湾岸戦争

1991(平成3)年1月17日〜2月28日
Gulf War

1990(平成2)年8月のイラクがクウェートに侵攻、占領
8月〜11月 国連安全保障理事会は、経済制裁をはじめ、1991(平成3)年1月15日までにクウェートからの無条件撤退をもとめた一連の決議を下した
同時にアメリカ、サウジアラビア、イギリス、エジプト、シリア、フランス軍等で構成される多国籍軍50万人を編成
イラク包囲網「砂漠の盾作戦(opetation desert shield)」を展開
クウェートからのイラク軍の撤退を求めた
イラク政府が応じなかったため、国連安全保障理事会の武力行使容認決議を得て、多国籍軍は「砂漠の嵐作戦(operation desert storm)」を発動
1991(平成3)年1月17日にイラクへの空爆、ミサイル攻撃を開始し戦争が始まった
(CNNは空襲の様子を実況中継した)
2月24日からは地上戦が展開され、2月28日イラク軍は多数の捕虜を出しつつ、クウェートから敗走、多国籍軍の側から戦闘が停止された
2月28日時点での多国籍軍側の損害は、死者149人、負傷者513人
3月3日 イラク代表が暫定休戦協定を受け入れる
4月6日 停戦に合意
イラクはクウェートへの賠償金の支払いに同意 化学及び生物兵器の備蓄場所を明らかにし、その差し押さえと大量破壊兵器の除去に同意
その後、経済制裁については、1995(平成7)年4月に国連安全保障理事会が石油禁輸を部分的に解除する決議をしたが、イラクは全面解除以外に受け入れられないと拒否
停戦決議のひとつになっていた核開発査察のための国際原子力機関(IAEA)チームの受け入れを拒否、強制立ち入り問題をおこした


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新規作成日:2002年2月25日/最終更新日:2002年2月25日