いじめの問題
昨今いじめの問題がクローズアップされる。
しかしながらなかなか解決しない。
が、たとえ学校教育の中で、いじめが解決したとしても、世の中すべてからいじめがなくなるわけではない。
その意味では、いじめに耐え抜いた、(麦踏みの)麦のような存在のほうが、社会に出てからの抵抗力はあるといえる。
エリートとされなんの支障もなく育ったものに限って、チープキルで一生を破滅に導くことも珍しくはない。
とはいえ、ここでは、いじめを奨励するものではない。
川崎市多摩区の市立南菅小学校(児童数316人、東頼孝校長)で、2000年4月からほぼ1年間にわたり、当時3年生の女子児童がいじめを受けていたとして、川崎市教育委員会が2004年1月28日会見して経緯を説明した。
児童は父親が中国人で、市教委は「民族差別を背景に行われた悪質ないじめ」と認め、児童と家族に謝罪し、市立南菅小学校に、指導改善を求める通知書を送ったという。
川崎市教育委員会によると、児童は2000年4月からクラスメートの一部に「中国人」などとはやし立てられ、頭をたたくなどいじめを受けたという。
ここまではよくある話だ。
チビ、デブ、のっぽ、ヤセ、およそ形容詞のある数だけいじめ言葉は存在する。
しかし問題なのは、当時の学校の対応だ。
保護者との話の中で「いじめられるほうに問題がある」という空気があったことだ。
不必要に太ったデブは、教訓にして少しはスマートになったほうがよいと思うが、中国人をして言うのは人種差別であろう。
仮にその父親が日本国内に滞在することに問題があったとしても、児童本人には関係のないことだ。
「いじめられるほうに問題がある」というのは、もしいじめたほうが誰かに殺されても「殺される側に問題がある」として解決するのと同じだろう。
この空気を支配した保護者、教職員が、社会的制裁以上のものを受けても、それこそが「本人に問題がある」事なのである。
同小の一部教員や関係児童の保護者は「子供を傷つけたくないと、実態調査に反発した」という。
加害者を保護して被害者をおとしめる行為は断じて許されないだろう。
川崎市は「平和宣言都市」などと、当たり前のことを大声で叫んでいるのだが、基本的人権すら教育できない程度で、大きな顔をされたくないものだ。
新規作成日:2004年2月2日/最終更新日:2004年2月2日