イスラム関係情報
イスラム関係情報について整理をしてみました
イスラム教
マホメット(アラビア語で「ムハンマド」)によって創唱された宗教。
正確には「(アル=)イスラーム」と発音。「マホメット教」、「回教」、「フィフィ (回回) 教」などと呼ばれることもある。
[特徴]厳格な一神教
[神]アラー
[聖典]『コーラン』
[教義]六信 (アラー、天使、啓典、預言者モハメット、来世、天命) と五行 (信仰告白、1日5回のメッカ礼拝、ラマダーン月の断食、喜捨、メッカ巡礼)
「イスラーム」という言葉はアラビア語で (アッラーへの) 「絶対的帰依」または「全き平安」を意味する。例えば『コーラン』3の17には、「まことにアッラーに於ける教えこそイスラムなり」とある。
イスラム信仰の基本は、六信に示す6つの事柄を信じ、5つの勤行を行うことである。
これらを六信五行と称することがあり、これら「信 (イーマーン)」と「行 (イバーダー)」を完備した者のみが「ムスリム (イスラム教徒) 」と呼ばれる。
[教祖]マホメット
[成立年]610年頃
[宗派]スンナ派(正統派)とシーア派(少数派)に大別され、ほかに分派としてハワーリジュ派、ワッハーブ派などがある。
元来は中東アラビアに発した民族宗教だが、現在は世界宗教として、北アフリカ〜西アジア〜インド〜東南アジアを中心に分布。「ムスリム」と呼ばれる信者は推定で6億人。
イスラム原理主義
西欧型の近代化政策、生活様式を否定し、イスラム法(シャリーア)の厳格な実践を通してイスラム社会を正していこうとする復古主義運動。シャリーアは聖典コーランと預言者ムハンマドの言行などを法源とし、礼拝の仕方からトイレの使い方まで生活全般を規定。窃盗に対しては手足の切断、密通には投石による死刑など厳しい刑罰を科す。
原理主義の最大勢力は、1928年にエジプトで結成されたスンニ派の「ムスリム同胞団」で、非合法ながら、事実上、国内最大の野党勢力。17日にルクソールで起きた無差別銃撃テロ事件で犯行声明を出した「イスラム集団」、サダト前大統領を暗殺した「ジハード団」などの過激主義組織は、同胞団の穏健路線に反発する勢力。
アルジェリアでは、「イスラム救国戦線」(FIS)や「武装イスラム集団」(GIA)の反政府テロで6万人以上の犠牲者が出た。
イランではシーア派による原理主義運動が79年、王制を打倒するイスラム革命を起こし、政教一致体制が敷かれている。
タリバン
アフガニスタンのイスラム原理主義勢力で、1994年九月に独立勢力として結成された。アラビア語で「神学生」「神の道を求める者」の意。最高指導者ムハマド・オマル師を最高指導者とし兵力は推定4万。
戦車やミグ21戦闘機も備える。同国南部一帯から、ほとんど戦闘なしで首都カブール近郊まで進撃してきている。
旧ソ連に支援された共産党政権が九二年に崩壊した後、パキスタンの辺境バルチスタン州のイスラム学校に集まったパシュトゥン人ドゥラニ族のイスラム戦士たちを中心に組織された。
祖国を良きイスラム教徒の国にする」がスローガン。首都でにらみ合うラバニ現大統領派と今後、どう妥協点をさぐれるかが国連和平工作のカギとみられている。
ナジブラ政権崩壊(92年)後の長期内戦で弱体化したゲリラ組織を離れ、パキスタンの神学校に一時身を寄せた元ゲリラ兵が主体。94年ごろ彼らが再組織され、この名が付いた。パキスタン軍部、サウジアラビアの原理主義組織が支援し、有力原理主義者オサマ・ビン・ラーディン氏とは、保護を与えつつ資金援助を受ける関係。
1995年8月に北部を攻略し全土の9割強を支配したが、この時にイラン外交官9人を殺した疑いが持たれ、イラン軍と緊張状態にある。隣接中央アジア諸国やロシアでも、過激な原理主義と強大な軍事力への警戒感が強まっている。
イスラム諸国会議機構=OIC
1969年9月、モロッコのラバトで開かれたイスラム諸国の首脳会議で設立が決まり、1971年5月に発足した。イスラム諸国間の連帯強化を目的とし、本部はサウジアラビアのジッダ。エルサレムの奪回を目指す「エルサレム委員会」を持つ。前回の首脳会議は1994年、モロッコのカサブランカで開催された。1997年12月9日にテヘランで始まった第8回首脳会議には、内戦中のアフガニスタンを除く54か国・機関が参加。イスラエルの占領地からの撤退、イスラム共同市場創設などを盛り込んだ共同宣言を採択するとともに、イスラム世界の結束をアピールする。
開催国のイランでは、現実路線を歩むハタミ政権が国際社会での孤立からの脱却を目指し、会議の成功に入念な準備を重ねてきた。その結果、随行員を含めた会議出席者は約5000人と、1979年のイラン革命後、最大規模のイベントになった。サウジアラビアやエジプトなど、従来イランと対立関係にあった国々も最高レベルの代表を送り込んだ。イスラム諸国が、どこまで反米、反イスラエル色を出すか注目された。
シーア派
イスラム教の少数派で、「シーイー派」とも呼ばれる。多数派の「スンニ派」からは異端とされる。
当初は第4代カリフの支持者、その死後は彼の子孫に正統なカリフの地位を要求する政治グループだったが、7世紀末に「イマーム」の観念とメシア思想の出現により、一つの宗派となった。
成立直後から現在に至るまで、多くの分派が存在。
イスラム救国戦線=FIS
アルジェリアのイスラム原理主義政党。1962年の独立から民族解放戦線(FLN)の一党独裁が続いた同国は、1988年に民主化に着手、その過程で、アラブ世界初の公認された原理主義政党として登場した。
長期独裁下で深刻となった経済的行き詰まりを背景に、貧困層や若者の支持を受けて勢力を伸長。1991年12月、初の複数政党制による総選挙第一回投票で議席の約8割を獲得したが、イスラム政権樹立を恐れる軍部が第二回投票前に介入、1992年2月非合法化された。
FISは、激しい武装闘争に転じ、外国人を狙うテロも続発。1995年になって表面化した軍事政権とFISの二回目の対話の試みは、1994年10月に続いて失敗、治安回復のめどは立っていない。
新規作成日:2001年9月18日/最終更新日:2001年9月18日