長浜の幼稚園児殺人事件の諸問題
2006.2 滋賀県長浜の幼稚園児2人を、グループ送迎の別の母親が殺害する事件が発生した。
子供の安全のために、グループでということがアダになってしまった。
ここで、ことさらグループ送迎に対する批判が上がらないのは懸命だ。
しかし、さっそくに、グループ送迎をやめるという。
確かに、事件の原因の一端を除くという意味では正しいかもしれないのだが・・・。
が、それを追求すれば、およそすべてのものは危険なのである。
複数のものが集まれば、もはや危険なのである。
登下校の危険ばかりか、教室でも、どこでも事件は起きている。
その意味では、もはや、外出すら危険だ。
「知らない人についてゆかないように」という。
この発想が、危険から守れなかったわけである。
およそ、誰にもついて行ってはいけないのだ。
親とてわが子を殺す時代だ。
登下校の区間を守るなら、必ず直行し、この間、例え親でも、予定外の言動に従ってはいけないのだ。
子供に教えるときに、およそ怪しい姿で犯人役が現れる。
これがそもそも間違いだ。
アイドルなど、親近感を装うものをこれにあて、豹変して凶行に及ぶ姿を見せつけ、教え込むことだ。
さて、この事件の犯人が中国人であったことから、中国では「日本人はいじめ国家」などという話が流れているという。
何か大きな勘違いをしているようだが・・・。
およそいじめというものは、一般に被害者と加害者では認識が大きく異なる。
キレイ事ではいじめの無い社会などと誰でも言うが、被害者側の認識でのいじめは、おそらく無くならないであろう。
もちろん、いじめがあってよいとは言わない。
しかし、いじめの結果として許されるかどうかは別問題だ。
まして今回は、無抵抗の幼児を虐殺していることだ。
中国では、先の大戦における問題を、誇大に捏造してまで追求する向きがあるようだが。
少なくとも、今回のように誰の目にも明らかな虐殺が許されるものではない。
新規作成日:2006年2月19日/最終更新日:2006年2月19日