太平洋戦争の考察(真珠湾攻撃の第二次攻撃・ミッドウェーの雷爆換装)

真珠湾攻撃で、なぜ第二次攻撃隊を出さなかったのか。
ミッドウェー海戦で、なぜ、何度も魚雷と陸用爆弾を積み替えたのか。

ふと、思っていたのですが、「日本が貧乏」だったからではないでしょうか。

B29の空襲を見るに、1機30−100発もの爆弾を何十機もの編隊でバラバラ落し、これを何日も、何個所も・・・。1機30発、30機、10日、とすると、9000発もの爆弾が必要です。絵でもいいから、といっても9000も書くのは大変ですが、アメリカにはこの物量が十分にあった。前線にはその必要な量が十分にあり、洋上の補給線には継続するに十分な量が船上に、そして国内では生産が続く。
日本の場合は、必要量は、生産が完了し、輸送後、始めて揃うもので、輸送に事故あれば不足、余りは到底無かったのでしょう。
事実、真珠湾攻撃の、戦艦攻撃用の徹甲弾や、浅海魚雷、やっと間に合って搭載出撃し、それも丸々2回分は揃っていないはずです。

最近は「もったいない」と言う事場も聞かれなくなりましたが、 戦後の高度成長期を過ぎてからの我々に「物が無い」という姿は、例外なので、忘れ勝ちですが、当時の日本には、それだけ、物が無かったのです。

命中率10%なら、アメリカの計算では、10を投入すれば1は当たってます。
しかし、日本は、自分の1発は、この命中率10%の当たる方に該当しなければならないのです。

ゲームなどでは、爆弾の数量をそれほど気にする事はないのですが、当時の日本には、それが十分無かったのではないでしょうか。

真珠湾攻撃で、第二次攻撃隊を出さなかったのは、第一次攻撃隊で、相当の成果を上げた。すなわち、第二次攻撃隊を出しても、投入物量の割に戦果は上がらない。
とすれば、貴重な弾薬は、今後の海戦に温存する必要があるのでしょう。

ミッドウェー海戦で、なぜ、陸用爆弾のまま、空母の甲板を叩く事を考えなかったのか。
これも、アメリカに主導される、合理性の発想なら、「まず飛行甲板を叩き、次にボツボツ沈める」となるのですが、この時、貴重な弾薬が、2倍必要になります。
陸用爆弾では、艦は沈められない。とすれば、十分な装備で攻撃に向う事を考えるのではないでしょうか。



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新規作成日:1998年8月8日/最終更新日:1998年8月8日