イスラム教は邪悪な宗教なのか?
中東での混乱を背景に、イスラム諸国との対立が目立っている。
シーア派や、オサマ・ビン・ラーディン氏など、イスラム過激思想の横行もある。
では、イスラム教は邪悪な宗教なのか?
そもそもイスラム教は、その経典コーランによって教えられる。
そして、コーランは、アラビア語で書かれており、訳本ではなく、アラビア語で理解しなければならないとされている。
従って、私自身がイスラム教の本質をどこまで理解しているのかと言うと、はなはだ低いレベルではあるが、社会情勢として垣間見えている中から、若干の考察を試みたい。
「訳本ではなく」というのは、教えを誤解なく伝えるためには、正しいことだ。
翻訳と言うのは、言語、習慣が異なれば、自ずと解釈が異なってくる。
「目には目を」と言う教えがある。
そして、刑罰には、犯人の手足を切り落とすと言うことが、21世紀の今日でも行われている。
先進国から見れば野蛮ともされることだが、しかし、被害者やその家族の心境からすれば、至極当たり前のことを教えている。
先進国の「教育刑」というものは、被害者の権利を考慮していない。
女性は肌の露出が厳しく禁じられている。
アラビアの女性は、目の部分以外を、見せないベールで覆われている姿も多い。
ミニスカートやビキニなどはもっての他と言うことだ。
肌の露出は、すなわち、男の心を乱す。
痴漢などの原因の多くは「ムラムラとして」と言うものだ。
もちろん、衝動に駆られて欲求のままの行動を肯定するつもりは無い。
が、挑発誘惑するがごとくの服装が、まったく落ち度がないかといえば、そうでもなかろう。
イスラムの教えは、それを説いているわけだ。
そしてまた、全身をベールで覆えば、容姿を知ることは出来ない。
美女を求める男の欲求を抑える効果は絶大である。
されば、それこそ、外見にとらわれない、平等を求めていることになりはしないだろうか。
もちろん、ベールに覆われていても、身長の高低と、ある程度を超えた横幅の区別くらいはつくだろうが。
イスラムでは、酒に酔うことを禁じている。
飲酒を禁じているわけではないようだ。
従って、本人の判断に負うことも大きいようだが。
教えは、酒に酔うと、羽目を外すからそれを禁ずると言うことだ。
もちろん、これらが全てではない。
しかし、教えと言うものは、やはり、それなりの合理性があるものだ。
宗教の本質は、人心を安定させるものであろう。
されば、このように、人間の心の弱い部分への暴走を抑えるものも、必要な部分である。
新規作成日:2004年11月23日/最終更新日:2004年11月23日