パフォーマンスの人間の盾

イラクに「人間の盾」として、NGOなど、世界の市民が行っていた。

今回、アメリカ軍が「安全の保障はできない」発言をしたことと、イラク側が、より攻撃目標となりやすい地域での「人間の盾」活動を進めたことにより、過半数が退去したらしい。

「人間の盾」すなわち、世界の市民が、自らの命を盾に、平和を訴える行為だ。
攻撃側に対して、「人間の盾」をも粉砕するような野蛮な行為を戒めるのが本来の活動であろう。

「人間の盾」になっていた各自の命は各自のものだ。
継続するかどうかは、各自が判断すればよい。

しかし、もともと安全なところで、「人間の盾」になりましたと大声で言うのはおかしいだろう。
元来は、攻撃を受け、もはや「人間の盾」が効果を失うまで、そこにとどまってこそ、「人間の盾」である。
今回、退去したものは、「人間の盾」ではなく、単なるパフォーマンスに過ぎない。

パフォーマンスの本来の意味は「実行」である。
しかし、我が国においては「実行を伴わない見かけの表現」の意味で使われることが多い。
今回は、その意味で「パフォーマンス」と言おう。

人質もそうだが、結局は、最大多数の最大幸福ではなかろうか。
「人間の盾」の犠牲を払っても取り除くべき危険と言う物もあろう。
かつて日本赤軍がハイジャックした折り、日本政府は乗員乗客と引き換えに、犯人を釈放したことが有った。
「断腸の思い」とか「超法規措置」と言われたが、世界の目は冷ややかに、呆れ果てていた。
目先の安易な解決と、その後の危機管理の天秤において、他国では到底考えもつかないことだったのである。



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新規作成日:2003年3月6日/最終更新日:2003年3月6日