藤原純友の乱

藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜられていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁となり略奪・放火を行て、淡路・讃岐の国府、大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らによって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。


承平・天慶年間に起った平将門(たいらのまさかど)と藤原純友(ふじわらのすみとも)の反乱を、承平・天慶の乱とも言う。

平将門の乱
下総に勢力をつちかっていた将門は東国で同族間の私闘を続け、935年(承平5)伯父の国香を殺し、次いで939年(天慶2)常陸国司に抵抗した藤原玄明を助けて常陸の国府を襲撃し、公然と朝廷に反抗するに至った。ついに関東8国を手中に収め、新皇と称した。翌年、朝廷の鎮圧軍が到着する以前に、藤原秀郷や平貞盛のために敗死した。




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新規作成日:2002年2月26日/最終更新日:2004年5月18日