摘出した臓器の再利用問題

病気で摘出した臓器を、他の患者に移植したとして、問題が起きている。
他の患者で利用できるなら、そもそも摘出しなくても良かったのではないか。

ここで、摘出する必要があったかどうかは、カルテ等で学会が検証し、執刀医の見解を踏まえて再検証すればよいことだ。

仮に、摘出する必要があったとして、この場合、患者の体内にあることで害があるから摘出する必要があったということだ。
「その、害のある臓器を、他者に移植して、問題がないはずがない」というのが一般論だ。

が、執刀医によれば、癌患者の治療で摘出した臓器は、他者に移植しても問題が少ないという。
癌は、遺伝子の突然変異による病気だ。
が、移植する相手は、遺伝子が異なるから、転移しないという。
実際、過去の20例では、問題は起きていないという。
この論理が正しいかどうかは、今後の検証が必要だろう。

学会では、認知されていない治療を、先進的に行うことによる危機感を持っている。
確かに、危険性の払拭されていない、先進的医療を、名声の代償に患者の犠牲を伴いながら実施することには、倫理的問題が大きい。

しかし、腎臓病の患者には、それなりの事情がある。
腎臓機能が低下して、透析を行う必要がある場合、2日に一度程度、透析を実施する必要があるという。
透析に要する時間は3時間程度。
これでは日常生活にも支障があるし、旅行にも行けない。
対して、腎臓移植をすれば、透析の必要がなくなり、健常者に近い生活が送れるという。
もちろん、健常者と同等の代謝能力がないとしても、定期的活頻繁な透析を要するかどうかは、雲泥の差といえよう。
しかしながら、腎臓移植を待つ患者は多く、対してドナーの数は少ないから、移植を待つ患者は溢れている。

ここで、他の患者から摘出した臓器を移植再利用できるとすれば、移植の機会が増えるという。

リスクはあるが、患者の切実な声も無視できない。

学会としては、まずは正論を主張したいだろう。
それによって、事故や二次災害は発生しない。
しかし、奇麗事では、患者の治療は進まない。

例えば、事故で大量の輸血を緊急に必要とする事態が起きたとしよう。
ここで、該当する血液がなかったとして、HIVに汚染された血液のみあったとする。
通常であれば、HIVに汚染された血液など、輸血に使用することはありえない。
が、他に血液がなく、直ちに輸血を行わなければ、患者が死亡するとしたらどうだろうか。
人によって判断はまちまちだろう。
しかし、そのまま死亡するより、まずは輸血で命をつなぎたいと思うことが間違っているだろうか。
机上の奇麗事というのは、こういうところは想定範囲に入っていない。


その昔、
帝王切開という治療法に対して、「侍でも腹を切ったら死んでしまうのに、母胎のお腹を切るなんて何事か」
種痘に対して、「牛になるぞ」
というような見解があった。
シロウトならともかく、識者でも似たような見解が多かったという。
もちろん、現在では、笑い話だが。

先進的医療行為は、名声を求める学者によって、不必要な医療行為の実験台とされることも多い。
これは、断じて止めなければならない。
しかし、医療行為の本来の目的に鑑み、ただ否定するのではなく、検証、発展させることに、ためらいを持つ必要もないだろう。




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新規作成日:2007年2月18日/最終更新日:2007年2月18日