潜水艦の歴史


乗り物で海の中を進む、つまり潜水したという話は、文明のはじまりから登場しています。紀元前5世紀ごろ、ペルシャとギリシャの戦いの最中、ギリシャ軍は潜水攻撃でペルシャ王クセルクセスの船を沈めたとか。また紀元前4世紀ごろ、ギリシャのアレキサンダー大王は、ガラス玉に入って水中を遊歩した。あるいは、1150年、十字軍が潜水装置に入った兵士の活躍で敵の包囲網を破ったといった話が伝えられています。これが、技術的な話とともに登場するのは、1620年のことです。


1620年

木製の潜水船

当時、何人かの発明家が原始的な潜水艦の開発に挑戦していました。そのなかに、イギリスのコーネリウス・ドレベルというロンドンで働くオランダ人がいました。彼は、木造船をグリースを塗った皮ですっぽりと包み、ロンドンのテムズ川を潜水して数マイルさかのぼることができたと記されています。船は12人のこぎ手によって前に進み、水面からチューブを通して空気を供給したそうです。


1776年

潜水艦「タートル号」

デービッド・C・ブッシュネルというアメリカ人によって設計されたタートル号は手動の2つのスクリューを使って動かす1人乗りの潜水艦で、多くの潜水艦のように艦内のタンクに水を出し入れすることによって沈んだり浮いたりしていました。タートル号はニューヨークの沖に停泊していたイギリスの戦艦イーグル号に機雷をしかけようとしましたが失敗に終わりました。


1936年

Uボート

第2次世界大戦で登場したのが、ドイツのUボート(Unterseebooten、水中ボートの略)艦隊です。U-25は、14の魚雷を装備し、長時間潜水することができましたが、移動時には125Km進むごとに水面に浮上しては空気を補充しなければなりませんでした。
 潜水艦は、ドイツ軍によって第一次世界大戦で初めて大規模に使用され、第二次世界大戦では史上唯一の集団戦術による大潜水艦戦をやってのけたのでした。
 Uボートは、ディーゼル機関と電気推進機関の2つの機関で動くもので、現代の原子力潜水艦のように常に潜行活動できるものではなく、「必要なときにだけ潜行する船」または「潜ることもできる船」でしかありませんでした。


1954年

原子力潜水艦

アメリカのノーティラス号が、初めての原子力潜水艦として登場。小型原子炉を機関として積み(艦内に原子力発電所があるようなもの)、その動力によって動いています。
原子力潜水艦の長所は、電力を艦内で供給しつづけることができるので、航続距離がほぼ無制限であること、水・酸素も艦内で電気分解によって精製できること、速力が速いことなどが挙げられます。乗員の健康などを無視すれば、理論上はずっと潜っていられるのです。最近では、医療の充実や空気の浄化能力を高めることによって、乗員の健康面を考えても1ヵ月くらいは問題なく継続して潜水していられるようになっています。1960年には、アメリカ海軍の原子力潜水艦「トライトン」が85日間1度も浮上することなく世界一周を達成。
 問題としては、万が一の原子炉事故と廃艦処分をどうするか。後者はいずれかならず訪れる問題で、これをどう乗り越えるかがこれからの原子力潜水艦の一番の課題だといわれています。


1989年

潜水調査船「しんかい6500」

1989年8月11日、三陸沖の日本海溝で、有人潜水調査船として製造された「しんかい6500」が6527mの深度まで潜航しました。これは人が乗った潜水船としては世界一の記録です。「しんかい6500」は、水深6500mまでのあらゆる深さで調査観測作業を行うために、日本の海洋科学技術センターが三菱重工・神戸造船所とともに製作したもので、6500m潜れれば、地球の海底の97%までをカバーできます。
 定員は、パイロット2名、研究者1名の3名。調査観測にあたっては、母船となる「よこすか」が研究所としての役割を担い、「しんかい6500」が得たデータの解析や採取したサンプルの分析などを行います。海外との共同プロジェクトで活動することも多く、現在(2001年3月現在)まだ潜ったことのない海域は南極と北極だけです。



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新規作成日:2002年2月6日/最終更新日:2002年2月6日