靖国神社問題
靖国神社、東京都九段北にある、神社である。
言うまでもなく、国に殉じた英霊を御祀りしている所である。
が、近年、靖国神社問題として取りざたされている。
テーマは、日本の総理大臣が、靖国神社を参拝することの是非である。
そしてそれを問題視しているのは、中国、韓国である。
更には、こういった動きに反応した騒ぎである。
しかし、これらの一連の動きは、実は理路整然としたものではなく、最初に結論があった上のこじつけである部分が多い。
靖国神社は、明治維新前の戊辰戦争の英霊を御祀りすることに始まり、国軍として国に殉じた英霊を御祀りする国家神道の社となった。
戦後は、政教分離によって、宗教法人化されている。
中国、韓国の主張は、この靖国神社に、A級戦犯が祀られていることが不愉快とするものだ。
A級戦犯は、日中戦争から太平洋戦争を指導し、極東アジアに戦禍を及ぼし、連合国戦勝による終戦後、極東軍事裁判の結果、A級戦犯として死刑となっている。
そもそも、この極東軍事裁判自体が、公正な裁判たり得ない要素も存在している。
例えば、B29による市街地爆撃や、原爆なども、本来は裁かれるべきという見解も存在する。
為に、戦勝国による、一方的なものという見方も残っている。
例えば、現時点で、国連主導で裁判が行われたとして、同一の判断が下されるとは誰が考えるだろうか。
すなわち、普遍的な社会正義ではなく、時の社会情勢を色濃く反映した結果である点に注目しなければならない。
また、A級戦犯とされた者も、天皇陛下に責任を及ぼさずに終結させる意味を持って、殉じたという側面が存在する。
靖国神社に合祀する根拠は、この点にある。
そしてまた、A級戦犯といえども、刑の執行によって、その罪は清算されたという見方もできるほか、サンフランシスコ講和条約後、法的にも、戦犯の扱いは完了したとされる。
そもそも、国内法においては、A級戦犯とされる者に対して、国内のいかなる裁判所も、なんら刑罰を確定しておらず、すなわち、公的記録に犯罪者の記録とはされていない。
日本国内の問題として、靖国神社が一宗教法人であり、政府国家が関与するのは違法という意見がある。
そしてまた、宗教色のない慰霊施設をという声もある。
しかし、そもそも霊を慰めること自体、宗教ではないのだろうか。
戦没者慰霊式典や、国葬など、無宗教と言い切れるのだろうか。
アジア諸国という表現が横行しているが、アジアとは、西はトルコまでの約40の国家が存在し、中国、韓国は、そのうちの二カ国に過ぎない。
太平洋戦争では、極東アジアに戦禍が及んだが、その多くの国々は、戦後、欧米からの植民地支配から独立し、個々の差異はあっても、靖国神社にこだわってはいない。
中国、韓国はいくつかの特殊な要因がある。
中国の場合、急速な経済発展の反面、地方との経済格差が広がり、こういった国内問題を回避する矛先として、日本への謝罪外交政策を展開している要素がある。
韓国は、太平洋戦争後、南北に分かれて朝鮮戦争を展開し、国内は疲弊し、経済的建て直しの為に、日本との講和を急いだという経緯がある。
この間、日本政府による韓国国民への賠償的色彩に対して、その代償を国家が受け取り、国家経済を持って、国民に還元する方策を採った。
が、韓国国民は、こういった経緯は明確に理解できず、また、国民への還元も体感できない結果、日本への反発となっている。
そしてまた、韓国内政の不満の矛先を、日本へ向けることにより、政府批判から逃れ酔うとしている要素がある。
そもそも、中国は二つ存在し、太平洋戦争は、中華民国が交戦国である。
現在大陸を支配しているのは、中華人民共和国であり、法的な交戦国ではない。
そして中華民国は、台湾に存在し、わが国との外交を、中華人民共和国に転換したため、日本政府としては、国家として承認せず、地域という表現をされている。
日中は、双方既に経済的依存度は大きく、政府間の建前論の是非の結果として、一切の交流を絶つことはできない状況となっている。
かつまた、台湾との間には、既に国交が存在しないにもかかわらず、中国に並んで経済的依存度は大きい。
例えば、パソコン機器に関して、台湾の存在なくして、一切のパソコン機器は動作できないというのも事実である。
「坊主憎けれりゃ袈裟まで」という諺もあるが、感情論で一からげにしては、まとまる話もまとまらなくなるというものだ。
問題点のポイントを明確にし、その真偽を追及しなければ、ただの口喧嘩に終わってしまう。
2006.8.15 朝方、小泉総理が靖国神社を参拝し、これに対して、各方面からの賛否両論が上がった。
この中で、批判的意見を述べた加藤紘一代議士の実家が放火されたようだ。
放火など、暴力的破壊的行為は許されないことだ。
が、観点を変えてみれば、「参拝によって感情を逆なでする点にも考慮が必要だ」という反対側の結果のひとつが、今回の事件ではなかろうか。
参拝によって反日感情が煽られることは、確かに問題だ。が、これに屈して自粛すべきなのか。
参拝に異を唱えることによって、英霊を冒涜すると解釈する者も多いわけで、そういった感情を無視してよいというものではないだろう。
少なくとも「国民の過半数は参拝に反対だ」などという見解は、何の根拠もないもので、外野的反発に他ならない。
新規作成日:2006年8月15日/最終更新日:2006年8月16日