誤認逮捕は治安悪化への近道
2007.1.末、福島県警において、防犯カメラに録画された、落書きをした容疑者に似ているとして逮捕された市民が、実は事件に無関係とされ、2.4に釈放されたという。
落書きは、罪状としては器物損壊だが。
釈放は、家族の証言によるものだが、こんなものは逮捕前に確認すれば終わるものだ。
似ているというだけで逮捕されてしまうのであれば、ほとんどの刑事は、毎日逮捕されなければならないだろう。あの人相は、暴力団員と変わらない。
何でもかんでも逮捕して、締め上げて、誘導して供述をとるという手法は、前世紀のものだ。
そもそも、明確な証拠にもとづいた捜査があるべきで、まず逮捕して、自白に頼るという捜査方法では、仮に送検できても、公判は維持できない。
首都から都県境をまたぐごとに10年からの時代差があるというが、福島県警はまさに1970年代だ。
自白に頼るということは、罪状を認めない筋金入りの犯人には無力だ。
一報、精神力の弱い一般市民に対して、凶器である。
そしてまた、こういう捜査方法であれば、公判において一転否認され、刑事の強引な誘導によるもの、犯人しか知りえない事実といえども、掲示の指示に従って記載されたものといわれれば、収拾がつかなくなる。
これは、真犯人を擁護することにしかならない。
警察は治安維持が本分であり、このような暴挙によって、真犯人を無罪放免にする道筋をつけるなど、言語道断だ。
目先にとらわれず、事の影響範囲をよく考えるべきだ。
釈放すればすむ、謝罪するでは済まされない。
捜査当局にあるものは、切腹するくらいの責任感が必要だが、いまだ無駄飯を食っているようでは先が思いやられる。
新規作成日:2007年2月5日/最終更新日:2007年2月5日