Thinking!

2004-01-20
戦争は「正しい」のか?
by peace_student

“平和学は、平和主義者の集まりではありません”。そんな風に平和学入門の授業の第一日目に教授に言われた。“じゃあ、平和学って何だろう?”そんな風に思った。

平和とは何か?という思想的な側面と現実世界での事象の両方を分析する。それが平和学のスタンスかもしれない。平和主義、現実主義、聖戦論主義。戦争は絶対悪か?それとも、回避できない現実世界での出来事か?はたまた、「正しい戦争」もあるのだろうか?思想的な観点からすると、この三つが議論の中心である。

私たちが今生きている現実の社会では、どの思想が支配的だろうか。明確なことは、平和主義ではないことであろう。では、現実主義と聖戦論主義はどうだろうか。まず、双方の区別が必要だろう。

現実主義は、「戦争」に対しての価値基準は示さない。戦争が起これば、それを否定はしない。しかし、正当化もしない。国際システムの一部であるとして、無条件に受け入れる思想である。

聖戦論主義は、積極的に「戦争」の価値基準を示すと言える。しかし、いかなる戦争を正当化するわけではない。戦争は基本的に回避したい。しかし、世の中には「正しい戦争」もあるだろう、と考えるのだ。

現実の世界では、もしかしたら聖戦論主義が支配的かもしれない。戦争当事者は、戦中・戦後に限らず、自らの行為を正当化しようとする。理由は様々だろう。心理学的には、自己の過去の選択を人間は実際上に評価し、精神的安定を得たいと思う。政治的には、過去と現在の一貫性が現在の自己を正当化する手段でもある。

仮に「正しい戦争」があるとしたら、それは“誰が”判断するのか?それこそが問題の核心かもしれない。また、「正しい戦争」の基準があるのだろうか?ここで、「神」などというアイデアを出す人もいるかもしれない。宗教論は決して否定はしない。しかし、実際に戦争が「正しい」と言うのは人間だ。「人間」と言っても、人類全てというわけではないだろう。それは「紛争当事者」と絞ることもできる。そして、「紛争当事者」を細かく分類していけば、戦争を指導した人間がある程度特定できるかもしれない。仮にそのように特定された「人物」がいるとしたら、結局は戦争が正しいか否かは「当事者」が決めることになるのかもしれない。だとしたら、聖戦論主義と言うのは、自己証明的で説得力が低いかもしれない。“国際司法裁判所があるじゃないか!”と一瞬思う。しかし、戦争が「正しくない」なら、裁判で争う必要はない。結局、戦争中に行われた「行為」に裁定を下すだけなのだ。

と、こんなことを考えることにより、何が得られるのだろうか。このように考えることが、現実の戦争とどのように関係があるのだろうか。戦争当事者がこんなことを考えて戦争をしているのだろうか。そんな風に思うかもしれない。

戦争が正しいか否かは、外部のアクターがそれへ介入するときの規範的基礎となる。いわゆる「人道的介入」の問題である。特に武力行使を伴う人道的介入が中心である。「人道的」という枕詞は強力である。いかなる反論もこれで論破できるだけの力を持っているかもしれない。では、「人道的」であれば、武力介入(戦争)は正当化できるのだろうか。これには、「人道的」という概念以外にも、法的、倫理的問題が表出する。その「問題」がある以上、簡単には「人道的介入」を正当化できない。では、結局「人道的介入」という言葉もまた「正しい戦争」と同義語なのだろうか。そんな風に思う。“いや違う。「人道的介入」は、規範的であり、倫理的であるから、単なる「戦争」とは違うのだ”と主張する人もいるかもしれない。確かに、「人道的介入」は何か崇高な目的を持っているような“気もする”。

で、平和実現のための「人道的介入」は正当化されるべきである、というのであれば、「正しい戦争」という名の下に戦争を行うのと何が違うのだろうか、と思う。どちらも実質的には同じではないだろうか。結局、武力行使によって(広い意味で)利益を得る人たちにとっては、戦争が「人道的」であろうが、「聖戦」であろうが、そんなことは関係ないのかもしれない。こんな結論だと、これまでの議論が一体何だったのかと思う。

これまでの議論は、結局は「戦争とは何か?」という問いのようにも聞こえる。“平和学は、平和主義者の集まりではありません”という言葉が少し分かったような気がした。戦争の定義が様々であるなら、平和の定義も様々なんだろう。

で、これが結論だろうか。いや、結論を出すにはまだ早い。なぜなら、こういう議論が「誰のため」に行われているのかがわからない。政治家のため?軍人のため?一般市民のため?それとも、学者のため?はたまた、戦争と平和に興味のある大学へ通うだけお金と暇のある学生のためなのだろうか・・・。単なる議論のための議論なのだろうか。

授業で、教授が生徒にアンケートを取った。“あなたにポジションは平和主義者ですか?現実主義者ですか?それとも、聖戦論者ですか?”。多くの平和学科の学生は、「聖戦論者」に手を上げた。“人道的介入は必要だ。人を助けるためには人道的介入は正当化されるべきだ。だから、「正しい戦争」もある。故に、「聖戦論者」だ”。そういうロジックなのだろうか。

「哲学」をしたいのではない。問題を「解決」したいのだ。現実には、人が「戦争」で殺され、傷つけられているのだから。

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