海軍省

明治維新当初、現在の築地市場周辺に設置されていた。
これは、幕府の軍艦操練所がここにあったためと思われる。
海軍省の中央機能のみならず、海軍兵学校等、海軍全般の庁舎がここにあった。
水路部のみはこの地にとどまり、海上保安庁水路部も、青海移転まで、この周辺にあった。


海軍発祥の地(旗山の石碑)
Dcim0456/Dsc_2922.

海軍兵学寮跡(石碑)、海軍軍医学校跡(石碑)
Dcim0456/Dsc_2898.

海軍経理学校の碑(石碑)
Dcim0456/Dsc_2926. Dcim0456/Dsc_2927.

海上保安庁 水路部/海洋情報部 庁舎
Dcim1440/DSC_8064.

その後、海軍省は、霞ヶ関に移転している。


海軍省 (明治)
Pict_0872.

海軍省の所在地、及び、建物の配置について、かねがね気になっていましたが、 有効な資料が見つかりましたので、紹介いたします。

資料は、[防衛研究所図書館]所蔵の「文部省屋上より撮影した海軍官衛全景写真(昭和12年)」で、無線塔の撮影を目的としたもののようです。

海軍省の所在地は、当時「東京市麹町区霞ヶ関」、 現在の農林水産省「霞ヶ関1−2」の位地です。
周辺の物は、名称の変化はあるものの、同じ組織体がほぼそのままあります。

back
「文部省屋上より撮影した海軍官衛全景写真 [防衛研究所図書館]G写真2」添付の図より調整

@:電信所
A:海軍印刷所
B:海軍省玄関
C:艦政本部、航空本部
D:1階 海軍省軍務局、 2階 軍令部
E:1階 管制本部、 2階 海軍省軍需局
▲:電信鉄塔 (推定高さ50m) 針生の信号塔のように3本連立の物


庁舎は、ジョサイア・コンドルの設計により1894年に完成。終戦後は徐々に解体され、1985年に完全に撤去されている。


農林水産省(合同庁舎1号館)

Dcim0503/DSC_8930. Dcim0503/DSC_8909.

海軍省の位置について、合同庁舎第5号館(厚生労働省、環境省など)としているものが多いが。。。
農林水産省(合同庁舎1号館)「霞ヶ関1-2-1」と、合同庁舎第5号館(厚生労働省、環境省など)「霞ヶ関1-2-2」は、「霞ヶ関1−2」の同一区画の、西と東であり、築地からの移転当初は、東部分は衆議院議長官邸の敷地とされていた。
その後、全区画を海軍省・軍令部が占有したと思われ、庁舎正門も、西側にあった。
海軍省・軍令部跡の碑が、東南角部分にあるようで、合同庁舎第5号館(厚生労働省、環境省など)の敷地内であることから、そういう理解となっていると思われる。
従って、間違いともいえないが、絵画の裏面を見て感心しているようなものでもある。




戻る TOPに戻る

新規作成日:1998年11月9日/最終更新日:2016年5月19日