2006.8.27福岡市職員の飲酒ひき逃げ殺人事件

2006.8.27 福岡市職員が、飲酒の上追突事故を起こし、被害車両は橋から海に転落、幼い兄弟三人が命を奪われる痛ましい事故が起きた。
犯人の福岡市職員はそのまま現場から逃走し、後に逮捕されている。

転落した車には、大上哲央さん(33)、妻かおりさん(29)、長男紘彬ちゃん(4)、二男倫彬ちゃん(3)長女紗彬ちゃん(1)の五人が乗っていた。

裁判では、危険運転致死罪の適用が求められているが、被告は「正常な運転が困難になるほど飲酒していませんでした」と否認したから問題は大きい。
車が大破し「事故当時の事を覚えていない」ほど、泥酔していたのだ。
被告は事件直後、酒気帯び検査での反応を逃れるためにペットボトルの水を飲んでいたから、冷静な判断が出来る状態だったとでも言いたいのだろうか。
されば、事故ではなく、殺人罪だろう。
泥酔していたが事故の衝撃と事の重大さで酔いがさめたのがホントのところだろう。

事件当時、海中に没した車から、何度も海に潜り、幼い兄弟を海から救い上げた母親の努力もむなしく、幼い兄弟三人が命を奪われたことは、言語に絶する。
神も仏もいないのか。

公判で、母親は「(危険運転致死罪の)最高刑(をあわせ25年を)を望む」「もし一年でも減刑されたなら、私が殺しに行きます」と述べたという。

おいおい、理由はともあれ、人を殺しに行くとは穏やかではない。司法への挑戦だ。

が、そもそも、法律というのは、秩序を守るべきものである。
理性ある被害者が泣き寝入りをすることによって秩序が守られる制度であるなら、理性を失えばいくらでも秩序は乱れるということだ。
「悪法も法なり」とも言われるが、欠陥は早めに直さなければ事は大きくなる。

一瞬にして幼い兄弟三人が命を奪われたことを思えば、加害者の言い逃れは許されない。
危険運転致死罪か、業務上過失致死か以前に、酔っ払って車に乗った責任をそもそも噛み締めるべきだ。
家族のいとおしい幼い兄弟三人の命を奪ったということを考えれば、そもそもが首を括ってもらってもバチは当たらない。

公判で犯人は「真っ暗な海の中でたくさんの水を飲み、苦しみながら亡くなった子供たちのことを思うと、 どうおわび申し上げていいのか、言葉が見つかりません」と謝罪。 最後は「一生懸けても誠心誠意償っていきたい。本当にすみませんでした」と述べ、頭を下げたという。
すみませんではすまない。
一生かけるつもりなら、自ら無期懲役を望み、一生刑務所で過ごせばよい。
言葉はなくてもいいから、死んでくれてもいいだろう。
死んで詫びるとはこういうときのためにある言葉だ。

母親がこの犯人を殺せば、それは犯罪だ。
が、司法の不備が新たな犯罪を生む温床であれば、それは司法自体が犯罪である。

犯人の今林大被告は、親族に県議会議員などがいる一族で、私選弁護人には日弁連副会長、福岡県弁護士会会長などをつとめたものが当たっている。
が、まっとうな司法処理が出来なければ、ことは解決しないだろう。




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新規作成日:2007年9月8日/最終更新日:2007年9月8日