アメリカ、アングロサクソンの論理
2003.3.21 アメリカは国連決議ないまま、イラクに侵攻した。
それが世界平和の為であるという。
しかし、この論理は正しいのだろうか。
他の国がどのような政権を維持するかは、その国が決めることだ。
他の国の影響による政権は、「傀儡政権(かいらい)」といわれる。
21世紀を見た今日、人道問題も重要な物で、非人道的な政権は改められるべきだという。
しかし、その判断は、国家、民族、風俗、時代によって異なる物だ。
アメリカのスタンダードで世界が塗り替えられるとすれば、これはアメリカの世界征服とも言われよう。
その昔、我が国が平穏な鎖国時代を送っていた時、軍事的圧力により、開国を強要したのはアメリカだった。
ロシアの代表は、誠意を尽くした温厚な交渉だった為、徳川幕府に拒否されている。
この開国がなければ、明治維新もないだろうから、その後の歴史による、富国強兵、大陸進出、太平洋戦争、経済摩擦という展開も、大きく異なっていただろう。
産業革命は、イギリスで始まった。
化石燃料たる石炭をぼんぼん燃やして工業化を進める。
生活は豊かになったが自然は破壊された。
燃やす物が石炭から石油に代わると、中東の利権も大きくかわってくる。
地球温暖化問題は、産業革命が発端であり、オゾンホールにより白人から順番に皮膚癌のリスクを持つのは偶然だろうか。
大英帝国などの植民地政策を、大日本帝国は模倣した。
ロシアの南下の牽制として日本を支援したアメリカは、日露戦争後は今度は我が国との利害の対立に進んで行く。
核兵器、生物化学兵器などの大量破壊兵器は、悲惨な兵器だ。
イラクにかかわらず、廃絶が好ましい。
しかし、実際、最初に核兵器を開発したのはアメリカだし、実際に実戦で使用したのも、唯一アメリカだ。
他国の兵器を脅威として先制打撃により取り除くという論理。
攻撃は最大の防御だ。
しかし、この攻撃に対して抑止力を持つのが、戦略核抑止力ではなかったろうか。
米ソ冷戦時代、ソ連の脅威に怯えていたのは我が国を含む西側だ。
鉄のカーテンの向こう側の情報が聞こえてこない為、必要以上に恐怖心をかきたてる。
が、冷戦崩壊後わかってきたことは、ソ連こそ、西側の脅威に怯えていたのだ。
そして、ソ連には先制攻撃の意志がなかった。
しかし、アメリカは今回、イラクに先制攻撃をかけているのである。
すなわち、相手が反撃能力を持たないうちに叩き潰せば安全と言う論理だ。
この論理が、世界中に受け入れられるはずもない。
無差別テロは容認できない。
しかし、アメリカのこの論理が、テロとその結果において、どれほどの差があるというのだろうか。
初弾でフセイン大統領の中枢を狙った。
本来、大量破壊兵器の除去をいっていたにもかかわらず、人間を狙っているのである。
アメリカにとって、悪の中枢という論理だ。
しかし、だからと言って、国を挙げて血祭りにあげてよいわけではなかろう。
イスラム社会で多数決をとれば、ブッシュ政権こそ、取り除かれるべき物なのである。
米軍の検問を突破した民間車輌を米軍が銃撃し、民間人に多数の死傷者が出た。
これに対して米軍の発表では「戦闘では、ある程度の犠牲はやむを得ない」と言う事だ。
確かに戦闘で犠牲は出るだろう。
しかし、この発表は、米軍の兵士の損害の場合に、米国民への発表として行われるべき問題であり、世界に対する説明としては、不適切である。
双方に主張はあろう。米軍は正当な手続を踏んだと言うが、そもそもイラク領内で勝手に民間車輌へ規制をかける事は、もともと合法性はない。
これが侵略者の正体と言う見られ方に繋がるのである。
新規作成日:2003年3月22日/最終更新日:2003年4月5日