北海道で発生したイスラエルコンテナ船による漁船転覆事故

2005.9.28北海道根室沖で、漁船の第3新生丸が転覆し7人が死亡した事故は、その後の捜査で、イスラエルコンテナ船との衝突事故であることがわかってきた。

これに対して、イスラエルの海運会社ZIMの社長が来日し、謝罪と弔意を示すと共に、捜査機関への全面協力を約束した。

今回は公海上の事案であり、わが国海上保安庁には直接の捜査権はないが、同社は積極的に情報を開示し、香港で同船の船体調査も行われた。

さて、現地に訪れたイスラエルの海運会社ZIMの社長に対し、遺族側を代表して漁協から「事故の全責任を負い、全損失を支払う」との誓約書へのサインを求めたが、捜査の結果を待つとして拒否された。

遺族側は、「当て逃げ」「救助しなかった」「今頃遅い」などの声もあるのだが・・・。

確かに、遺族の立場としての心境は、これ以上のものはない。
が、その責任をすべて相手に押し付ける姿勢は公正さに欠ける。

そもそも、悪質な場合は、一切を否定すればそれで終わる。
衛星の情報だの、接触跡など、証拠の一つではあるが、国が違えば捜査手法も変わる。
これに対して、今回は公正な捜査を受け入れているのだ。

また、いくつもの疑問や問題点も存在する。

漁労中の漁船には、航行の優先権が存在しており、今回の場合には、コンテナ船に回避義務はある。
が、それは、明確に「漁労中の漁船」を示す灯火表示を行っていなければ、闇夜の中では判らない。

また、船舶が衝突の危険を感じれば、かつ、相手船に回避の兆候が無ければ、汽笛などで衝突警報を発する必要がある。
仮に衝突の瞬間まで汽笛が発せられていれば、付近の漁船もその時点で異変に気がついたであろう。

車などとは違い、200mを超える大型船では、船首部で少々の衝突があったとしても、直ちに衝突が起きたことを認識することは困難だ。
まして、プラスチックや木造の小型船であれば、流木に当たってのと大差ないといっても過言ではない。
衝突というより、接触、横倒しという局面では、なかなかわかりづらい要素もある。

当て逃げだが、確かに今回、結果的に救助措置をとられていない。
が、衝突転覆を認識したかどうかが大きな問題だ。
衝突の気配を感じなければ、別段の対応が無くても致し方ない。

イスラエルの海運会社ZIMは、日本で言えば、日本郵船など、トップクラスの企業である。
日本国民になじみは薄いが、世界的にも有名な海運会社であり、あたら粗末なことはしないだろう。
もちろん、わが国でも警察官の犯罪がかなりの件数に及ぶように、不心得なものが皆無であることを保証するものではないのだが。
その意味では、外国人のいい加減な乗組員だからなどという偏見は捨てなければならない。

今回、該当海域で、コンテナ船の航路の変化が記録されており、航行中の回避運動を示している。
事故と、この回避運動が、関連が一致したものか、別のものかは今後の捜査次第だが、コンテナ船は、現場海域での操業中の漁船を認識し、回避を行う努力をしたことは確かだ。

イスラエル船は左舷に20〜30メートルの線状の傷が、新生丸は右舷に傷があったといい、北西に向かっていた新生丸と、南西に進行していた大型船がぶつかった場合にできる傷の位置と一致する。
位置関係は捜査を待たなければならないが、単純にいえば、右側優先であり、左側にいた漁船に回避義務が存在する。
もちろん、(実際に網を引くなどの)漁労中であれば、漁船に優先権がある。

また、大型船の船橋からは、至近距離に大きな死角が存在することも認識しなければならない。
これは、見えない部分の責任を緩和する意味ではなく、相手の見えない部分は自分が注意しなければ安全が保てないという意味である。
その意味では、壁のような大型船が、実際にせりよって接触するまで何ら回避措置をとらなかったということも、大きなポイントではある。

船の針路変更は、車などと違い、船主側からでは無く、船尾を振る事によって針路が変わる。
すなわち、船首を何かにぶつけようとしても、おいそれと行くものではない。
これは、船体長が大きいほど顕著である。
従って、同航状態の船舶が接触する場合は、右側の船は針路を右に変えた場合に、船体は左に振りながら接触することになる。

Pict_0230.

東京湾などでは、小型の漁船が他の大型船の航路を無視して横切る例も少なくない。
なだしお事故でもわかるように、海難事故というものは、一方的なものではない。
自動車による交通事故などと違い、出会い頭の瞬間的に生起するものではなく、双方が注意を怠らなければ、十分回避可能な時間差は存在する。
優先権や回避義務がどちらにあるか以前に、当たる前に避ければ事故は起きない。
そもそも海は、自然の支配するものであり、その中で船は木の葉にも等しい。
海難が発生すれば、最寄の船舶が救助に当たるのは海の掟だ。
事故の相手に責任を問うのも間違いではないが、自船の責任は船長にある。
自船と乗組員を守れなかった責任は、船長が負うものだ。
それは平和ボケした日本の領海内ならいざ知らず、公海上、すなわち世界の海に船出する場合の最大の責務である。
目先の責任問題に終始するものに、海を論ずる資格はない。




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新規作成日:2005年10月8日/最終更新日:2005年10月8日