ロシア警備艇銃撃事件に対する日本人の感覚

2006.8.16朝、北方領土・貝殻島付近の海域で、北海道根室市の根室湾中部漁業協同組合所属のカニかご漁船「第31吉進丸(きっしんまる)」(4.9トン、坂下登船長ら4人乗組み)が、ロシア国境警備局の警備艇の銃撃を受け、拿捕(だほ)された。
この際、乗組員一名が、亡くなった。

人命が失われたことにより、感情論も多いのだが、冷静な判断と対応が求められる。

ロシア側の主張では、密漁船取締りの途上、警告を無視して逃走したため、威嚇射撃を行ったという。
ロシアのサハリン州沿岸国境警備局からの連絡では、歯舞群島秋勇留(あきゆり)島周辺の海域で発見され、停船命令を無視して逃走したため、信号弾を何度か上げたが、止まらなかったため、ゴムボートを下ろして、自動小銃で船の前後などに発砲したという。

吉進丸は、カニかご漁の許可は得ているが、北海道海面漁業調整規則に基づく知事の承認を得たコンブ漁船ではないため、コンブ漁しか認められない貝殻島周辺には近づくことはできない。

「何も撃たなくても」という心情論はもっともだが、それが国際社会の姿であって、何十人もを殺傷した犯人といえども、まず人権が守られる日本国内と同じ感覚では話は収まらない。
この場合、射撃した側の責任とともに、自船と乗組員の安全を守れなかった船長にも、同様の責任が問われるべきである。

まったく落ち度のなかった者が殺害されたのか。
許可外の漁は、すなわち密漁であり、犯罪である。
これを日露どちらが取り締まるかの問題はあっても、密漁者の「保護」を最優先に掲げるわけには行かないだろう。
漁民にとっては、生活のうえでやむをえないという主張もあるだろうが、だからといって、調整外で勝手なことをやって、これが許されていては、秩序は維持できない。
では密漁で水揚げした漁獲物を、盗み出して横流しするのはオッケーか?

「仮に非があったとしても民間人を銃撃する必要はあったのでしょうか?」という意見もある。
しかし、これは、あくまで結果論であって、現場において「民間人」という確認がどのようにできたのか。
銃撃されないために、停船命令に従う必要はなかったのだろうか。
逃走する、逃げ切る、捕まらなければオッケーだという犯人側の主張を認めろというのだろうか。

現場海域は、日露国境の海域である。
ただ、北方領土をわが国固有の領土とする場合、わが国の領海内である。
が、北方領土が、現時点ではロシアの実効支配下にあり、返還交渉中であるという側面では、現時点では、ロシア領を認めざるを得ない要素も多い。
この場合、現場がロシア海域であれば、ロシアの主権である。
正確な座標の特定が待たれる。

外務省あたりでは、「わが国の領海内で起きた事件」といきまいているが、現場がどこかを特定できなければ、そこまでいえる状態ではない。
また、ロシア側海域であったとすれば、ロシアの主権を認めるのかどうかという判断が求められる。
ロシアの主権を認めないのであれば、ロシアと主権の争いを持つわけで、かかる海域での日本の主権を主張するなら、海域の防衛を、政府がしっかりしておくべきであって、国防上、或いは、司法権上、現場の哨戒を行わず、かの国の銃撃を阻止できなかった責任が問われる。

拿捕というと、なにやら不当な連行という響きがある。
朝鮮半島との李ラインや、北方領土でのソ連警備艇など、拿捕は不当性が多かったことも手伝っている。
しかしながら、本来は、違法船舶の拘束を、犯人の逮捕と同等の意味で用いているから、違法性を意味はしない。

ソ連崩壊後、ロシア国境警備局(当初、国境警備隊、後に国境警備庁)との連携も図られ、かつてのような不当な強行は行われていない。
漁業資源保護に対する密漁問題は、日露双方の懸案であり、ロシア国境警備局においても、自国密漁船を多く検挙している。

発砲に関しては、日本においては、豊臣秀吉の刀狩以降、民間における武器は極めて制限されており、また、銃火器については、基本的に保有が認められていないから、発砲事件というのは、本来は存在しない。
もちろん、最近は銃火器を用いた犯罪も多発し、国内での発砲事件も多発している。
しかし、アメリカから比べれば、極めて少数であり、発砲そのものが例外である。
実際、北朝鮮の工作船に対してさえ、相手の射撃で損害が発生しても尚、現場での発砲の判断が制限されるなど、他国に言わせれば笑い話である。
(警察官の発砲において、いちいち警察幹部が正当性を主張しなければならないという環境が既におかしい)
その意味で、いきなり撃ったとか、死者が出るといえば、大騒ぎになる。
しかし、撃った側の事情を考えれば至極当然だ。
不審船を発見し、停船を命じたが逃走した。これだけでも、警告射撃の要件を満たしている。
また、警告射撃といえば、あたかも「危険の無いように配慮した射撃」という解釈は、あくまで日本人の発想で、被射撃側が危険を感じなければ停船に応じず、とすれば、船体そのものを撃ってしまうことは、警告射撃の範囲である。
日本海での不審船に対する海上保安庁の警告射撃では、船体への損傷を確実に避けるべく射撃しており、この場合、逃走側は「このまま逃げても危険はない」わけで、警告の意味を成していない。
それでは普通の射撃と同じではないか?
通常の射撃は、目標そのものを狙った射撃であり、警告射撃は目標そのものの制圧を意図していない。
もちろん、射撃の結果としての損害にどの程度の差が生じるか、それはたいした問題ではない。

例えば、自宅に、見も知らない人がいたとしたらどうするだろう。
その上無言で迫ってきたら、近くにある棒などで殴る程度はするだろう。
そしてまた、相手が凶器を持っていたら・・・。
それがどの程度の殺傷能力があるのかを詳細に調べる前に、相応の抵抗をするだろう。
このときに、相手が、「いきなり殴った」と主張したら、謝罪するのだろうか。
その前に、どうして自宅に勝手に入っているのかという問題をするだろう。
そしてまた、凶器と思われたのが、実はボールペンだったら、過剰な判断と謝るだろうか。
問題の本質を考えることが、本来の安全の道と考えるのは間違っているだろうか。




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新規作成日:2006年8月22日/最終更新日:2006年8月23日