トラファルガー海戦

1805年10月21日「トラファルガー海戦」
ジブラルタル海峡北西のトラファルガー(Trafalgar)岬沖において、ホレイショ・ネルソン提督指揮下のイギリス艦隊27隻(旗艦ヴィクトリー、ハーディ艦長)とフランス・スペイン連合艦隊33隻(指揮官ピエール・ド・ヴィルヌーブ提督、旗艦ビュサントール、フランス艦18隻、スペイン艦15隻)との間で行われた海戦。
旗艦「ヴィクトリー」とコリンウード指揮の「ソヴェリン」を先頭とする2列縦隊で風上から突入するイギリス艦隊に対し、南進していたフランス・スペイン連合艦は決戦を避け北へ反転、カディス港に逃げ込む構えを見せるが艦列を分断され大敗を喫する
フランス・スペイン連合艦隊は艦隊先頭のジュマノア隊は南進を続け戦場を離脱、艦隊後尾のグラビナ隊は反転北進してカディス港へ逃げ込もうとする。
艦隊中央13隻は捕捉されヴィルヌーブ提督は捕虜となる。
全体の損害は沈没1、捕獲されたもの18。
イギリス艦には損失が無かったが、旗艦上でネルソン提督は狙撃を受け戦死。
ナポレオン1世の英本土上陸の企図を粉砕、イギリスの制海権掌握を決定的にした。
開戦直前にネルソン提督から発せられた信号「イギリスは各員がその義務を果たすことを期待する」は有名。
旗艦「ヴィクトリー」は現在も保存・展示されている。

トラファルガー海戦時の信号旗


両軍の兵力
ネルソン提督率いるイギリス艦隊(27隻)
ヴィルヌーブ提督率いるフランス・スペイン連合艦隊(33隻)

ただし、この数は、戦列艦の隻数であり、フリゲート等は含まない。



戦闘隊形
イギリス軍は全艦隊を2つに分けて2列縦隊で戦闘に備えます。ネルソンは旗艦ビクトリー号に乗り、13隻を指揮しました。残り14隻は次席指揮官のコリンウッド(旗艦ロイヤル・ソブリン号)に任せます。フランス・スペイン連合軍は、先頭から最後尾まで5カイリ近くもある長い縦隊で北方に向かっていました。その中央付近でフランス軍司令官ヴィルヌーブ(旗艦ビュセンタウル号)が指揮をとり、スペイン軍指揮官のグラヴィアは艦隊の後部を率いています。



ネルソンの戦闘計画
イギリス艦隊の司令官ネルソンは戦闘に先だって各艦長に次のような戦闘計画を示していました。
1.敵艦隊を風下に置き、我が艦隊は順風にのって敵に接近する。
2.我が艦隊は迅速に航行し、敵軍に我が艦隊の行動を読まれないようにする。
3.敵軍の死角から敵の縦隊の中心に接近し、全力で敵艦隊の先頭にある5〜6隻の戦艦に集中攻撃を加えて敵の戦列を突破する。
4.可能な限り敵艦に接近して戦闘する。



戦闘経過
1.午前11時35分、イギリス軍の旗艦ビクトリー号のマストに次の信号旗が掲げられます。
「イギリスは各員がその義務を尽くすことを期待する」続いて「接近戦を実施せよ」の旗が上げられるとイギリス艦隊は突撃を開始しました。12時、フランス軍のフーギュエ号が接近してくるイギリス艦隊に最初の砲撃を行って戦闘が始まります。まもなくイギリス軍コリンウッド隊はフランス軍の縦隊を突破することに成功、12時45分にはコリンウッドの旗艦ロイヤル・ソブリン号がスペイン軍の旗艦サンタ・アナ号に接近して、その片舷に並ぶ大砲を破壊してしまいました。
この頃、ネルソンのビクトリー号はフランス軍のレドウタブル号を左舷から砲撃し、イギリス軍のテレメイル号は右舷からレドウタブル号に近づいて砲撃します。他のイギリス艦もネルソンの指示どおり、それぞれ目指す敵艦に接近して猛烈な砲撃を加えました。

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2.激しい混戦の最中、戦場から遠く離れていたフランス艦隊の先頭隊は戦闘に参加しようとせず、午後3時頃になってようやく戦場に到着しますが、戦いはほとんど終わってしまっていました。
午後2時頃、フランス軍の旗艦ビュセンタウル号は既に降伏しており、フランス軍司令官のヴィルヌーブは捕虜となっています。今やフランス・スペイン連合艦隊はイギリス艦隊に攻撃されるがままでした。そんな中でイギリス艦隊司令官ネルソンが、接舷中のフランス艦レドウタブル号のマスト上にいた敵兵士に狙撃され、午後4時半には戦死してしまいます。この海戦でイギリス艦隊は圧勝しますが、優秀な司令官を失ってしまったのでした。フランス・スペイン連合艦隊で戦場から逃げおおせたのは11隻のスペイン艦だけで、22隻がイギリス軍に降伏し捕獲されました。



両軍の艦隊砲撃について
フランス・スペイン連合艦隊の砲撃は、敵艦のマストや帆を狙うものであったため、多くの弾丸が無駄になりました。対するイギリス艦隊の砲撃は水平射撃で敵艦の船体を狙ったので、木造の船体を著しく損傷させ、砕け散った木片は砲弾以上の恐るべき殺傷効果をもたらしました。
尚「フランス・スペイン連合艦隊の大砲は、旧式な火縄式点火を採用していたので、点火から発射までに時間がかかり、艦が横揺れしている時には照準を定めることが出来ず、発射した砲弾の多くは敵艦のマストの上を飛び越していき、イギリス艦隊の大砲は、火打ち石を使った撃発式点火を採用していたので照準を決めるとすぐに発射することが出来たため、イギリス艦の砲撃の命中精度はフランス艦よりもはるかに高かった。」とする説があるが、確かに、撃発式点火は即発で、火縄式点火は引火する時間を要するが、後者は導火線を火が伝わるわけではない為、いずれも瞬間的に発火することが可能である。従って、航空機などの高速目標でない以上、この極僅かの時間差は、命中精度には影響しない。



ビクトリー号の死闘
敵艦隊の隊列にほぼ直角に突撃して行ったビクトリー号は、40分近くもの間、反撃の出来ない状態で敵艦隊からの砲撃を受け続けていましたが、敵の劣悪な砲撃のおかげもあって突入に成功します。ビクトリー号は、まずフランス艦ビュセンタウル号に襲いかかって4百名近い乗組員を殺傷し、20門の大砲を砲撃不能にしてしまいました。しかし、うしろから現われたフランス艦ネプチューン号の砲撃によってビクトリー号も大きな損害を被ります。ネプチューン号には反撃することはできませんでしたが、ビクトリー号の左舷の砲はフランス艦サンティシマ・トリニダッド号の艦尾を捕らえて攻撃します。右舷の砲が、接近してきたフランス艦レドウタブル号に斉射を浴びせかけるとビクトリー号とレドウタブル号の索具はがっちりと絡み合って両艦は接舷しました。午後2時前にはイギリス艦隊司令官のネルソンがレドウタブル号のマスト上からマスケット銃で狙撃されてしまい、ビクトリー号の最上甲板は人影が少なくなります。レドウタブル号のリュカ艦長は今がチャンスとみて、敵艦へ斬り込み隊を送り込みますが、ビクトリー号の海兵隊が下甲板から現われてレドウタブル号の斬り込み隊を撃退しました。甲板上で次の斬り込み隊を編成しているレドウタブル号の右舷からイギリス艦テメレイル号が接近して砲撃を加え始めたため、レドウタブル号のリュカ艦長は負傷し、斬り込み隊の2百名が殺傷されてしまいます。漂流してきたテメレイル号はレドウタブル号と衝突して索具が絡み合い、レドウタブル号はビクトリー号とテメレイル号に挟まれて3隻ともまったく動きがとれなくなってしまいました。

午後2時半頃になってやっとビクトリー号はレドウタブル号から離脱することが出来ました。
ビクトリー号がレドウタブル号から離れるとレドウタブル号のメインマストとミズンマストが折れて、メインマストはテメレイル号の後甲板に倒れてしまいます。これでレドウタブル号のマスト上にいたフランス軍の狙撃兵は戦うことが出来なくなり、倒れたメインマストはイギリス軍の斬り込み隊にとって敵艦への架け橋となりました。レドウタブル号へ乗り込んで行ったテメレイル号の斬り込み隊は、ほどなく敵艦の制圧に成功します。レドウタブル号のフランス兵達は必死の抵抗を試みましたが、最後には降伏するしか無かったのでした。


イギリス艦隊

指揮官 ホレイショ・ネルソン提督(Admiral Horatio Nelson)
旗艦 ヴィクトリー、ハーディ艦長
イギリス艦27隻
(ネルソン 指揮)ヴィクトリー/Victory、テメレア/Temeraire、ネプチェーン/Neptune、レヴァイアサン/Leviathan、コンカラー/Conqueror、アガメムノン/Agamemnon、ブリタニア/Britannia、アジャックス/Ajax、オリオン/Orion、スパティエーテ/Spartiate、ミノタウル/Minotaur、プリンスPrince、アフリカ/Africa。
(次席指揮官 コリンウッド/Admiral Cuthbert Collingwood 指揮)ロイヤル・ソヴリン/Royal Sovereign、ベレイル/Belleisle、マース/Mars、トーナント/Tonnant、ベレロフォン、コロッサス/Colossus、アキル/Achilles、リヴェンジ/Revenge、ディファイアンス、ポリフェマス/Polyphemus、ドレッドノート/Dreadnought、スウィフトシュア/Swiftsure、サンデラー/Thunderer、デフェンス/Defence。


フランス・スペイン連合艦隊

指揮官 ピエール・ド・ヴィルヌーブ提督(Admiral Pierre de Villeneuve)
旗艦 ビュサントール/Bucentaure
(フランス艦隊)
指揮官 ピエール・ド・ヴィルヌーブ提督(Admiral Pierre de Villeneuve)
旗艦 ビュサントール/Bucentaure
フランス艦18隻
シピオン、アントレピード、フォルミダーブル/Formidable、モン・ブラン、デュギュエ・トルアン、エロ、ビュサントール、ル・ドゥターブル、ネプトゥーノ、アンドンダブル、フーゴー、プリュートン、アルジェラ、エーグル、スウィフトシュール/Swiftsure、アルゴノート/Argonauta、アミール、ベリク

(スペイン艦隊)
指揮官 (Admiral Gravina)
旗艦 プリンシペ・デ・アストゥーリアス/Principe de Asturias
スペイン艦15隻
ネプテューン/Neptuno、ラーヨ/Rayo、サン・フランシスコ・デ・アシス、サン・アグスティン、サンティッシマ・トリニダード、サン・フスト、アンドンダブル、サンタ・アーナ、モルカナ、バハマ、モンタニュース、アルゴナウタ、サン・イルデフォンゾ、プリンシペ・デ・アストゥーリアス/Principe de Asturias、サン・ファン・デ・ネポムセーノ


ネルソン

(1758年〜1805年)
12歳の時にイギリス海軍に入ったネルソンは、アメリカ独立戦争に従軍したのち、フランス革命戦争では35歳の若さで戦列艦アガメムノン号の艦長となりました。戦いになるといつでも先頭に立つネルソンは、1794年にコルシカ島のカルヴィ要塞を攻略した際に敵弾の破片で右眼を失明します。
1797年のセント・ビンセント岬沖の海戦で2隻のスペイン艦を捕獲した勲功によって海軍少将に昇進しますが、カナリヤ群島のサンタ・クルーズ港では上陸部隊を率いて戦闘中に負傷して右腕を失ってしまいました。翌年、ナイル河口のアブキール湾においてナポレオンのエジプト遠征軍を撃破した際も、ネルソンは前額部に瀕死の重傷を受けています。
中将に昇進した1801年の4月、コペンハーゲン港の海戦で決定的な勝利を収め、5月にはバルチック艦隊司令長官に任命され、ナイル男爵の称号と故郷のバーナム・ソープの土地を領地として授かりました。1803年、地中海艦隊司令長官に任ぜられたネルソンはフランスのトゥーロン港を封鎖するため出撃し、トラファルガー岬沖でヴィルヌーブ率いるフランス・スペイン連合艦隊を発見してこれを破ります。「トラファルガー海戦」でフランス艦隊が大敗したため、ナポレオンが計画していたイギリス上陸作戦は完全に挫折しましたが、ネルソン自身はこの戦闘で戦死してしまいました。


当時の艦載砲

着火方式の優劣そのものは、命中精度よりも、発射速度(タイミング)に影響します。
しかし、撃発式点火*は即発で、火縄式点火は引火する時間を要するが、後者は導火線を火が伝わるわけではない為、いずれも瞬間的に発火することが可能である。従って、航空機などの高速目標でない以上、この極僅かの時間差は、命中精度には影響しない。
長じては、命中精度だが、大差はまた別の理由。
先込め(口込め)と、元込め(尻込め)*も、発射速度(作業)の優劣となります。
ライフル(条溝)式*か滑空式どうか、丸(球形)弾か、長弾*かは命中精度に影響します。
また、砲身の長短は、発射速度(初速)に差が出、命中精度に影響します。
青銅砲身*か、鋳鉄砲身どうかの差もあるようです。
各*印が優

18世紀のフランス砲の射程は2100m、1805のイギリス砲は2750mらしい。
これは、海戦自体が直射程の片舷斉射であった為でもあります。
当時の海戦の絵は、画角の都合で強調がすぎているようですが、それでも、艦が真横
に並んで撃ち合うという構図のようです。間隔は、船体長程度。
従って、接近すればするほど、ただ撃てば当たる状況となります。
極端な話、接舷中の射撃が最高。
火薬や砲構造が発展し、近代的カノン砲が出るまで、射程の伸びは少ないようです。
日露戦争でも、30センチ主砲は有効射程6000m程度ですから。結果、15cm副砲、7.5cm補助砲が威力を発揮しています


フランスのフリゲート艦
Dcim1998/DSC_6389. Dcim1998/DSC_6390. Dcim1998/DSC_6417. Dcim1998/DSC_6472. Dcim1999/DSC_6495. Dcim1999/DSC_6515.



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新規作成日:2002年2月11日/最終更新日:2003年5月30日