大佛師川村雅則 作品で辿る足跡

 
< 彫像年から辿る  (川村 雅則記) >

事務局に促され、今までの作品を辿ってみることになりました。
いざ振り返ってみると、仏像彫刻に携わり30余年の年月が経っていたことに、我ながら驚いた次第です。

 予期せぬ出来事であるうえ、もとより整理が良い方ではないので、
少しずつ記憶を辿り、古い写真を引っ張り出し、何とか思い出せるところまで思い出してみました。

ほとんどの作品は既に手元にはありませんが、完成したときに一体一体撮っておいた写真が役に立ちました。
 
これから少しずつHPを充実させていくことを約束し、ひとまず公開することとなりました。(2007/2/16 川村 雅則 記)  

 


   ※写真をクリックすると、拡大できます。



十一面観音立像
(平成30年作)
 (未完)
白檀阿弥陀如来坐像 
(平成29年作)
小品ですが台座の花弁は吹き寄せ蓮弁とし、華盤は雲の透かし模様と水面を表わしました。阿弥陀如来の説法印の手の彫り出しに苦労しました  

 

白檀不空羂索観音
(平成28年作)
東大寺三月堂の巨大な観音像をモデルにし本体八寸の白檀の小像を彫像しました。細密な宝冠のデザインや合掌手内の水晶玉の制作や取り付けに苦労しました。

白檀五大明王 
(平成27年作)
生駒の宝山寺の五大明王を
参考にし、京都の大覚寺の
五大明王のデザインも
取り入れて彫刻しました。 

 
 
深沙大将 
(平成26年作)
深沙大将は執金剛神と共に奈良時代から信仰されていたようです.
執金剛神は平成18年に作成したので今回の深沙大将も同様に(同じ寸法、一木作り)で作成しました。

弁財天半跏像
(平成25年作)
仁和寺の仏画の弁財天をもとに
デザインしました。
本体の後部の天衣の浮き出しと
琵琶とバチまでを一木で
彫りあげました。




地蔵菩薩半跏像
(平成24年作)
今回の作品は地蔵では珍しい半跏像ですが、昭島の阿弥陀寺から依頼されました。本体と台座(返り花まで)を一木で彫りあげました。

白檀阿弥陀三尊像
(平成23年作)
6年ぶりに白檀の作品に取り組みました、手本は法隆寺の「橘夫人念じ佛」ですが、光背と天蓋を透かし彫りの意匠としました。白檀材は小さいため光背だけは一木では出来ず、薄い白檀材のはぎ付けに苦労しました。


釈迦涅槃像
(平成22年作)
多くの弟子や侍者が駆けつけた釈迦涅槃像は仏画では多く見られますが、木彫の作品は見たことがないのでこのテーマに挑んでみました。材料はカヤですが、丸彫りにこだわったため非常に苦労しました。

風神・雷神像
(平成21年作)
 風神雷神像を桐の一木で彫像しました。
 今回のように一木で深彫りするには、軽くてやわらかな桐材が適していると思い、使用しました。




薬師如来立像
(平成20年作)
 武蔵野市の延命寺より依頼されたニ尺の薬師如来立像を、寄木造り、玉眼入りで彫像しました。仕上げは総金箔、本体と蓮華座のみ粉溜仕上げ(金箔の上に金粉を蒔く仕上げ)をして、その上に截金を施しました。

佛龕<仏界>
(平成19年作)
 以前より透かし彫りの仏龕を作りたいと思っていましたが、 私が今までに手がけた主な仏像の総集編のミニチュア版と いう形で、実現できました。


執金剛神
(平成18年作)

二十七面千手観音
(平成17年作)

妙見菩薩像
(平成16年)

馬鳴菩薩像
(平成15年作)
玉依姫命坐像
(平成14年作)
 白檀孔雀明王
(平成13年作) 
 馬頭観音坐像
(平成12年作) 
 慈母観音立像
(平成11年作)

 白檀如意輪
観音半跏像
(平成10年作)
 四天王立像
(平成 9年作)


白檀聖観音立像
(平成 8年作)

 倶利伽羅不動
明王立像
(平成 8年作)

 白檀釈迦如来
坐像
 (平成 7年作)

十二神将立像
(平成 6年作) 

地蔵菩薩立像
(平成 5年作)


白檀十一面観音
立像 
(平成 4年作)

吉祥天立像
(平成 3年作)

釈迦十大弟子立像
(平成 2年作)

薬師三尊像
(昭和63年〜
平成 元年作)

聖僧文殊坐像
(昭和62年作)


七福神
(昭和61年作)

釈迦如来坐像
(昭和60年作)

文殊菩薩像(倚獅)
(昭和59年作)

普賢菩薩像(倚象)
(昭和58年作)

仁王立像
(昭和57年作)


千手観音坐像
(昭和56年作)

毘沙門天立像
(昭和55年)

阿弥陀如来立像
(昭和54年作)
などなど遡り・・・
12歳のとき
初めての仏像彫刻
白衣観音


< 仏像彫刻と共に  (川村 雅則記) >
私が松久朋琳・宗琳先生方が立ち上げた宗教芸術院の存在を知ったのは、20代のころでした。
私は子供の頃から、木を削って物を作る事が好きでした。
私は東京で生まれましたが、父は木工職人で、戦時中に病気のため、
私が物心つかない内に亡くなりました。
家も空襲で焼かれ、田舎に疎開したため、
父が作ったたくさんの家具や木工品も、全て失いました。

父の面影も知らず、父から受け継いだものはありませんが、
小学生の頃から木を削って好きなものを作っている姿を
祖母が見ると決まって、「あゝやっぱりカエルの子はカエルだ」
と言っているのを聞いて、「何を言っているのかな」
と思いながら遊んでいました。

昔は台所に薪がありましたから、気が向いたときには
よく薪を使って好きなものを作っていました。
お面や動物等作ったものは人にあげたりして無くなりましたが、
唯一の残っているのが12歳のときに初めて作った仏像の白衣観音です。

それ以後仏像を作ったことはありませんでしたが、20代のときに
京都大佛師の松久朋琳・宗琳各先生が、東京原宿の東郷会館まで京都から出向いて
佛像彫刻を教えていることを知り、早速教えを乞いに出かけました。

それ以後京都の先生の自宅まで手ほどきを受けに通い続けましたが、
そのうちに東京の教室の講師を受け持つことになり、
他にも、いくつかのカルチャー教室等の要請を受けて講師を担当することになりました。
今では生徒の中から三人に助講師になってもらい、
都内及び近県の教室も開いております。

宗琳先生から関東支部長の肩書きを頂いてから、廿数年。
宗教芸術院の主旨である(日本人一人一人が自分で仏像を作ることにより心の安らぎを得る)
という一人一仏運動を、これからも広める様に努めたいと思っています。

平成4年に第1回を開催して以来、3年に1度開かれる
宗教芸術院関東支部の「仏像彫刻作品展」も、平成18年に5回目を迎えました。


京都本部の現在の宗教芸術院長である松久佳遊さんと截金師の松久真やさん、
本部の仏師である柚山宗寛さんにも出品、来場して頂き、
また、支部会員の皆さんの協力も得て、
出品者70名、出品作品数150点を数えるほどになりました。

多くの人に来場、見学をして頂き、大変盛況のうちに展覧会を開催することが出来ました。
これからもより多くの人に、仏像彫刻の楽しさを体験していただきたいと思っております。



    
< 師との思いで  (川村 雅則記) >   

私もよわい60を過ぎましたが、今でも若いときに
朋琳先生、宗琳先生が話されたことを時々思い出し、心 の励みにしております。
朋琳先生からは主に仏像彫刻に対する精神面での教えを、
又、宗琳先生からは、技術 的なことは何でも解りやすく教えて頂きましたが、
やはり仏像彫刻に対する心構えについてよく話されていたことを思い出します


朋琳先生が、東京原宿の東郷会館に
仏像彫刻を教えに京都から出向いていらしたときにされたお話を、時々 思い出します。
それは、「今の時代は金を出せば気軽に楽しむことは沢山あるが、
そうして楽しんだ後には何か虚しさが残る。
それに比べ仏像彫刻などは、造っている時はもちろん楽しいが、
終わってからも作品として喜びが残る。」という意味のお話でした。

私も共感を覚え、この事は私が仏像彫刻を続けていく決心をした一つの要因だったと思います。

 当時、九条山の工房で暮らされていた朋琳先生を訪ねたときに話されたことは、
日本人の美意識についてでし た。
日本人の美的価値観について、西洋のそれと比較して話されました。

 朋琳先生は、「日本では書道でも日本画で も、創作するときは修正も失敗も許されない。
相撲などと同様に一本勝負だ。」と、おっしゃいます。
「それに比べ、西洋の油絵や塑像などは修正しながら創作するので失敗が少ない。
スポーツでも相撲と違いボクシングなど は、何度倒されても起き上がる。
このように日本人は、一本勝負の潔さを重んじる。」と、
日本人の心につ いて、説かれました。

私は今でも仏像彫刻をするに当たって、
朋琳先生の言われた一本勝負という緊張感を失わないように心がけています。

宗琳先生は、よく、レストランや居酒屋で講師や弟子たちと酌み交わしながら話をされました。
先生はビ ールがお好きでしたが、酒に大変強く、
いくら飲んでもしっかりと話をしておられました。

私の強く印象に残っている話・・・

宗教美術展の会場で、私の作品をご覧になりながら、
「手間をかけた作品 には、誰にも動かせない
厳然たる重みがあるんや。」
と言われ、私の作品をより目立つ場所に移動してくださ った
こともありました。

今でも私は、「仏像彫刻に手間を惜しんではいけない。」
という言葉を戒めにしております。

もう一つ、よく思い出す話・・・

「どこにも欠点も悪いところも無い作品でも、少しも良くない作品があるもんや!
それに比べ、ゆがんだところがあったり何かが足りなくても
なんとなく魅力がある作品があるもんや!」と言われました。    

慢心を起こさず、挑戦する気持ちを失わないように努力しなければ、
人に感動をあたえる作品はできない、というように私は解釈しています。

朋琳先生、宗琳先生から伺ったお話は、今も教訓として、私の心の中で生きております。

  
 
  



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