Jpn IHI石川島播磨重工業横浜第三工場 「たかなみ」型護衛艦2241番艦まきなみ 進水 JpnE

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平成14年8月8日木曜 快晴の中、横浜市磯子区にある、IHI石川島播磨重工業横浜第三工場において、「たかなみ」型護衛艦2241番艦「まきなみ」の進水式が、中谷元防衛庁長官臨席のもと行われた。
「まきなみ」は、「たかなみ」型護衛艦の3番艦である。
IHI横浜第三工場は、2002年3月をもって閉鎖された、IHI東京第一工場の機能を引き継ぎ、艦艇建造事業を行っている。
本艦「まきなみ」は、IHI横浜第三工場における護衛艦建造の一番艦であると共に、海上自衛隊創設50年の歴史における、100隻目の護衛艦(警備艦として建造され、のちに護衛艦と呼称変更となった艦を含む)となった。

IHI横浜第三工場の建造ドックは、長さ320mの大型ドックで、開設当初は、超大型タンカーの建造を前提としていたものだ。
当初は、出光丸など、当時、世界最大を誇るマンモスタンカーを鋭意建造していたが、標準型貨物船の量産期をへて、1979年以降は、新造船事業から撤退し、商船の修理や、橋梁などの大型鉄構物事業を行っていた。
2002年3月をもって閉鎖された東京第一工場の長い伝統、高い技術力、豊富な経験と人材を受け継ぎ、旧横浜工場の設備を一新し、2001年4月に新鋭工場として生まれ変わっている。

通常なら式台は艦首正面なのだが、今回は船渠が大型で特殊なため、西岸(左舷艦首)に式台が設けられていて、シャンパンも薬玉も、艦首左舷に用意された。
今回は、IHI横浜第三工場最初の護衛艦の船渠進水と言う特殊性からか、報道も多く来ていた。
今年は、海上自衛隊創設50周年の記念となる年であるが、本艦は護衛艦建造100隻目の記念すべき艦でもある。

「DD112まきなみ」の進水式の様子は次の通り。
15:00?中谷元防衛庁長官到着で式は始まり、国家奏楽、15:04防衛庁長官による命名式、進水用意発令、陸上要員準備、船上要員準備。5:06支綱切断、シャンパンが割れ、軍艦マーチ演奏裏に、船体はゆっくりタグにより引き出され、薬玉が割れ、15:07花火、祝賀汽笛、15:09祝賀放水、そして船渠外の方へ曳かれていった。尚、本日は船渠外まで出したかは不明。15:12防衛庁長官退場。
中谷元防衛庁長官、古庄海上幕僚副長、新貝契約本部長、MU津田社長、IHI伊藤社長、その他来賓が参列。

滑走進水なら、『「ただいまより進水作業を行う」「進水準備」「腹受盤木取り外し始め」盤木を取り外す作業「進水作業始め」安全確認発令「安全ピンを外せ」』支綱切断、シャンパンが割れ、船体はゆっくり、そして物凄い轟音と共に加速され滑走、タグの祝賀汽笛の中、進水。』となるのだが、船渠進水は、船体は既に浮かんでおり、感激もかなり割り引かれる。

艦名だが、本艦は「まきなみ」となった。「あめ」の名前は、9隻ものシリーズの名前としては、かなり苦労したようだが、「なみ」なら充分な隻数に対応できるだろう。

IHI石川島播磨重工業東京第一工場の歴史は、嘉永6年(1853)石川島造船所創業に始まる。この地は今の中央区佃で、現在の工場は、昭和14年(1939)に発足している。その後、石川島重工と社名変更し、昭和35年(1960)に播磨造船所と合併、IHI石川島播磨重工業として今日に至っている。
昭和31年(1961)初代「あけぼの」がこの工場で建造される最初の護衛艦(当時 警備艦)で、奇しくも2代目が、最後の艦となった。
建造船舶は、防衛庁向け艦艇26隻、海上保安庁巡視船8隻、気象庁9隻、国土交通省(運輸省)15隻、その他客船、貨物船など634隻の、総数692隻に上った。
IHI石川島播磨重工業横浜第三工場は、1964年、IHI石川島播磨重工業横浜第ニ工場として発足しており、東京第一工場の長い伝統、高い技術力、豊富な経験と人材を受け継ぎ、旧横浜工場の設備を一新し、2001年4月に新鋭工場として生まれ変わっている。

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新規作成日:2002年8月8日/最終更新日:2002年月8日