泣いて馬蜀を斬る

「泣いて馬蜀を斬る」
中国三国志の時代、諸葛孔明の部下馬蜀が功名にはやり命令違反を犯し、為に、諸葛孔明により処刑された。
馬蜀は有能な指揮官で、将来を嘱望されていたが、命令違反にたいし、厳正に懲罰し、為に諸葛孔明は、泣きながら処刑したというものである。

さて、最近のちゃちな政治の舞台でも、「泣いて馬蜀を斬る」の例えが良く聞かれる。
が、あまりにも認識不足でお粗末だ。

「有能な部下であるが、断腸の思いで更迭する」ということを言いたいのだろうが、根本的な部分が欠如している。

馬蜀は軍人であり、戦場の現場指揮を命ぜられていた。
名将諸葛孔明は、部隊を派遣するに当たり、布陣場所を特定し、命令とした。
が、現地に向かった馬蜀は、現場の状況判断により、布陣位置を変更した。
果たして決戦、結果は大敗。
諸葛孔明は、敗因を予測し、布陣位置を指定していたとされる。

見解の分かれるのは、現場指揮官の裁量権の範囲である。
戦況は現場で大きく動く。
これを、後方の上級指揮所では見て取れず、臨機応変な対応も必要である。
ただ、諸葛孔明は、布陣位置の命令は絶対のものであり、これを守らなかったことは、理由の如何にかかわらず、指揮統率上問題ありという判断となったものである。

ポイントだが、馬蜀は、現場指揮官として、作戦指揮上の越権、命令違反をしたということである。
そしてそれは、指揮官としての功名心の有無に関わらず、よりよい結果を標榜してのものである。

さて、昨今の政治家はこの点を見落としている。

有能な側近、表には見えない多くの働きを言う。
働いて当たり前だ。
しかし、問題は、処罰対象のポイントである。
馬蜀は、命令違反とされたとはいえ、私利私欲のためではない。
不正行為とは異なるのである。

人事権の乱用、行政の停滞、汚職などは、論外なのだ。



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新規作成日:2005年6月9日/最終更新日:2005年6月9日