私の見解
私の見解
あくまで、現時点の、私のつたない情報と、経験、世界観による見解である。
見落とし部分に対する新たな情報、異なる見解について、ご意見を賜りたい。
- 日本の国旗(日の丸)、国歌(君が代)の問題
一部では、法律の定めが無いなどとしているのだが、国の象徴として必要なものである。
列国参集する中、我が国のみが旗を持たずしてどのように存在を明らかに出来ようか。
日本の国旗を日の丸、国歌を君が代とするに、何ら問題を考えない。
いかんと言う向きは、その代替えを示すべきであろう。
- 憲法9条の解釈
確かに、読み方によっては議論も多い。
当初の経緯と、その後の国際情勢は、必ずしも一致しない。
しかし、本来、法律とは人の為にある。
人の為に触りが有るのであれば、修正すれば良い。
現時点でも、国防までを放棄したと断言するには問題が有ろう。
- 自衛隊の存在可否と必要性
憲法9条の解釈にもかかわるが、国防を放棄しないとすれば、法的にも何ら問題と考えない。
また、現代世界の一国として、国防の備えが無いなど、空論に過ぎない。
国防力は、単に軍事的脅威に対抗するばかりではなく、災害、国際援助など、期待される面は大きい。
- 太平洋戦争の大陸での戦いの虐殺などの問題点の認識。
現時点で、十分な資料はえられていない。
戦争は悲惨なもので、恐怖の余り過剰な行動も多々発生する。
これを肯定はしないが、虐殺の有無、個別の案件毎に、検証することが必要であろう。
安易な風呂敷きを広げたお話では、議論の意味を持たない。
- 昭和初期の大陸での軍事拡大
21世紀の今日、確かに侵略的要素は見える。
しかし、当時、欧米列強をして、アジアアフリカへの植民地支配を広げている中、我が国のみが非難を浴びるのも不自然である。
一つには、支配下の人々が、どのように評価していたかも有ろう。
- 日米開戦の経緯
- 対米戦争の正当性
我が国の結果として、対米戦争は失敗策であったろう。
勝利、もしくは有利な条件での終戦を実現できなかったという意味において。
しかし、当時の政権が、選択肢として他にカードがあったかと言うと、議論の余地が大きい。
一つは、日本のプライドである。
大陸の利権を放棄するなど、アメリカに屈する何物でもない。
その意味で、譲歩案を持たないアメリカの国策に対し、一つの結論と見ざるを得ない。
ただ、結果的には、アメリカには、戦争をもって、我が国に指図をし得る国内世論が無かった点において、アメリカ側からの参戦は薄く、更なる交渉の余地もあったと見るのは、後世の結果を知る身としてである。
- アメリカによる戦略爆撃の正当性
- 原子爆弾投下の正当性と犠牲者への責任の所在
戦時国際条約と言う物がある。
戦争と言えども、人道に配慮し、不必要な残虐行為を縛めたものである。
軍需工場への戦略爆撃は、戦時下、正当性は有ろう。
しかし、都市、市民を対象とした、焼夷弾による爆撃は、国民そのものを狙って戦意喪失を計ると言う戦略目的にもとづいたもので、国際法の精神に鑑み、違法性が高い。
まして、原子爆弾に至っては、実験的要素も大きく、違法であろう。
しかし、戦争自体、理不尽なものであり、制限など、滑稽でもある。
- 戦後処理の正当性
東京裁判の正当性は、インドのパール判事の言「連合国の戦争犯罪も裁かれるべきである」が却下された事で象徴されるように、戦勝国による処理に過ぎない。
これについて、21世紀を迎えた今日、あらためて見直す必要も有ろう。
明治維新で結んだ不平等条約を修正したように。
- 周辺諸国への、謝罪問題。どこまで解決し、何が未処理か。
政府間の問題は、平和条約締結時点において、解決している。
被害者の立場としては、誰かに何らかの補償を求めたいのは当然であろう。
しかし、国家間の問題において、個別の個人レベルで問題化するのはいかがなものであろうか。
と言うのは、言ったもの勝と言うことで、著しく公正さを欠くからである。
対して国内に対し、戦災で焼け出され、あるいはシベリアで抑留された国民に、十分な補償が出来ているのであろうか。
こういった負担が個人に負わされて解決されている以上、特定の国家国民に、補償問題を対応するのも不可解である。
また、あえて言うなら、有史以来の全ての国際紛争について、解決すべきであろう。
我が国も、蒙古襲来の補償は、受けていない。
- 靖国神社と英霊の問題
戦犯合祀が問題とされているが、戦犯は、東京裁判において決められたものであり、我が国の見解と一致しない。
靖国神社は、明治維新以来の我が国護国の為に命を捧げた英霊全てを奉っている。
それに感謝し、国として奉ることになんの問題も考えられない。
⇒ 政治的話題の公開質問(2002.6.9)
新規作成日:2002年6月17日/最終更新日:2002年6月17日