日本核武装論

2006年の北朝鮮の核実験後、日本国内において、核武装について論じられ始めた。

正確には、核武装論を論ずる是非の段階だが。

核兵器は、通常兵器とは段違いの破壊力と共に、環境に与える影響も大きく、廃絶が求められている。
しかし、削減が進みつつあるとはいえ、超大国の大量保有は変わりなく、あまっさえ、各国の開発も行われ、拡散の傾向は否めない。

日本には、非核三原則がある。
核武装論を論ずること自体を否定する向きは、この非核三原則が前提となっている。

が、しかし、非核三原則が出された頃には、極東アジアでは、アメリカ、中国、ソ連(現ロシア)による核のバランスがあり、超大国として、暴発が抑制されていた。
ところが、北朝鮮が核を持ち、日本に対する脅迫とするなら、その対策も必要だ。
国際情勢が変れば、過去の方針に固執する意味はない。

もちろん、核武装の実現に対しては、開発や実験が必要であり、問題も多い。
しかし、敵国の武装強化に対して、丸腰を協調する意味はない。

核武装は、ひとつのカードでもある。
北朝鮮がカードとして発言力を強めるつもりと同様に、
わが国でも、選択肢を強調することによるカードは存在する。

日本の核武装は、中国、韓国はもとより、アメリカも危機感を持つ。
しかし、北朝鮮の核武装を国際世論が承認することになれば、日本の対抗措置という図式があるわけで、それを抑止するためには、一致団結して、北朝鮮の核を廃棄する動きに通じれば、それは十分な抑止力を発揮したことになる。

「当家は泥棒が入っても捕まえませんよ」なんて宣言をする馬鹿はいないだろう。
選択肢を放棄することは無意味である。




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新規作成日:2006年11月6日/最終更新日:2006年11月6日