自衛隊員の人を殺す練習

2007.4埼玉県庁の新任職員の入庁式で、上田埼玉県知事が「自衛隊員は人を殺す練習をしている」発言をして物議を醸した。

上田埼玉県知事は、一時期流行の改革知事ではなく、自衛隊に対する他意があったことではないようだ。

自衛隊員は有事の際、他者の命を奪う可能性を含めた任務によって、国家国民を守るという崇高な任務についており、これをたたえる意味であったらしい。
事後、謝罪に至ったが、言葉は選ぶ必要もあるようだ。

ただ、忘れてならないのが、マスコミの姿勢である。
揚げ足取りに余念がなく、悪意を持った誘導ですらある。
演説内容のすべてを紹介し流れの上からこの発言があったことなど紹介しない。
もちろん、発言者は、政治家として、あらゆる局面を想定して言葉を選ぶ必要はあるだろう。
が、部分的な抜粋で視聴者を不愉快に誘導する必要はないだろう。

ついでだが、自衛隊員は人を殺す練習をしているのだろうか。
軍事力というものは、破壊によって構成されるといっても過言ではない。
戦争を殺し合いという表現も、マチガイではない。
しかし、それは必ずしも一義的に人を殺すことを前提とはしていない。
ミサイルや砲撃によって、施設や船舶を破壊する。この際、中にいる人の安全など無関係だから、死傷者も出るだろう。しかし、これらの人を殺すことを前提とした攻撃はまれである。
兵士同士の撃ち合いでも、相手を倒すことを前提としているが、殺すことを目的とはしていない。
もちろん、死なないように配慮する余裕はないだろうが。
従って、殺す練習自体は行ってはいないのである。

ごくまれに、特殊部隊などは、殺傷を目的とした訓練をしているところもあるが、ごく限られた要員であり、自衛隊の中でそのような訓練が行われているかどうかは定かではない。

最近の地上戦では、殺傷よりも、むしろ、より損害の拡大を目的としている。
そのため、小銃も、7.52mmから5.56mmと、小口径化している。
一人の兵士を射殺した場合、その遺体は一つであり、既に死亡していれば、戦闘が収拾してからかたずけても問題はない。
が、負傷していればどうだろう。
軽い怪我ではなく、銃創で治療が必要となれば、後回しには出来ない。
一人の負傷兵を、一、二名の兵士が搬送する。そして治療も必要だ。
一人の兵士を射殺すれば損害は一人だが、一人の負傷兵を作れば、2、3名の戦力を削減することが出来るのである。
すなわち、敵兵が10000名攻めて来たときに、3000名を射殺しても7000名は戦力として残っているが、3000名を負傷させれば、戦場から大多数を後方に送ることが出来、残る戦力は激減できるわけである。


そういえば、2007.4.6?TBSのニュースでは「湾岸警備隊のヘリが山火事の消火に当たった」と紹介したが、湾岸ではなく、沿岸のマチガイだろう。
海側を組織名に関する組織が、陸地の任務につく点をびっくりのポイントにしたかったのだろうが、目的以外の情報はいい加減ということである。
ちなみに、欧米での山火事には、航空機による消火は一般的に行われており、この場合、消火用の水は、海か湖から取水するため、海域側の航空機が参加することに違和感はない。




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新規作成日:2007年4月10日/最終更新日:2007年4月10日