2004.4.8イラク日本人人質問題
2004.4.8 衛星放送のアルジャジーラが、アラブ武装組織に人質となった日本人3名の映像を伝え、衝撃が走った。
事件解決は日本人の総意だが、ここでは別の視点で見てみたい。
人質を盾に要求をすることは卑劣な手段だ。
日本人は人命を最優先する。
それはそれでよいのだが、目先の人命だけでも困りものだ。
「人間の命は地球より重い」として犯人の要求に屈して世界の笑いものになった事件もある。
さて、今回の人質だが「本来まったく危険がないはずの日本国民が巻き添えになったのか」というとそうではない。
イラクには渡航自粛勧告が出ている。
それをも超えて行かねばならないと判断するのは本人の自由だが、こういった邦人をも日本政府が保護しなければならないというのは無理がある。
家族としては「犯人の要求に屈しても本人の安全を」というのは本心だろう。気持ちとしては理解する。
ただ、それが是が非でも受け入れられるべきかどうかは別問題だ。
国内で子供が遊具で怪我をしたというのではない。
本人が危険を承知で渡航した先での事件である。
更に言えば、無謀な渡航によって、日本政府国民に迷惑をかけ、騒ぎとなっていることに責任も持ってもらいたいものだ。
自衛隊派遣が原因だという。
確かに、反対勢力にとればそれは「理由」だが、それが正当なものかどうかは国際世論を含めて判断はさまざまである。
また、人質も、例えば日本国内で無関係な市民が人質にとられたものとは違うのである。
北朝鮮拉致問題のように、日本政府の治安責任下にもかかわらず市民が連れ去られたのではないのだ。
TBSでは、2004.4.9の番組で、人質の家族を呼んで議論が交わされた。
この中で、番組の誘導方針もあるのだろうが、人質救出の為に自衛隊が撤退するのは当然であるかのごとき、家族側の身勝手ともいえる発言が飛び交った。
家族を救いたい気持ちもわからないではないが、無謀な渡航をした反省も欲しいところだ。
また、同番組では、「バトルトーク2004年4月9日(金)のテーマ」としてホームページ上で「イラクの日本人人質事件で小泉総理は、「自衛隊の撤退はない」と明言。あなたは、小泉総理のこの発言を支持しますか? 」としてA:支持する、B:支持しない、C:-、の意見が集められた。
2004.4.10 11:50時点ではA:1669 B:164 C:33 となっていた。
途中でカウントがリセットされたこともあったが、概して「自衛隊の撤退はない」ことが理解されている。
また、あくまで仮説なのだが。
本件が、額面どおりの人質事件ではなく、自衛隊撤退を目論んだシナリオである可能性も否定はできまい。
同一グループかは不明だが、韓国人も拉致されたが解放されている。
韓国軍は、当初から戦闘部隊を派遣しており、日本より「占領軍」の色彩も強いにもかかわらず。
3日という期限があるから、ある程度早期に展開はあるだろう。
不測の事態、一般には「不測」と表現するが、冷静に考えれば1つの想定範囲だが、人質にとって最悪の局面もあるだろう。
が、ここで「早期に撤退させていればよかった」などという、ぼけた発言が飛び交うだろう。受け狙いのマスコミや野党を含めて。
が、では、同時に別の人質がとられて「自衛隊が撤収した場合人質の生命は保証しない」とのたまった場合どうするのだろうか。
どっちの人質の生命を優先するのだろうか。
と考えれば、人質の代償論が、意味のないことに気が付くはずである。
「野党xx党を解党しなければ人質を殺す」と迫った場合、はいそうですかと解党する訳がなかろう。
人の命は地球より重い。
が、1人の命より、2人の命のほうが重いのである。
ごく一部の犠牲は、全体のためには許容されざるを得ないのだ。
もちろん、犠牲を最小限とするための方策は最大限に図られるべきである。
しかし、本人も、リスクの把握と自己防衛は図るべきだ。
道路の真ん中に突然立ちはだかって走ってくる車に「止まれ」と言ったがひき殺されてしまったとする。
とりあえずひいた車は道路交通法違反にされるだろうが、ひき殺されたほうも、別に褒められはしない。
同情として「気の毒ね」との声はあるだろうが、おそらく笑いものになるであろう。「馬鹿じゃないの」と。
あくまで極端な例だが、行動の限度範囲は、程度問題である。
危険とされる地域にわざわざ出向くことは、覚悟が必要ということだ。
いずれ何らかの結論は出るのだが、要求の二者択一たる「自衛隊撤退」以外の結論が出た場合、鬼の首をとったように騒ぐ姿も垣間見える。
あらかじめ想定すべきだが、それはこの場合、折込済みとすべきだろう。
「冷たい」と考える向きもあるが、危険地帯に足を踏み入れた代償でもあるのだから。
これを全面的に政府の責任にするのはおかしな話である。
また、要求文書には「映像の放送から3日後」という期限が示されているという。
なれば、放送がなければ、3日後はなかったわけである。
放送したマスコミの責任も問われるのだろうか。
2日後、24時間以内に解放する旨のFAXが送られたが、進展はなかった。
家族は、マスコミや政党に積極的に働きかけている。
「政府は情報をすべて伝えろ」と強気だ。
一方、外国人記者からの質問に対しては「回答内容によっては人質の安全にかかわる」と答えない。
家族が答えないのも勝手だが、ならば政府への要求も一方的なものだ。
2004.4.15 18:00のNHKニュースでは「3人の殺害された日本人」との報道があったが、許されざる失言であった。
果たして、2004.4.15に無事解放された。
とりあえず、無事解放でよかったということだ。
が、彼らの無事は単なる事象であって、周囲の迷惑が一段落したから良かったという意味が大きい。
さて、このうち1名はイラクに残って写真を撮りたいそうだ。
この発想がすべてを物語っている。
某政治家は、本件処理に関する費用のうち、しかるべき額の請求をすべきという見解を出しています。(某とする必要は特に無いのが、現時点で役職名等の確認が出来ないため)
家族側の当初の身勝手な要求も、各種指摘や抗議の効果か、多少なりとも常識的な言動に移行している。
無事解放の祈りが必要な対象との選別があってもよいのではないだろうか。
北朝鮮拉致被害者とはまったく条件が異なるのだ。
社会秩序を無視した活動は本来の主旨以前の問題だ。
帰国前の現地医師の診断では、PTSDの症状があるという。
解放時、あれだけ顔色も良く、元気だったのに??。
人質としての恐怖からきたものではなく、国内の騒ぎに対する、自らへの追求への恐怖ではなかろうか。
2004.4.30 人質3人のうちの2名により記者会見が行われた。
現場では、特に危機感は無かったようだ。
ビデオ撮影中に「もっと怖がれ」と脅され、恐怖感があったという。
意味不明だ。
国内では、身勝手な家族が自衛隊を撤収させろと大騒ぎしていた現場では、不安なき日々を送っていたという。
謝罪会見は、不必要に騒いだ、家族がしなければならないようだ。
新規作成日:2004年4月9日/最終更新日:2004年4月30日