財政再建団体となった夕張市の民主主義の姿

2006年、北海道の夕張市が財政再建団体となった。
財政再建団体とは、企業における会社更生法適用と同じ状態ということである。
企業は民営組織である以上、経営悪化時には、金融機関による融資や、提携関係による財政支援が無ければ、たちまち倒産してしまう。
しかしながら、政府や自治体は、公共組織であるから、倒産消滅となるわけにはいかない。
そのため、借り入れも途絶えはしないから存続はできる。
が、税収にそぐはないほどの累積赤字が継続すれば収拾はつかなくなる。
昨今の財政不況をふまえ、自治体財政の健全化も求められ、収支の健全化が求められている。
そのため、状況の思わしくない自治体には改善が強く求められていたが、夕張市は独自の改善ができなかったため、財政再建団体となってしまった。
財政再建団体は、独自の収支を持てずに政府依存するため、すなわち、自治権も著しく制限される。

2006.11夕張市において、市民への説明会があったが、市民からの野次雑言の末、市民らの大半は席を立ったという。
説明会は自由参加だから、聞きたくなければ来る必要もないし、内容が面白くなければ、途中で抜けても別にかまわない。
が、大事なことは、状況の説明の趣旨である。
この説明の段階で、市民の意見を聞く必要はまったくない。
にもかかわらず、納得できない旨を市に訴えても意味はない。

夕張市は人口10000名で、債務は360億円というから、一人当たり360万円の負債である。
夕張市は、炭鉱で栄えた町だ。
産業構造の変化から、今や衰退となったのは気の毒だ。
が、この変化を認識せずに、過去の栄光のみに頼っているのは誰の責任だろうか。

例えば常磐炭鉱などは、常磐ハワイアンセンターに変貌を遂げた。
首都圏に近いということも利したかもしれない。
しかし、状況を認識した変革は必要なものだ。

税収の多かった時代の行政内容、福祉の体制を、税収が激減してまで維持できるべきものでもない。
収支バランスを適正にするのは、行政の務めだ。
が、行政側も、レベルを落として市民からの苦情が来るくらいなら、借金を増やしても維持したほうが文句を言われないという事情もある。
だいたいからして、市長、市議会選挙において、財政の健全化をはかり、行政の質が落ちることを訴えようものなら、当選するはずは無いだろう。
ばら撒き福祉を訴えたほうが当選に近いという事情の責任は、市民に存在するのが、主権在民の本来の姿だ。

夕張市の説明で、かけているのは何か。
「夕張市は、炭鉱時代の潤っていた財政状況の姿が消え去らず、他の自治体に比べて「分不相応」に、行政の質を高く維持していたため、ついに財政再建団体となったので、今後は、借金の返済を第一とし、行政の質は最低限度のものとなるが、あくまで他の自治体に比べてのものであり、市の財政においては相応の行政の質になる。」と冒頭に語るべきなのである。

行政の質を言うなら、税収が相応に必要だ。
たいした納税もできていない市民に、必要以上の発言をしてもらっても仕方がない。

自分では何もせずに、行政が何でもやってくれるべきだという発想は、そもそもが民主主義の根本を正しく理解していない姿だ。

幸か不幸か、夕張市においては、今まで無責任で過ごしていた民主主義の責任を、市民が背負わされることとなった。
ノー天気な他の国民に比べて気の毒ではあるが、自業自得、自己責任、民主主義の責任を、噛み締めてもらいたいものだ。




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新規作成日:2006年11月18日/最終更新日:2006年11月18日