元東京簡易裁判所書記官に対する判決公判で「泣いて馬謖を斬る」??

JR武蔵野腺の車内などでスリを繰り返したとして窃盗罪に問われた元東京簡易裁判所書記官に対する判決公判が千葉地裁で開かれ、実刑判決が言い渡された。

裁判長は「『泣いて馬謖を斬る』の例えも有るように、裁判所としては、泣いてでも被告人に厳しい処分を下さなければならない。」と述べたと言う。

「泣いて馬謖を斬る」
諸葛亮の行った第一次北伐(228)の際、先鋒を任された馬謖であるが、 魏の武将・張との対陣の際、独断で山頂部に陣を敷く。馬謖は攻める際に上から下へと攻撃したほうが強いと思ったようだ。
魏軍はこの山を包囲し水の補給路を絶ってしまったので、馬謖の率いる蜀軍はろくに食事をとることもできず、脱走兵まで出すような大敗を喫する。
この記述は「蜀書・馬良伝」や「襄陽記」に見られ、史実であったようだ。

孔明は馬謖のことを自分の後継者になるものとして非常に可愛がっていたようだが、 法秩序を明らかにするために馬謖を処刑する。彼の葬儀の際、孔明自らも参列し、いつまでも泣いていたと伝えられている。
孔明は本当の不徳は人選ミスをした自分の責任だとして、丞相から右将軍に格下げした。
これが有名な「泣いて馬謖を斬る」ということであり、私情において忍び難いが、規律を保つ為にやむえず処罰することの例えである。

さて、元東京簡易裁判所書記官に対する千葉地裁の裁判長の言葉は気になる所だ。
「『泣いて馬謖を斬る』の例えも有るように、裁判所としては、泣いてでも被告人に厳しい処分を下さなければならない。」と言う言は、悪意なき犯罪の全ての判決に、裁判官として痛みを覚えるという意味では、何もこの判決に限った事ではない。

馬謖は、有能な武将であったが、独断が、統率に反するという意味で、処刑されている。
対して、元東京簡易裁判所書記官は、どうなのだろうか。
有能な職員であったかどうかは、ここでは、正確な議論は出来ない。
−一般の偏見的発想で言えば、犯罪者が有能であるわけはない−
しかしながら、裁判所と言う法と秩序を礎とする職場に勤務する者が、窃盗を犯す事自態、論外であり、今回の「泣いて馬謖を斬る」とは、意味が異なる
馬謖の命令違反は、裁量権逸脱であるが、窃盗は一般的犯罪である。

町奉行の裁量の時代なら、「公務に有る物がかかる犯罪に手を染めるとは言語道断、よって打ち首獄門」とさえいわれる物である。

「裁判所職員に対して、私情において忍び難いが、規律を保つ為にやむえず処罰する」と言う事であれば、これは法治国家として、極めてお粗末な秩序態勢である。

或いは、単に、名言を言いたいとしゃれた、知恵の足りない裁判官が、ことわざの意味を理解せずに、言ってみただけなのだろうか。

いずれにせよ、お粗末極まりない。


戻る TOPに戻る

新規作成日:2001年5月9日/最終更新日:2001年5月9日