ビーチ・ヘッド沖海戦

1690年7月10日「ビーチ・ヘッド沖海戦」

ツールヴィル率いるフランス艦隊(70隻)
ハーバート率いるイングランド、オランダ連合艦隊(56〜60隻)

風上の有利な位置にあったイギリス、オランダ連合艦隊は、横隊をつくって一斉にフランス艦隊に襲いかかります。先方隊であるエヴェルセン率いるオランダ艦隊は、敵の砲撃で損害を出しながらも敵艦に接近して近接戦闘を開始、続いて後方隊(イングランド、オランダの混成艦隊)もフランス艦隊に突っ込んで行きました。連合艦隊の中央隊(ハーバート指揮のイングランド艦隊)は、接戦の最中の後方隊が敵艦に包囲されないように後方へ移動し、フランス艦の長射程砲がとどかない安全な位置につきます。これを見たフランス艦隊司令官のツールヴィルは、フランス艦隊の先方隊と中央隊に、今や孤立してしまったオランダ艦隊を包囲攻撃するよう命じました。オランダ艦隊が不利な戦闘で苦しんでいるにもかかわらず、ハーバート率いるイングランド艦隊は、帆を張ったまま錨をおろして
ます。そして夜の9時頃に潮が変わるやいなや、さっさとテームズ川に逃げ込んだのでした。
フランス艦隊はイングランド艦隊を追撃しますが、戦列を維持したままだったので、最低速力の船に速度を合わせねばならず、敵艦隊に追いつくことは到底できません。
この海戦ではフランス艦隊は1隻の損害も出しませんでしたが、連合艦隊は16隻を失いました。オランダ艦隊を見殺しにした連合艦隊司令官のハーバートは軍法会議にかけられますが無罪になります。
その理由は「決戦を避けて艦隊を守ったことが、フランスの侵攻を阻止する結果になった」という彼の主張が認められたからでした。
フランスは「ビーチ・ヘッド沖海戦」で勝利したにもかかわらず何の成果も得られなかったのです。


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新規作成日:2002年2月11日/最終更新日:2002年2月11日