兵馬傭

中国、秦の時代の兵馬傭

秦(紀元前221〜紀元前207)の始皇帝(紀元前259〜紀元前210年)は中国で初めて国家統一を実現し、「最初の皇帝」を名乗った。
その壮大な事績を裏付けたのが、陝西省(せんせいしょう)西安市郊外にある始皇帝陵の発掘。
1974年(昭和49年)3月、中国秦始皇の陵東1.5キロメートルの西楊村で、井戸を掘っていた農民たちが陶俑(とうよう)の破片を見つけたのがきっかけで、これまでに、等身大の兵士や馬の陶製人形8000体が発見されている。

1号坑ホールから3号坑ホールまであり、その他にも当時の人形の作り方などを説明したビデオなどが見られるところなどがある。
しかしホールのなかは写真撮影が禁止されている。

兵馬傭の写真で必ず紹介される1号坑ホールは、東西230m南北62mのドーム状の体育館のような建物の中にある。
写真に写っているような、きれいに兵馬が並べられている様子は、実は前のほうだけで、後ろのほうは腕や足が崩れたままの兵隊がごろごろところがっている。


前衛士兵傭
前衛士兵傭は一番目の傭坑から出土された。この陶傭の高さは約191cmで、長い着物を着て、外には肩を保護する肩のかぶととよろいを着、下には半ズボンを穿いている。又、この陶傭は高い冠を被って、一対の設計の簡単な靴を穿いている。身体造形は、右手には一つの長い兵器を持っているらしく、左手にはよく分からない一種の物を持っているようだ。

膝撃ち傭
膝撃ち傭は二番目の傭坑から出土された。全部で約160件の膝撃ち傭の多くは膝が地に着いている。膝撃ち傭の高さは約120cmで、両腕は射撃の姿勢に伸ばしている。ある学者はこんな武士の単膝が地に着いているのはまもなく直立発射する準備をしているのだと考えている。

陶馬
第二、三番目の傭坑から全部で600を超す陶馬が出土された。これらは単独の騎兵戦馬と戦車馬で二種類に分けられる。四匹馬で組成した戦車、毎匹馬の高さは約172cmで、長さは200cm。戦車馬の手足は強壮で、頭が割合に大きくて鼻穴が伸びており、首が短く肩が割合に広い。筋肉型の戦馬の直立した耳と明るい視線は、もう戦闘する準備ができたのを表明している。又あるものは台頭して、口を開けていななくような姿勢をしている。



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新規作成日:2003年1月3日/最終更新日:2003年1月3日