おかしな債務者の論理
個人、法人に限らず、経済活動を行えば、何らかの債権、債務はつきまとう。
経済が円滑で、あるいは、債務者の計算通りの債務状況であれば、問題も少ないかもしれない。
しかし、世の中は不況。
企業は運転資金に困り、個人も経済に苦しんでいる。
という状況はあるかもしれない。
が、それを一切の責任として、債務を怠るものが存在するのはどういう事だろうか。
債権者は、債権という権利を有し、債務者は、債務という義務を負っている。
借金の取りたてに困っている向きも多いかもしれない。
が、債権の行使たる借金取りが悪であるかのような理論はどうして起きるのだろうか。
あくまで、借りたのは「債務者」である。
無理矢理押し付けられたわけではなく、債務者が希望して借りたのである。
にもかかわらず、返済期限を滞り、返さない。
これを権利として、債権者を悪く言うのはそもそもおかしい。
いやなら初めから借りなければよいのだ。
返せないものを借りなければよいのだ。
その責任は、一切債権者にはないのである。
日本にはおかしな法律があって、債務者を過保護にする要素がある。
最悪「自己破産」してしまえば、何事もなかったことに出来ると勘違いしている向きも多い。
とんでもないことだ。
債務者にも、個別には色々勘案すべき理由も有るかもしれない。
しかし、本来は、債務を履行すべきなのである。
債務不履行であるなら、誠心誠意、債権者に説明し、納得してもらうのが第一である。
借金の取立てに際して「血も涙もない」と文句を言う。
本来、借りたものを返すことがまっとうなのに、返しもしないで何をえらっそうに言うのか。
一般に、債権者は、資金体力があるから、少しくらい余裕があるべきだという発想なのだろう。
しかし、では、どうして自らが借金をしなければならず、また、どうして返済が滞るかも考えなければならない。
借金をし、返済が滞るのは、債務者側の一方的な事情だ。
その責任を、債務者に擦り付けて人事のように言う姿勢ではお話にならない。
自らが困る分と同じ金額を、貸してもらっているという点をよく考えたい。
借金を苦にして自殺したという話はよく聞くが、借金返済で働きすぎで死んだという話は聞かない。
借りたものの人権を言うなら、債権者の権利も考えたい。
自らの責任をまっとうできないという発想が、諸悪の根源だ。
2008.7? 最高裁で、闇金の元本は犯罪の道具なので返済の義務はないという判決が出たらしい。
借りたものでも返さなくてよいとか。。。
はぁ?、なんか変だ。
犯罪の道具かもしれないが、それが、債務者の権利になるべきものでもないだろう。
返せないお金を借りて踏み倒す行為は犯罪とは言わないのだろうか。
まあ、もっとも、法的権利を獲得したところで、そもそも闇金、黙ってくれるわけもないから、何がしかの痛い目はあるんだろうね^^
その場合、身から出た錆で、同情はしない。
そもそも、闇金に手を出すということは、まっとうな借り入れが出来ない状態を意味する。
どうしてそんな状態になったのか。
まあ、中には気の毒なケースもあるかもしれないが、そんなのはホンの一握りだろう。
大概は、所得を大幅に超えた支出、経済感覚のなさが問題だ。
借り入れを膨らます生活形態を改めなければ話は解決しない。
支援団体は「公的貸付が必要だが、審査が厳しすぎる、保証人は不要にすべきだ」とのたまう。
あの、公的資金は、お金にふしだらな人への施しではないんですけど。。。
そもそも血税を原資とする以上、回収は当然の話で、審査が厳しいのは回収のめどを確認するため、保証人が必要なのは最悪の場合でも回収できるようにするためだ。
闇金が無担保高利で貸してくれていたのは、いずれ強引にふんだくるつもりがあったわけで、べつに債務者への慈善事業だったわけでもない。
公的貸付が低利なのは、返すのが当たり前で、一定の支援、という性質のものだ。
鼻から返さなくて良い性質と考えられていては溜まったものではない。
だいたい支援団体が、多重債務者の保証人になってあげれば済むだろう。
多重債務者の権利を言う前に、まっとうな経済生活を送っているもののお荷物にならないことを優先してもらいたいものだ。
新規作成日:2003年2月17日/最終更新日:2008年7月6日