大丈夫」と言われているようで、従って「X線」はチェックの代名詞化していて、正しい表現ではないようだ。もっとも全ての空港に付いては言えないので注意は必要である。
 帰りは全てを燃焼しきったように、そして「もう十分だろう、とっとと帰れ!」という感じであった。(と言うのは)去年、一昨年の人達の飛行機が遅れたような事もなく、順調に飛び立ってしまった。=SanFrancisco(サンフランシスコ)観光が出来なかった。UA853便。SanFrancisco(サンフランシスコ)国際空港12:50 出発。今度はBoeing747−400。(これも私はあまり好きでは無い。ハイテクと言うが計器をブラウン管表示と言うのが怖い。)早速日本時間に合わせる。昼間が長ーい事になる。日付変更線を通過し、日付が変わる。

2.May.92 Sat

  帰りのスチュワーデスさん達は、行きよりもスチュワーデスさんらしい。CINDY.ALEYさん、始め「どーぞ」とか奇麗な日本語を使っていたが、化粧も含めどうも違う。通路の前を歩いていた人に「ハヤクハヤク」と追い立てる等しぐさが面白い。バッチが中華人民共和国と、英連邦のものだし、ホンコンのスチュワーデスの研修生だろうか。

順調に飛行し、成田到着。税関もなんの問題もなく、無事解散。

後日談

 撮ったビデオが4本余、6時間30分。写真はフィルム足掛け11本、約400枚。大半は船関係である。後の事を考えずに撮ったもので、整理が大変。
あげく、時差ぼけのせいか、数日間、朝4:00〜6:00に眼が醒めてしまい、逆に23:00 頃には眠くなってしまう等、大変であった。

最後に

 今回ほど充実した日々を送ったものは生まれて初めてである。幕末維新の頃の土佐の坂本龍馬が目指した国United States of America(アメリカ合衆国) の雄大さを、正に肌で感じる事が出来たし、様々な経験をする事が出来た。同時に、多少オーバーだが、国際社会で共存して行く為の手掛かりを得たような気もする。
 加えて、今回の研修へ送り出してくれた会社、留守を守ってくれた会社の方々。影に陽に支援してくれたノ*タの方々や、同行の諸氏、現地ガイドやドライバーの皆さんに心から感謝する次第です。

I shall return. 必ずや再び、この地へ訪れたいと思っている。

 余談だが、このような国と半世紀前戦争をしたのだから、無謀としか言い様が無い。日本海軍の軍人の多くは遠洋航海で訪れている訳だから、実際とても勝てるとは思っていなかった事であろう。



戻る TOPに戻る

新規作成日:1997年12月2日/最終更新日:1997年12月3日