ベトナム戦争


ベトナム戦争

1960(昭和35)年〜1975(昭和50)年
北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線とアメリカが支援する南ベトナム政府との間で戦われた戦争
1964(昭和39)年8月、トンキン湾でのアメリカ軍艦艇に対する北ベトナム軍の攻撃(トンキン湾事件)を機にして議会は戦争拡大を支持
1965(昭和40)年 アメリカは北ベトナムによる解放民族戦線への援助阻止を主張して北ベトナム爆撃(北爆)と南ベトナムへの増兵を開始
 4月4日 アメリカ、北ベトナム空軍と最初の交戦
 北ベトナム空軍MiG-17戦闘機がアメリカ空軍F-105戦闘爆撃機2機を撃墜
アメリカは50万の地上軍を投入、韓国・タイ等の派遣軍も加わる
北ベトナムも正規軍を南下させて解放民族戦線を援助し戦闘は激化
ラオスなど周辺諸国でも両国側の作戦が展開された
1968(昭和43)年旧正月の攻撃(テト攻勢)以来、解放民族戦線が戦争主導権を握り、サイゴン地区やトンキン湾沿岸都市部を除く大半の地域がその勢力下に入った
一方、1968(昭和43)年以来パリで和平交渉が進められてきたが、1973(昭和48)年1月和平協定が成立し、アメリカ軍が南ベトナムから撤退
1975(昭和50)年、北ベトナム軍の侵攻の前に南ベトナムの首都サイゴンが陥落
戦争は終結する
この戦争による死傷者は民間人440万、北ベトナム軍・解放戦線227万6700、南ベトナム政府軍59万9000、米軍36万
アメリカ・ワシントンDCにはアメリカ軍戦死者の名前を刻んだモニュメントがある


トンキン湾事件

1964(昭和39)年8月
ベトナム戦争拡大の発端となった事件
1964(昭和39)年1月 アメリカ中央情報局(CIA)は秘密作戦計画34Aにより北ベトナム軍の基地、補給路への攻撃、レーダー網の攪乱を開始
 8月2日 アメリカ海軍はトンキン湾公海上に駆逐艦「マドックス」(USS Maddox DD-731)を展開
 これを34Aの一環と見た北ベトナム軍が魚雷攻撃を加える
 8月4日 「マドックス」への再度の魚雷攻撃が報告されアメリカ軍はこれを口実に北ベトナムを攻撃
 空母「タイコンデロガ」(USS Ticonderoga CV-14)艦載機が北ベトナム沿岸の魚雷艇基地を空襲した
 8月7日 連邦議会は事実上の宣戦布告となる「トンキン湾決議」を採択し、報復攻撃にゴー・サインを出したリンドン・ジョンソン大統領の演説を承認
現在では8月4日の北ベトナム軍の攻撃はなかったとする説が有力
(ロバート・マクナマラ国防長官(当時)が1995(平成7)年に「北ベトナム軍による二度目の攻撃はなかった」と著書で暴露)


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新規作成日:2002年2月25日/最終更新日:2002年2月25日