日韓竹島争奪戦もしあらば

竹島は、日本と韓国の間で領土主権問題が未解決の島である。
が、歴史的には、竹島を韓国が領土として主張を始めたのは、李承晩大統領の時代であり、各種の歴史的資料からも、日本の領土であることは明白である。
しかしながら、韓国軍が占領し、実効支配をかもし出しているのも現状である。
先般(2006.5)、この周辺海域に対して、日本の海上保安庁の測量船が調査活動をするにあたり、韓国では、軍を出動させて緊張が高まった。
当然のことながら、日本政府はあらぬ衝突を避けるべく、韓国政府と調整を行い、事なきを得ている。
が、これを機として、韓国国内では、日本との武力衝突のシナリオも考えられているという。

日本の現行憲法下において、武力衝突という選択肢は存在しない。
実際、過去60年間、周辺海域における、各種接触において、直接事に当たっているのは海上保安庁であり、海上自衛隊は、接触の機会から遠ざけられている。
しかも、搭載していなければ発砲はありえないとして、わざわざ銃砲を取り外して警備に当たった時代すら存在した。
これは、偶発的衝突を回避する意味ではもっともであるが、反面、相手方に対する牽制力を弱めているとも言われる。

しかし、竹島の場合、わが国固有の領土という観点からは、ここに他国の軍隊が進駐占領しているという事態は、まさに侵略であり、これを排除する行為は、専守防衛としての大義名分は十分成立する。
が、これを行わないのは、内外の世論に神経を使う政府の方針に過ぎない。
しかしながら、武力による奪還は、一つの戦闘で終結するものでもなく、双方が自己の勝利を持って終わりとしたい以上、小競り合いが継続する要素もある。
先ずは政治的解決が望まれる。

さて、こういった政治的要素を除外して、純粋に戦闘のシナリオを考えてみたい。
実際、韓国では、双方の戦力の比較も行われているという。

韓国軍は、停戦中とはいえ、目下北朝鮮との交戦国であり、軍事的ポテンシャルは高い。
当然のことながら、陸軍の戦力は大きい。
しかし、日韓両国は海を隔てており、地上軍の展開には、上陸作戦を伴う。
竹島の争奪戦となった場合は、両国本土というより、竹島島内が主戦場ではあるが、島の広さはさほど大きくなく、ここに大規模な地上軍を展開させ争っても、犠牲が拡大するだけであまり意味はない。
守備隊が増強される程度で、師団程度の展開はありえないだろう。
そしてまた、最終決戦が実働する前に政治的判断を伴うだろう。

空軍力は、双方、中規模の戦力を有している。
防空に関しては、専守防衛のわが国は一歩先んずるだろう。
ここで、全面戦争であれば、本土攻撃がシナリオにあるわけだが、竹島程度の争奪戦において、本土市街地等の攻撃に拡大し、市民の犠牲が発生すれば、国際世論は同情しないから、戦略爆撃は想定外だろう。
従って、竹島への爆撃と、制空権確保ということに絞られる。
ただ、竹島は、両国とも、沿岸から相当距離隔てられており、空中給油機等の支援は欠かせない。
逆に、発進基地が攻撃対象になる要素はある。

竹島争奪戦において、主力となるのは、海上戦力だろう。
ここで、海上自衛隊は、世界屈指の能力を備えている。
主として海上交通路確保が目的だが、その装備は、海上戦闘を遂行するにおいて、超大国を除けば比類なき水準である。

韓国は、大陸の端にある半島国家であるが、昨今、海軍力増強に熱心である。
一説には、海上自衛隊と覇を競うことを目論んでいるとも言われている。
が、駆逐艦級10隻程度と、海上自衛隊の約2割規模であり、他は沿岸哨戒用が占める。
竹島の場合、陸岸から離れているとはいっても、小型の警備艇が活動することにさほどの支障はないから、韓国軍としては、海軍力の全てが投入対象となるであろう。

そして、実際の戦闘は・・・。
自衛隊としては、SSM、ASMにより、遠方から艦艇の撃破を図ることになるだろう。
双方、西側の兵器体系を一通り備えているから、攻撃力防御力とも、単体性能としては基本的に大差はない。
しかしながら、そもそもが大海原での活動を前提としているわが国と、朝鮮半島での戦闘状態が完了していない韓国とでは、運用規模は異なる。
その意味では、対艦ミサイルによる殲滅戦においては、自衛隊に分があることは言うまでもない。
現時点でイージス艦をもつ海上自衛隊は、理論上損害は軽微なものにとどまるだろうし、韓国海軍の大型艦艇は、ことごとく撃破されるといっても過言ではないだろう。
かつての海戦の様に、沈没とならなくても、破壊程度により戦闘力が失われれば十分である。
韓国のシナリオでは、この際、韓国大型艦艇数隻の沈没が言われているが、大型艦艇の戦闘力は残らない要素が大きい。
残る韓国軍の警備艇等は、対北という観点から、ミサイルよりも、銃砲が主力である。
大型火砲を持つ大型のものは、SSM、ASMにより処理されるだろう。
残る小型のものは、127mm砲で破壊できるだろう。
この段階で、自衛隊が消費する弾薬は、高価なミサイルが中心となり、コストはかさみ、費用対効果は、コスト比で悪いものだが、自衛隊の損害を軽微にとどめる意味では十二分の効果がある。
対して韓国軍は、大型艦艇を含む海軍力のほとんどを失うという、政治的ウイークポイントを生むだろう。

忘れてならないのは、韓国海軍の保有する潜水艦である。
小型とはいえ、ドイツの設計で、高性能である。
しかしながら、海上自衛隊の対潜能力は、アメリカをも凌ぐと言われる。
ここで、通商破壊戦に出るかどうか。
全面戦争であれば、海域を宣言して無条件に攻撃を加えれば簡単である。
しかしながら、グローバル化(多国籍化)した今日、船籍、実質国籍、仕向け地、荷主など多岐に渡れば、特定の船舶を攻撃することは、潜水艦には不可能だ。
音紋と言えども、採取されているのは適性潜水艦であり、あまたの商船の特定などされていない。
従って、洋上目視以外に、確認の術はないだろう。
しかも、かなり接近して国籍等を確認しなければならず、この際に、対潜部隊に見つかれば意味はない。
その意味では、竹島周辺海域での、防衛につくのがまっとうだ。
しかし、はやって出れば早期に殲滅される。
従って、気長に時を待ってはじめて戦略的意味が存在するのだが、ロシア人のように長い厳冬のシベリアでも耐え凌ぐ民族性と、比較的熱しやすいと言われる民族性で、潜水艦乗りの運用が同じくは出来ないだろう。

海上を支配できれば、竹島は孤立する。まさに「独島(ドクト)」となる。
この段階で、篭城戦となるわけだが、この場合、守備隊の規模が大きいほど、物資消費量が増大する。
しかしながら、海上交通路を遮断されていれば、補給は途絶え、やがては飢えに苦しむことになる。
両国にとって、戦闘の早期終結は望ましいことだが、海上封鎖を行う側にとって、時間的余裕は大きいが、篭城する側のタイムリミットは一年もはないだろう。
通常の陸上部隊の物資量は、約二週間と言われる。

この段階で、政治決着が図られるのか。
竹島守備隊が降伏し、撤退して解決というのが一つのシナリオである。
しかしながら、これを潔しとしない場合、海上でのゲリラ戦や、戦闘地域の拡大が計られる要素もある。
また、自衛隊による竹島上陸による制圧も選択肢の一つだろう。
この場合、事前に艦砲射撃等による制圧が行われ、守備隊の戦力は大幅に激減される。
竹島の規模からして、一個師団10000名は駐留できないだろう。
半数として5000名、このうち砲撃で半減すれば2500名というのが、最大値だろう。
自衛隊の上陸作戦能力は、輸送艦の数量を含め、それほど大きいものではないが、それでも、1個師団の半数程度は同時運搬可能である。
竹島の場合、海岸線が少ないから、着上陸戦闘は困難である。
そのためには、更なる事前攻撃により、上陸を容易ならしめる要素が必要となる。
そしてまた、このことが、上陸制圧以前に、勝敗を決定する要素でもある。

また、韓国軍が、竹島に集中すればするほど、北朝鮮への神経が薄まることになる。
それは、北朝鮮にとって、南下のチャンスでもある。
日本と北朝鮮が同盟関係をして、韓国を挟み撃ちなどとは、マンガの世界だが。
しかし、現在でも交戦国たる北朝鮮にとって、竹島を守るか、南に進むかは面白い要素である。

かつまた、仮にこのシナリオによって日本が竹島の領有権を確保したとして、それで完全に決着するだろうか。
戦闘で奪い取られたという認識は、ナショナリズムをかき立てる格好の材料だ。
そしてまた、次なる奪還戦が発生する要素となる。
日本は、地上海上に、守備隊を置かなければならず、それも、実戦配備となる。
悪循環に他ならない。

これらは、単なる私見であり、何ら実態を代表するものではない。
両国政府や軍、自衛隊が、こういったシナリオをどこまで想定、計画しているかは不明である。
少なくとも、現時点以前は、両国とも仮想敵国には相互に計上していないことになっている。
ただ、守備隊を置く以上、相手国を特定するかどうかは別にしても、侵入者を排除するのはシナリオにあってしかるべきで、その水準がどこまでかは別である。
実際、シナリオ有無に関わらず、警備体制強化における動員は、適宜行われるわけで、先般の海洋調査問題において、実行されてもいる。

このシナリオによれば、戦闘の推移は比較的一方的である。
しかしながら、戦は水物といわれ、やってみなければわからない要素も大きい。
「座して死を待つより」というのは軍人の発想だが、国家国民の終末を誘導しては本末転倒である。
「目先の恥をしのんでも耐える」というのが従来のわが国の政策である。
ただ、この政策が、諸外国のあざけりを受けていることも事実ではある。
戦闘は最後の手段であり、紛争解決のためには、一等国として相互になすべき事は山ほどある。
プラモデルや机上のシミュレーションゲームと同列で実行されたらたまったものではない。
少なくとも世界経済は、既にいずれか一国が存在せずして機能しない時代となっているのである。
特定の国の製品をボイコットする運動は随所に見られるのだが、そのほうり捨てた製品の中に、自国の部品が使われていたりする。
自国製品と思っていても、中を開けば外国部品がぎっしりで、その部品を外して捨てたら製品として機能してくれない。
世は21世紀である。前近代的な争奪戦など、未開の野蛮人の発想だ。




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新規作成日:2006年6月7日/最終更新日:2006年6月7日