大阪池田小学校の事件で

大阪池田小学校に、男が侵入し、児童多数を殺傷する事件が発生した。

まずは、犠牲となられた方々に、哀悼の意を表したい。

その後、学校の危機管理など話題に上り、改革も始まっている。

事件の有った学校でも、対策が取られているが、この説明会で、父兄から「門の警備が1人で足りるのか」という意見が出たという。
門を閉ざす、警備を置く というのは、こういった場合、必然的対策であるが、本質的にはどうであろうか。

危険をどう評価するかが問題である。

もし、児童一人一人を完全に守るとすれば・・・。
VIP並みに、護衛を付け、登下校及び教室内を護衛し、学校の周囲には、警備を配置し・・・。これでも、組織的な襲撃には完全とは言えない。
某国の特殊部隊が急襲する事を考慮すれば、精鋭部隊の駐屯すら必要である。
サリンをまかれる事を考慮すれば、化学部隊の駐屯も。
ミサイルが飛んでくれば、高射部隊も必要だ。
が、このレベルの対応に、現実的にどのくらいの必要性とコストがかかるのだろうか。
もちろん、論外である。
門の警備を付けるというのは、通り掛かりの思い付きの潜入には効果が有るが、覚悟の突入であれば、3人いても防げないし、まして、壁など乗り越えれば、意味がない。
この事件を教訓に、意識をするのは良い事だが、本来の意味を見失うと意味がない。

今回の事件は、小学校は単なる標的とされたのであって、まったく筋が違う事件である。
気の毒だが、このレベルの対応は難しいだろう。
容疑者は30人を襲うつもりとしているから、犠牲者がその数に達していない事は、緊急時においても十分応急対策が取たと意って差し支えなかろう。

精神障害が取りざたされているが、本質的な問題はここである。
今回初めて、「人権問題は有るが再検討を要する」と、小泉総理の画期的施策により、見直しが始まった事は喜ばしい事である。

人権は尊重されなければならない。
しかし、人権は万人の物であって、一部の人権を優先する事により、尊い犠牲を伴っては本末転倒である。
こういった事件の時、責任問題が論ぜられ、結局うやむやで、犠牲者の泣き寝入りで終っている事も問題だ。
責任をどこが全うするか、政府が代行して補償するのも一つの選択肢ではあるが。


2003.8.27 NHKの放送で
池田小学校の教師が、当時を振り返り、状況を確認している。
その中で、大きな問題が見えている。
110番への通話に7分間もかかっていると言うのだ。
通報した教師は、名前や所属などをくり返し繰り返し聞かれたと言う。
遺族は、この通話記録の開示を求めていると言うが、警察では「通話内容がわかると通報者が減る」として開示を拒んでいるらしい。
とんでもないことだ。
110番通報の受信者はたんなる電話番で、そもそも緊急通報の意識が欠如している。
もし、その一言が、殺される最期の一言だったらどうするのだろうか。
聞き直すことも、確認もできない。
声が聞こえなくなったから、事件が解