榎本武揚

1836年10月5日(天保7年8月25日)生、1908(明治41)年10月27日没。
江戸下谷御徒町出身。幕臣 政治家。海軍中将。
父、榎本円兵衛(徒目付)、二男。幼名、釜次郎。号、梁川。
長崎海軍伝習所出身。オランダに留学 軍艦「開陽丸」の建造と回航に携わる。
1868年 海軍副総裁
1868年5月3日(慶應4年4月11日) 江戸開城
 新政府軍の江戸入城後、軍艦引渡しを拒否
 5月4日(4月12日) 幕府艦隊を率いて江戸湾を脱出 館山沖に停泊
勝海舟の説得で品川沖に艦隊を戻す
 10月4日(8月19日) 江戸湾を脱出 仙台に向かう
 10月11日(8月26日) 石巻港に入港
 11月25日(1868年10月12日) 松島湾を出航 蝦夷地(北海道)に向かう
 12月3日(10月20日) 蝦夷地(鷲ノ木浜)に上陸
蝦夷共和国を樹立 選挙で総裁に選ばれる
10月から翌1869年5月まで箱館(現在の函館)五稜郭にこもって官軍と抗戦(→箱館戦争)
官軍指揮官・K田清隆のすすめで降伏
1872年 特赦
 投獄されるがK田らの尽力で釈放
開拓副使となったK田の元で北海道開拓使となる
1875(明治8)年 海軍中将特命全権大使としてロシアとの間に樺太千島交換条約を結ぶ
海軍卿、逓信相、文相、外相、農商務相を歴任



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新規作成日:2002年2月26日/最終更新日:2002年2月26日