同盟関係の意味
同盟、特に軍事同盟の場合、両国が一致団結して敵に向かう色彩が強く感じられる。
しかしながら、これはあくまで律儀な大和武士の発想に過ぎない。
日露戦争のときに有名な、日英同盟でさえ、両国の緊密なる関係は存在し、ロシアに対する圧力とはなったものの、英国軍は、ロシアに対して砲火をまみえてはいない。
第二次世界大戦においても、複雑な様相を見せている。
俗に言う、日独伊の三国同盟は、防共協定から発展したものだが、この趣旨と相反する条約も存在している。
日ソ不可侵条約がそれだ。
当時、ドイツはロシアに対して侵攻を企図している。
これを支援するなら、日本軍は、大陸で軍を展開し、脅威を与えれば、ソ連の部隊を極東地域に拘束することができるから、欧州でのソ連軍の足枷になる。
しかし、日ソ不可侵条約のおかげで、ソ連軍は、極東の戦力を、欧州に差し向けることができ、結果、ドイツ軍の撃退に成功している。
当時の日本においては、南方、或いはアメリカに対する備えが風雲急を告げており、睨み合う相手は少ないに越したことがない。
日ソ両国の思惑が合致し、日ソ不可侵条約は結ばれた。
もちろん、結果論からすれば、欧州東部戦線での敗退から、ドイツは崩壊し、その戦力を極東に投入し、わずか10日程度の間の交戦の結果、ソ連は対日戦勝国に名を連ねている。
この間、日ソ不可侵条約は廃棄されており、この一連のソ連の行動は、卑怯極まりないのだが、条約というのは、実際は無条件の契約書ではなく、何らかの拘束力を持たなくなった場合、破棄の手続きによって、合法的に無効となる性質も持っている。
また、この間、ドイツにおいても、中国に対する武器輸出を行っており、結果、日本の戦略に悪影響を及ぼしている。
もちろん、日独両国において、もっと親密な戦略情報交換を行ったうえでの、統合戦略を考えていれば、このような足の引っ張り合いは存在しないのだが、そもそもが、日独同盟すら、両国の打算によって存在しているものであって、局面の変動によっては、いくらでも変動する要素を持っていたわけである。
新規作成日:2006年8月13日/最終更新日:2006年8月13日