海難事故と当て逃げ

海難事故のうち、船舶同士の衝突事故は、陸上での交通事故と同じで、色々な状況で発生する。
本来は、見張りをきっちりしていて、双方が安全な行動を考えていれば、港湾や輻輳海域を別にしても、広い海の上で起きるほうがおかしい。
が、往々にして、見張りの不十分や、怠慢な操船によって発生する場合が多い。

実際問題、外洋を航行する場合、当直時間中、ぴりぴりと緊張感を保ち続けることは難しいだろう。
洋上に何も見えない状況も、ある意味普通で、船舶の航行速度を考えれば、突然飛び出してくる局面はないから、見張りの神経も低下するのも(プロセスとして)致し方ない。
しかし、この怠慢が事故を招くわけで、しっかりしてもらわなければ大変だ。

レーダーも、海面反射によるノイズもあり、100%ではない。
また、夜間や天候が悪かったりすれば、視認性が落ちてしまう。


当て逃げということをよく聞くが・・・
地上の交通事故で、車体に損傷が残る程度のもので、気がつかなかったとは言い逃れだが、船舶の場合は難しい。
大型船同士ががっつり衝突すれば、嫌でもわかるだろうが、そもそも見張りが不十分で衝突の危険すら認識していない状態では、ちっちゃな船にぶつかったと気づかない場合もあるだろう。

陸上の事故は、相手の車が大きいといえども、たかだか30mで、小さいものとの差は、船に比べたら大してない。人間との重量比でも、30kgと50tで、1650倍だ。
海上の場合は、大型の船舶は300mを超える。人間との重量比は、30kgと20万トンで、650万倍だ。
サイズ比が大きいほど、相手側を認識するのは難しい。

また、船首で砕いた場合、船橋にいたのでは、衝突部分は見えていない。

実際、船橋からの前方視界はこんなもので、船首がその前の岸壁に接触しているかどうかは、この写真から即断は出来ない。
=船首にぶつかる前までの見張りが大切ということだ。
Dcim3289/DSC_0924.

そしてまた、衝突時点で周りを見回しても、自分の船体の影になって、直近周辺の海面は見えていない。
更に、被災船が半壊するなどしてぷかぷか遠ざかって初めて、自分の船体の死角から外れて見えてくるが、自船の航跡に紛れ、さらには遠ざかってしまえば、見えない場合もありうる。
この場合、流木にぶつかった程度の認識で、気にも留めない場合もあるだろう。

自動車が走行中に何かを踏んで音がしても、その前に進路上に人影を見ていなければ誰も人をひいたとは思わないのと似たようなものだ。

被害者側は、これを「逃げていった」と主張するのは心理的に致し方ないが、プロセスとしては、逃走ではなく、何事もなく航行している「つもり」である。
航行して去ったこと自体に、悪意はないだろう。

もちろん、これが、正当化されるべきものではなく、逃走かどうか以前の段階の、見張りと衝突回避のプロセスで、重大な欠陥があるわけだ。

また、衝突とは、片側にすべての責任があるわけでもない。
もちろん、法的責任は、針路や位置関係、船体構造等を勘案して判断される。
しかし、100%相手が悪いとしても、みすみす船を失うようでは、自船の安全を守るという観点から、船長の資質を疑う。

浮上する潜水艦にぶつかられたような場合を除けば、相手船を視認しているべきで、ぶつかることを目撃する前に、回避する努力をしなければならない。

プラスチック製の小型船は、レーダー反射性に不足があるというが、これに対しては、レーダー反射板を増備するなど、いくらでも対策はある。
漂泊する小型船の被視認度が低い場合でも、ぶつかってくる大型船は、小型船からは逆に認識しやすいわけで、衝突針路を想定すれば、退避するとか、警報を発するなどの対策は必要である。

「突然ぶつかられた」という発言をよく聞くが、それまで気がつかなかった責任を、認識しなければならない。


潜水艦なだしお事故の時もそうだが、人的犠牲の大きいほうに分があるという発想は間違っている。
損害を最小限に抑えるには、法律を遵守することはもとより、双方が損害を最小限にとどめる努力を惜しんではならない。
法的正当性の勝ち負けでは、犠牲は補えない。




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新規作成日:2007年2月14日/最終更新日:2007年2月14日