2007.10 沖縄戦の教科書問題

最近、沖縄戦の末期、軍の関与による集団自決に関して、教科書検定が変った。

沖縄戦の末期、市民の多くは集団自決したが、これに軍の関与があったかどうかが発端で、最近の教科書検定では、明確な証拠が存在しないことを理由に、教科書への記載を取りやめることになった。

これに対して沖縄の住民が反発を強めている。
手榴弾という武器は軍の物で、これを使用するということは、軍がかかわっていたという。

さて、当時の日本の教育には「生きて虜囚の辱めを受けず」というものがあった。
本来は戦闘員に対するものだが、婦女子に対しても、貞操を守るために命を絶つことが尊ばれていた。
その端的な記録は、サイパン島で、断崖から身を投じる女性の姿として残っている。

軍の命令というのも難しい。
軍人は、上官の命令に服従する。
しかし、民間人は、少なくとも任務に関しては命令を受ける立場には無い。

敵が攻めてきたらこれを使って死になさいとして手榴弾を渡されたとして。
これは「死ね」という命令ではなく、当時の常識に従った行為に過ぎない。

「横断歩道を渡っていても、車が突っ込んできたらよけなさい」という教えは、法令を無視した行為を容認しろという命令ではないだろう。

また、集団自決の命令があったとして、忠実に遂行していたら、生き残っているものはいない。
その意味では、反抗的発想のものが残ったという見方もできる。
当時の常識に忠実なものは生き残っていないからだ。
もちろん、生にたいしての当然の権利ではあるが。

2007.9.29 沖縄県宜野湾市で行われた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」では、女子高生が「本当のことを教えて欲しい」と訴えた。

が、この大会の参加者数11万人が、怪しいとされる。
産経新聞によれば、東京ドームと同じ面積の平面では、密度的に4万人程度という。
4万人と11万人では、およそ3倍の開きがある。
一般に、主催者発表は大きめになる。
これに対して警察の集計は小さくなる。
主催者は、参加規模が大きいほど意義を訴えられるからだ。
これに対して警察は、警備上の都合で集計しているから、別に多くも少なくもする必要はない。
最近、警察では参加者数の発表を行っていないが、大会関係者からの抗議に手を焼いたためという。
これは12年前の沖縄で、警察の発表58000が、主催者ま発表より27000名少なかったことによる。
従って、今回も警察の発表は無い。
12年前5割の差異があったが、今度は3倍か。。。

正しいことはまず自らが示さねばなるまい。

また、沖縄では、この空気に異を唱えるものに対して風当たりが強いという。
それこそが「強制」というものてはないだろうか。

沖縄と本土では温度差があるといわれる。
確かに現地の体験の無いものには致し方ない。
が、こういった形で現れてしまうと、温度差は埋まるべくも無い。




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新規作成日:2007年10月8日/最終更新日:2007年10月8日