生活保護の必要性

2006.7.3 夜のNHKニュースで、生活保護の老齢加算の減額が問題に上がっていた。

その中で、生活を切り詰めているというのだが・・・。
・白いご飯
高度成長期、時の総理は「貧乏人は麦を食え」といっていた。
食う物に困るには、まだまだ余裕があるだろう。
・薄型テレビ
大型の薄型テレビはそれほど古いものではない。こういった資産があるものに、生活保護は必要だろうか。
・節約の為に夜8時には消灯。
しかし、スタンドの照明をつけて布団の中で本を読んでいる。
節約を言うなら、早起きすれば照明は要らない。
・風呂は五日に一回。
自宅の風呂では金がかかるだろう。銭湯という選択肢もある。
・付き合いが減った。
付き合いや出かけるには費用がかかるわけだが、それに必要な費用まで保護してもらおうという発想はどうかしている。
・生活はぎりぎりで貯金がない
稼ぎが少なくても、切り詰めて財を成す人はいくらでもいる。
身の丈を超えて消費に費やし、老後は社会で面倒を見てもらおうとは虫が良すぎる。


生活の水準はさまざまだ。
しかし、生活保護を必要とするなら、それなりの基準が必要だ。
「申請すればお小遣いがもらえる」程度の認識をされていては財源はいくらあってもたりない。
最低限度の生活にまで切り詰めろとは言わない。
しかし、社会福祉を受けているという謙虚な気持ちも必要だ。
世の中にはもっと困っている人が大勢いる。

社会福祉の観点から、手厚くという話もあるのだが、「自力」というのが原則だ。
事情は色々あるにせよ、収入に応じた生活というものがあるわけで、足りない分は誰かに補ってもらえばすむということでは困ってしまう。
「蟻とキリギリス」というイソップ物語があるが、原書では、蟻はキリギリスには食べ物を与えない。
冷たいという声もあるが、自己責任の付けを回してくる発想も問題だ。



2007.2 老齢加算の減額 に対する訴訟問題が取り上げられている。
最低限の生活を保証しろというのだが・・・。
「芝居も見れない」「葬式にも出席できない」という。
芝居を見るのは最低限度の生活に必要だろうか。
芝居を見なくても死にはしない。
芝居見物は遊興で、そんな贅沢がしたいなら、自分で稼ぐか、きっちり蓄えておくべきだ。
支給されていたものが減るのは一見厳しいが、今まで過剰に施しを得ていたというべきだろう。
暖房器具は必要最小限の時間しかつけられないというが、そんなことは当然だ。


生活保護は、単に公がくれるわけではなく、財源は血税だ。
今までたいした納税も果たさなかったくせに、施しだけを要求するような者は、人間として見る必要もないだろう。
裁判費用があるなら、それを生活の足しにすれば済むことだ。



2007.10.2 NHKで、生活保護の辞退届けの問題が挙げられていた。
就職を理由に辞退届けを強制的に出させたとか。
それって、辞退ではなく、自動的に打ち切ってよいのではないか。
裁判に訴えるのは自由な権利だが、その費用があるなら、生活保護なんかいらないだろう。
見れば丸々と肥えていらっしゃる。
食べるにも困ってやせ細ってという気の毒さは微塵も無い。
離婚して母子家庭で生活が苦しいというが、離婚は個人的事情で、それに伴う貧しさまで面倒は見られない。
生活保護の財源は、他の人が汗水流して働いた血税ということを認識すべきだ。



2008.2.9 NHKニュースで、生活保護を騙し取ったという報道があった。
その額なんと2億円。。。
何でも、北海道で片道90キロのタクシー代で60万円が、生活保護の医療費補助でもらえるという。
支払い官庁も、見抜けなかったというのだが。。。
60万円のタクシー代、、、とても一般の人が支払う金額ではないのだが、これが生活保護で支給されている制度はそもそもおかしいだろう。



生活保護は、何らかの事情から、経済的に一般並の生活ができない人を、支援する制度である。
が、財政困窮の今日、財政削減から、生活保護の引き締めが強くなっている。

ここで、今までもらえていたのにもらえなくなったとか、なにやら弱いものいじめの構図が聞こえてくる。
だが。

生活保護は、あくまで支援策である。

働き手が入院して困窮するなどであれば、その子供が自立するまで支援するのは当然だ。
が、大してやる気の無いものが、遊んで暮らせるための制度ではさらさらない。

就職先の条件が厳しく、仕事がきついという。
では、きついから、楽に稼げるところが見つかるまで、生活保護を受給して遊んで待っているというのだろうか。
そんなことが許されるなら、誰しもそうありたいだろう。

そもそも、生活保護は、血税で補われている。
その血税は、納税者が所得から支払っているものだ。
これら納税者からの施しと言う観点は、あって当然だ。

生活保護を受けるには、財布の中まで確認されて惨めだという。
そりゃそうだ、普通の水準で無いものが施しを受けるなら当然だろう。
ここで、それなりの事情があれば気の毒だ。これに対して施しとは言葉が過ぎている。
しかし、仕事がきついとか、金額が低いとか贅沢を言って、仕事をせずに、所得も無い。
この状態で、生活を支援してくれというのは間違っていないだろうか。

生活保護家庭で、高額なテレビが置いてある。
そんなもの売ってしまえ。
売ればしばらくは食べてゆけるだろう。
その間に自立する道を探るべきだ。


世の中には、生活保護を受けられない人が大勢いる。
母子家庭で、子供の学資のたくわえを持つがために、貯金があるということで、生活保護がもらえない人もいる。
一般に、自己の責任を考える人は、このように貯蓄を考え、生活保護に頼らない。
いい加減な生活に甘んじるものほど、その場限りで先々を考えず、周りに頼る。
その意味では、生活保護そのものが必要ではないとさえ過言ではあるまい。




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新規作成日:2006年7月3日/最終更新日:2007年2月15日