忠臣蔵 の考察

例年12/15になると、日本中が、赤穂四十七士で賑わう。
赤穂義士、そう、主君浅野内匠守に対しては、忠義の士である。
しかし、日本全国に対して義士かと言うと、どうであろうか。
忠臣蔵の物語は、勧善懲悪の、主君忠義、判官びいきをして成り立っている。
あくまで物語「仮名手本忠臣蔵」であって、史実とは必ずしも一致しない。
物語では、吉良上野介は憎く意地悪な爺であり、善良な浅野内匠守が我慢に我慢を重ねた上、耐え兼ねて刃傷に及んだが、 咎めを受け、家臣は路頭に迷い、忠義の士が、主君の仇討つ設定である。
芝居の配役も、吉良上野介には悪の頂点が割り振られ、憎さ百倍の演技をする。
さて、事は、江戸城松の廊下で、接待役の赤穂藩主浅野内匠守が、高家筆頭吉良上野介に刃傷に及び、切腹お家断絶となったことに端を発する。
ここで、吉良上野介の賄賂とか、浅野内匠守乱心とか色々言われているが・・・。
「吉良上野介の賄賂」については、近代の賄賂と性質が異なることに注意しなければならない。
徳川の時代、幕府役職は譜代の家臣が占めてはいるが、録高は高くない。
また、参勤交代など、各藩の財政を消費させる政策も多い。
ここで、譜代の家臣の財政を補い、外様の財力を削ぐ政策として、俗に言う賄賂が認められている。
したがって、昨今に見られるような「公務員の収賄が法律により禁止」されているにも関わらず横行している「賄賂」とは基本的に異なる。
いわば、年賀・中元・歳暮程度の感覚であり、認められた副収入である。
言わば欧米のチップ制度のようなものである。
あの時点の吉良上野介がどう振る舞っていたかはわからないが、 現代の我々も、ボーナスが少なければ、やる気も失せるだろう。
或いは、月謝、コンサルタント料が、不足ならば、満足な援助も受けられまい。
また、一晩での畳替えや、装束などの、意地悪とされるものも、 浅野内匠守は、このお役目は2度目であり、経験済みの役儀を十分にこなせなかったのは、浅野内匠守、及び、江戸家老、江戸詰めの藩士の、怠慢に他ならない。
更に、吉良上野介が、国許においては「名君」とたたえられている事も忘れてはならない。
江戸城松の廊下での刃傷を、浅野内匠守乱心と見るか、何らかの遺恨と見るか、これは現在のところ、明確な証拠はない。
しかし、殿中をわきまえず、ましては、接待役の身でありながら、刃傷とは、やはり尋常ではない。
この後、吉良上野介にはお咎めなく、浅野内匠守に切腹、家名断絶の沙汰となり、 これが、武家の習いたる「喧嘩両成敗」に反するとされる。
しかし、これも考え様で、「浅野内匠守が喧嘩を売っても、吉良上野介は買わなかった」し、 「喧嘩ではなく、浅野内匠守乱心で、吉良上野介に切りかかった」となれば、単なる障害事件である。
「喧嘩両成敗」は、抑止効果を狙った取り決めであると共に、その経緯をつかみにくいが為の優劣無き裁定のありようである。
裁定の一面には、「外様大名の取り潰しは歓迎傾向にある」事も否めない。
また、接待役としての任を蔑にした責めもある分けで、 まして、裁定を下したのは、幕府であり、吉良上野介が意見を述べたわけではない。
この後、赤穂家臣の一部は、お家再興を願い出るが受け入れられず。
大石蔵之助以下四十七士は、綿密な計画の上、吉良上野介を討つ。
これを、義挙と見るか、売名行為と見るかも議論の別れることだ。
しかし、冷静に考えたい。
確かに赤穂藩士にとっては、主君の本懐を遂げる意味はあり、忠義の臣かも知れない。
が、四十八人もの侍集団が徒党を組んで、老い先短い老人を襲い、首を刎ねる。
この局面を、国民そろって「義士」と言い、称えることには、疑問を感ずる。
「忠臣蔵物語」としては、結構なことだが、 史実を冷静に考慮すれば、そら恐ろしい事ではある。
討たれた吉良上野介は、当然の果てであったのだろうか。
単に、無能な主君に従った連中の暴挙の犠牲者ではなかろうか。
巷に伝わるのは、あくまで、「忠臣蔵物語」なのである。
実際の討ち入りは四十八人であるが、切腹したのは四十七士であるから、赤穂四十七士とされている。
もちろん残りの一人も、逃げたわけではないが。
泉岳寺の四十七士の墓に参り、悪の鏡吉良上野介を討った如き、義士祭は、どう見ても釈然としない。
いじめ問題が叫ばれているが、これこそ、国民を上げての「いじめ」ではなかろうか。
江戸時代を題材にした物語として「水戸黄門諸国漫遊」がある。
こちらも、行く先々で、悪を懲らしめる勧善懲悪ものだが、フィクションである事は周知の事実である。
ドラマで懲らしめられる悪人どもは、実在のものではない。
しかし、吉良上野介は、実在の人物である。
例えば、善良な老人が、夜遊びの少年に注意をしたとする。
ここでその少年が「何を、しじい、喧しい」と殴り掛かったところ、警察に補導された。
その後、この少年の仲間数十人が、徒党を組んでこの老人を取り囲み、殴るケルの暴行を加えたとする。
さて、この少年たちは「仲間思いの良い友達」と称えられるのであろうか。
この老人は暴行を加えられるべき悪人なのだろうか。
「事実を認識し、的確な判断を」と言う観点からは、 こういった日本人の感覚は、相当にずれていると言わざるをえない。




戻る TOPに戻る

新規作成日:1999年1月4日/最終更新日:1999年1月14日