回転ドアに挟まれ死亡事故

2004.3.25 東京の六本木ヒルズで、6歳の幼児が回転ドアに挟まれ死亡する事故があった。
まずは亡くなった遺児に合掌。

事の詳細は、当局が調査し、しかるべき措置がとられるであろう。
一般論として検証してみたい。

今回、該当する回転ドアには「子供は大人が手を引いて通るように」注意書きがあった。
そして、危険防止のための柵もあった。
が、その幼児は、直前で親の手を離し、柵をすり抜け、回転ドアに駆け込んで挟まれたという。

こういう場合、いちいち施設の管理責任という話が筆頭に挙げられるから困ってしまう。

確かに、各種設備の安全性は必要だ。
が、まったく危険がないものなど、この世の中に存在しない。
もちろんリスクは少ないほうがよいのだが、それを防ぐのは各自の知恵だろう。

しつけの行き届かない乱暴な餓鬼が痛い目に逢ったとしても、それは天の教育と見るべきで、いちいち責任を言われてはたまらない。
死ぬほどの事故は問題だが、すべての幼児がこのように巻き込まれて亡くなっているわけではないことも良く考えるべきだ。

六本木ヒルズは、展望室もあるが、別に子供の遊興施設ということではない。
ビル側の安全対策の不足する部分を、親が安全を図ることは当然のことだ。
直前で手を離したことが、子供を守りきれなかった責任であるし、親の言うことを守れず、はしゃぎまわるような躾しかしていなかったことも問われるべきだ。
柵を越えて、閉まりかけたところへ頭を突っ込むなど、悪ふざけも過ぎるというものだ。
日ごろからやりたい放題させているのでなければ、公共の場でこのようなはしゃぎ方はしないものだ。
ドアにはセンサーが付いていて、挟まれそうになると、停止する仕組みにはなっている。
が、こんなものは万全であるわけがない。
一切の事故が起きないドアは、絶対開かないか、閉じることが出来ないかのいずれかだ。
開閉部はすべてについて、挟まれる危険は付いて回る。

自動ドアでもわかるように、ドアとセンサーの関係が問題だ。
人の歩く早さに応じてセンサーが感知してドアが開閉する。
センサーが鈍いと、ドアの前で立ち止まらないと開かないが、センサーが敏感すぎると、無関係な通行人や猫にも反応して開いてしまう。
従って、100mを9秒で走り抜ける陸上選手がドアに駆け込んでも、正常に動作するように設定するわけがない。
これは安全装置としてのセンサーも同様で、ある程度の想定時間差に対して安全装置が適正に働く。
すなわち、安全装置が利きすぎると、いちいち停止してしまうわけである。
逆に、閉まりりかかったところへ駆け込むというのは極めて危険ということだ。
また、センサーが感知しても、急に止まれないことにも事情がある。
物理法則には、慣性の法則というものが合って、急には止まれないものだ。
例えば、先行する自動車が、ホントニその場に止まってしまったら、後続の車はぶつかってしまうだろう。


先日、小泉総理が喧嘩に訪れたという。
痛ましい事故の犠牲者、幼い少年を思うといえば聞こえが良いが、なんかパフォーマンスが間違っている。
三菱自動車の欠陥車による犠牲者は、まったく落ち度のない犠牲者であるが、総理は献花はおろか、事故調査の指示もしていない。
今回のは、被害者側にも、落ち度はあるのだ。


子供は、一般にわんぱく盛りであるという。
が、それを他の公共すべてが受け入れられるわけがない。
社会性というものを教育し、わがままの限度を知らせるのは親の責任だ。


お通夜、葬儀とも、ビル関係者らが訪れたが、両親から参列を断られている。
まあ、本人サイドの感情論もあるし、かまわない。
ただ、まったくの落ち度のない、純然たる被害者というわけではないことも、十分に考えるべきだ。


最愛の子を失ったことは、この上ない悲しみだろう。
しかし、その落ち度は、すべてが回転ドアにあるわけではないのだ。
日本人は、死者に対して寛大ではあるが、死を持ってすべてが肯定されるのは間違いだ。


むしろ、あることないこと叩かれているビルや回転ドア側こそ被害者だ。
過去の事故についての報告がないなどが問題とされているが、法規上の規定にないことではなかろうか。
三菱自動車が、設計製造上の欠陥による事故責任を、整備不良としてかたずけ、それを疑わなかった警察などとは、まったく違うのだ。


六本木ヒルズでは、 3月29日(月)〜4月4日(日)に予定されていた、イベント 「桜のライトアップ」「花見茶屋」「花市」「ワールドストリートパフォーマンス」などを中止している。
言うまでもなく、この事件があったからだ。
イベントを楽しみにしていた大勢の人が、迷惑をする。

以前、東京渋谷のTEPCOで、はしゃいだ悪餓鬼が装置に挟まれる事故があった。
そしてその装置は、公開が取りやめられた。
以降、楽しみにしていた大勢の人が見られない。
係員の指示に従っていれば起きない事故が、躾の出来ていない乱暴者にまぜっかえされる。
こんなことは許されてはならない。


躾の行き届かない、言うことを聞かないものの安全を保証するには、一切の施設から子供を締め出す以外にないだろう。
ごく一握りの悪ガキの為に、まじめなものが割りを食うのである。


2004.8.11 父親が記者会見をした。
妻はずっと悩んでいるという。
が、父親の談話は、単に回転ドアの危険のみを言うものだった。
この発想なら事故も起きよう。
躾が行き届き、親の言うことも聞くなら事故も起きない。
少なくとも、過去にここの回転ドアで、親に手を引かれて適正に利用した親子で、事故死したものは居ないのだ。
責任転嫁もはなはだしい。




戻る TOPに戻る

新規作成日:2004年3月25日/最終更新日:2004年8月11日