民主党のメール疑惑

ライブドア問題に関連して、自民党の武部幹事長と、ライブドアの堀江社長(当時)との間で金銭の授受があったとして、民主党の永田議員から追求があった。

政治と金は、天下り・談合・癒着のように、ある意味解消できそうもない問題の一つであり、金銭授受の事件があっても何ら不思議ではない。

が、その根拠として、社内メールなるものが呈示された。
これが、黒塗りが多い。
もちろん、関係者等に配慮する必要はあるが。

その後、このメールの真偽等を含めて、自民党と民主党の間で論戦が展開された。

自民党は「ライブドアの堀江社長(当時)に確認したがそのような事実はない」との証言を得たというが、ライブドアの堀江社長(当時)は目下容疑者として拘留中であり、発言をそのまま信じるなら、容疑事実の潔白も信じて釈放するのかという命題もある。

また「口座等を確認したがそのような事実はない」とも言うが、隠し口座は隠し通すだろう。

さて、民主党も、更なる裏づけが求められる。
が、歯切れが悪い。

メールの信憑性も疑われ始めた。

情報提供者や、怪文書は、永田町では五万とあるらしい。
が、これを国会で追及するには、それなりの裏づけが必要だ。

しかし、このメールは、なにやら永田議員が作り直したとさえ言われる。
すなわち、原資料を元に、打ち直したとか。
内容が一致していればまだ良いが、この段階で修正が加わっていれば、捏造である。

果たして、メールの発信者と受信者は、情報提供者のメールアドレスだったという。
もっとも、何らかの事情でメールを転送すれば、こういった事はありうるわけだが。
が、論拠とする場合は、証拠として確かなものでなくてはならない。

叩いてくれば、堀江氏はメールの署名は、堀江と漢字ではなく、アルファベットで書くらしい。
また、宛先たる山崎氏も、通常は「ざきさん」と書いていたらしい。
更には、問題のある資金移動であれば、振込ではなく、現金渡しが常識である。
疑惑は深まる。

民主党は強気を崩さなかったが、疑惑は晴れることはなかった。

主張としては「いちいち議員辞職などと責任追及されていたら、質問が出来なくなる」という。
根拠のあるものなら正論だ。
が、どこかで捏造したようなもので、いちいち国会を騒がせられていては国民はたまらない。

と、永田議員の所業も取りざたされてきた。
国会での審議中、資料で折り紙を作っている姿が録画されていた。
国会議員としての姿勢が問われる。

やがて永田議員は体調を崩したとして入院したらしい。
小泉総理は「この程度のストレスで入院していたら、私なんか毎日入院だ」と。

国会議員は、院内での発言について、罪に問われることがないという。
が、これは、議員の不逮捕特権同様、国民の代表としての権利であり、個人的な権利ではないことがポイントだ。
審議中に折り紙を折り、捏造資料で国会を騒がす様なものは、議員の資格はない。

民主党は、永田議員の謝罪で済ませる方向らしいが、トカゲの尻尾は早く切らないと、胴体も食われてしまうだろう。

もちろん、こんな茶番で国民が納得するわけがない。
そこまで国民を馬鹿にしきった党に支持するものはいないだろう。

民主党のホームページでは
【民主党へのご意見メールについてのお願い】
* すべてのメールにお返事できない場合があります。特に、本文中に送信者の氏名が記入されていないメールには基本的にお返事いたしかねますので、あらかじめご了承下さい。
とある。
出所不明のものは、対応しないということだろう。
では、なぜ、かくもいい加減なメールを根拠に国会での追及をしたのだろうか。

国民すべてが納得しない限り、民主党は、今後の国会での追及に際して、信憑性の証明から入らなければならないだろう。
すなわち、狼少年同様、嘘つきはそもそもが信じてもらえないのである。

武部幹事長等に謝罪するというが、ライブドアの堀江社長(当時)にはしないのだろうか。
やってもいない罪をかぶせられた、すなわち、濡れ衣である。

メールの捏造に関わったものは、罪に問われるべきであろう。

全く無実というなら、更に信憑性のありそうなメールは、いくらでも作れるであろう。


さて、とどのつまり、民主党と永田議員は「謝罪」ということになった。
が、最初の会見での内容が、謝罪に値せず、改めて、深く謝罪することになった。
結局は、いい加減な情報で突っ込んだというだけであった。

当初、情報元は守ると主張していたが、「今回の事態に至った原因は情報元であり、刑事告発も」というから笑う。
情報元が実在すればよいのだが、むしろ永田議員個人の捏造の可能性を疑う余地もあるだろう。
果たして情報元がいたとしよう。
永田議員の懇意という。
しかし「冗談でこんなメールを作ってみたけど、まさか国会で追及するネタに使うとは思わなかった」という弁論は、まっとうなものとして受け入れてもらえるだろう。




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新規作成日:2006年2月27日/最終更新日:20064年3月3日