真珠湾攻撃のルーズベルト陰謀説

太平洋戦争開戦の経緯として、アメリカ合衆国の時の大統領、ルーズベルトによる陰謀説が、しばし語られる。
真実は、もはや故人のみぞ知る所で、あとは分析や推測に過ぎない。

本日、テレビ東京で特番が有り、日高さんが解説していた。

開戦直前における日米交渉。
ここで、我が国の外務省の暗号が、アメリカには筒抜けだった事は周知の事実である。
ただ、この時点で、日本海軍の暗号までは、まだ破られていなかった。
−しかしながら、海軍の暗号も、半年後のミッドウェー海戦までには、ほとんど解析されているので、その辺から、誤解も生んでいるようだ−

日本政府の外交交渉と同時に、開戦を準備していた日本軍は、交渉決裂後を想定し、ハワイなどへの攻撃を準備していた。
ここで、アメリカ海軍は、我が南雲機動部隊の所在が掴めず、調査をしていた。

外交ルートに暗号から、開戦必至と見たアメリカは、警戒を強める。
ここで問題なのが、真珠湾の体制だ。

今でこそ、危機管理上、軍事施設全てが危険と考えるが、当時はどうであろうか。
日本から遥々3000浬も彼方。まず、やってくるかどうか、攻撃対象となりうるかどうかがテーマで有る。
まずやってこられないだろうと考えても、不思議ではない。

もちろん、攻撃目標となっている体制と、そうでない体制では、心構えは違う。
しかし、軍事施設である以上、敵国からの攻撃に備えるのは当然である。
太平洋艦隊がドイツに攻撃される、或いは、日本海軍が大西洋艦隊を攻撃する、このようなケースより、至極当然に、太平洋艦隊の真珠湾は、日本海軍の攻撃目標と考えて間違いはない。
東洋民族、日本人に対する偏見、イエローモンキーには飛行機など飛ばせない、程度の偏見から来る、過小評価も手伝っていたであろう。
そして、その油断の結果が、先制奇襲を許したわけで、対奇襲体制は、その後のアメリカ軍の、一つの基本となったわけである。

真珠湾では、魚雷攻撃からの防御網を使用していなかった。
これは、真珠湾の深さ12メートルと、当時の航空魚雷の運用を考えたら、使用する必要も無い。浅い港湾自体、航空魚雷の防衛体制なのである。
−その不可能を可能とした、日本海軍の技も、奇襲の戦果をあげたゆえんである−

真珠湾に空母が居なかったのは、攻撃を避ける為か?。
海軍力の序列は、あくまで、戦艦、空母、巡洋艦・・・、である。
12月8日を境に、戦艦の戦いから空母の戦いになったのも事実だが、その日まで、空母を筆頭戦力と考えていた海軍は、どこにも居ない。

番組中、アメリカの分析で「日本の攻撃対象は、ソ連であるほうが理解しやすい」と言うものがあったようだが、これは何かの間違いであろう。
当時、日本は、日ソ不可侵条約を締結していた。
−もっとも、日独伊三国同盟を締結していたのに、ドイツはソ連へ侵攻し、我が国はソ連と戦争をしない条約を結ぶという矛盾は有ったのだが−
更に、アメリカによる、対日経済封鎖。
その打開策として、南方の資源を確保する。
この図式の中で、ソ連を攻撃する意味は存在しない。
確かに、ノモンハン事変などで、日ソの国境紛争は有ったが、シベリアを制圧しても、当時の問題は打開しない。
また、日本海軍にとって、ソ連軍は、対象ですらなかろう。
攻めるべき物が存在しない。若干の警備艦で十分である。

あくまで結果論だが、日米海戦の国内世論統一が不可能なアメリカは、対日カードが手詰まりで、なす術が無く、その意味で、日本がドイツと共同し、ソ連を挟み撃ちにして征服すれば、確かに新たな局面を得ていたかもしれない。
しかし、あくまで結果論で、当時の日本に、そのような判断を下す術はない。
「日ソ不可侵条約」破棄は、アメリカの勧めでソ連が行ったが、律義な日本が一方的は来はしないだろう。

その意味では、南雲機動部隊は、グァムや、ミッドウェー、フィリピン、南方などを、攻撃し、上陸部隊の直接支援に当たると考えたほうが、自然である。

そうような経緯から、アメリカは、開戦劈頭の奇襲攻撃は、当然予想すべきだが、必ずしも、太平洋艦隊全てが攻撃目標となるとも想定できなくても致し方なかったであろう。
また、開戦、真珠湾攻撃の損害を、国論統一に利用したという、某略説は、損害の結果を流用した事は確かであるが、故意に損害を出させて、国論統一に使ったという事は、ないと考えている。


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新規作成日:2001年12月16日/最終更新日:2001年12月16日