見たり聞いたり驚いたり
世間じゃ立派な初期高齢者
それなりの地位やキャリアがありゃ、初期高齢者も悪くはないんだろうが。
山田風太郎「人間臨終図鑑」によると、52歳で死んだ人は次の通り。
源頼朝 落馬(?)
武田信玄 肺結核(?)
シェイクスピア 熱病(?)
原田甲斐 刺殺
フィティ チフス
ナポレオン 胃癌または毒殺(?)
頼山陽 結核
山岡鉄舟 胃癌
ヴェルレーヌ のたれ死に
フーディニ 撲殺
野口英世 黄熱病
蓑田胸喜 縊れ死
宮本百合子 脳脊髄膜炎菌による敗血症
向田邦子 飛行機事故
ぼちぼち癌が出て来る。
源頼朝の落馬は通説で突然死だから、脳溢血か暗殺説もあるんだとか。面白いのは政子の浮気を疑い見張っていたら怪しい奴と間違われて番兵に殺された説。これがホントだとしたら間抜け過ぎる。
フーディニって人はよく知らないんだけど、マジシャンで。舞台上にお客を上げて「では、この棒で私を思いっきり殴ってください」と手品の種の棒を渡したんだが、何故かそのまま殴られて死んじゃったんだと。寄席のマジックで舞台に上げられた時は注意しないと。寄席行って殺人罪じゃワリがあわないよ。
あっ、ナポレオンはフランスのナポレオンで、マジシャンのほうではない。念のため。
シェイクスピアは40代で引退して、引退後は幸福な人生で、死ぬ時も急に病気になってコロッと死んだそうな。シェイクスピアならコロッと死ねようが、俺はまだ死ねないよなぁ。
(12/3.31)
改憲問題に関する私的意見
維新の会の台頭や自民党の改憲草案などで、ふたたび改憲問題がクローズアップされている。
そのことに関しての私的意見を述べる。ミクシィ等に同じ文を掲載している。賛否いろいろなコメントもいただいているが、否の方が多い。そのことも含めていろいろと考えてみたい。
軍隊を持たずに外国との交渉が出来るのか。
軍隊を持たないのは世界の非常識。
アメリカから押し付けられた憲法じゃないか。
英霊に申し訳がない。
国防に関して不安だ。
アメリカの核の傘の下にいるのは問題だ。
おっしゃりたいことはわからなくはない。
だが、よーく考えてみよう。
軍隊を持たない。国際紛争の解決に武力を用いない。
これらは世界の理想なんじゃないか。
友達同士でも、知らない奴でもいいや。滅茶苦茶むかついた。だから、ぶん殴ったら死んじゃった。
過失致死かもしれないけど、とりあえず警察には捕まる。
家に帰って日本刀持って来て叩き斬ったら、これは殺人罪だね。
だけど、軍なら。国防、国益のために、銃も撃てれば爆弾も落とせる。なーんの恨みもない非戦闘員を何人殺しても罪に問われることはない。
そんな理不尽はないだろう。
戦争なんてやっちゃいけないんだよ。
そういう世界の理想を、憲法という旗で掲げたんだ。
我が国は。
たとえ押し付けられたにしろ。世界の理想だぜ。
名誉なことだと思わないか。カッコイイと思わないのか!
世界の理想の前では、世界の常識なんて屁みたいなもんだろう。
自衛隊はガチンコてせやったら強いんだ。国防は十分だし、国際貢献にも災害救助にも役立っている。軍隊にならなくたっていいじゃないか。
国際救助隊だと思えばいい。サンダーバード1号発射!
英霊だって喜んでいると思う。少なくともビルマで死んだ叔父は喜んでいるはずだ。
折角掲げた世界の理想の旗を、なんで降ろす必要があるんだ。よく考えてみよう。
(12/3.3)
一応2011年まとめ。重代ニュースといこうかね
10位 浪曲協会、補助金不正受給発覚
一応文化庁のHPでお金の流れを追ってみた限りでの私の意見を言うと、ようはシステムが変わったことに浪曲協会の事務方が付いてゆかれなかったということらしい。誰かが懐に入れてたとか、そういうことではないんだ。ただ、不正受給には違いない。それを某メディアの追及に「これからはコンプライアンスを重視し」なんていうコメントしてるのがアホだ。浪曲なんだから。「義理人情」でいいんだよ。それを「コンプライアンス」なんて言葉を教えているおかしなブレインもいるってことだね。ますますわけわかんない。
9位 キングレコード落語CD100タイトル発売
その最後の圓生と二代目円歌、三代目金馬などの解説を書かせていただいた。貴重な仕事である。
そして、プロデューサーの井上剛氏がその数ヵ月後に亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
8位 浪曲十八番ナレーション
NHKラジオの隠れた人気番組に「浪曲十八番」がある。そのオープニングナレーションといえば「浪曲は大人の子守唄」。これは大野桂さんが作ったナレーションで何十年も同じものが流れて、大野さんは「この印税がありがたい」と喜んでいたっけ。なのに番組が夜から午前中に移ったんで、「大人の子守唄」じゃまずいってんで、ナレーションを変えることになり、私のところに依頼が来た。4月〜9月まで私の作ったナレーションが流れました。半年間の印税生活を送るも、評判が悪く10月には他の方の原稿に代わってしまいました。とほほほほ。
7位 日本大学総合学習講座
春秋二回、落語で講師を務めさせていただきました。これも、師、永井啓夫の恩恵であります。
6位 立川談志師匠没
とくに親しくしていただいたわけではありません。
多分、三回くらいしかお話もしていません。
晩年はあまり師匠の高座に接することもなかった。
でも。私の落語観にも大きな影響を与えた方でありました。
いまさらながらに亡くなってその大きさがひしひしと伝わって参ります。
5位 木馬亭夏まつりで「浪花節じいさん」上演
「浪花節じいさん」っていうのは、90年に故・玉川福太郎に書いた浪曲の台本です。いまでも弟子がやってくれています。
今回、ぽん太くんからの依頼で、浪曲のネタを節劇にしてやりたいとのことで。ストーリー変えて、こしらえたものが、木馬亭夏まつりで上演されました。
ネタが一人歩きして、成長していってくれるというのは嬉しいことです。
今回の芝居では出語りの浪曲師役を福太郎最後の弟子の玉川太福にやってもらいました。彼の成長も見守っていきたいと思います。よろしくお願い致します。
4位 小学館「落語、昭和の名人完結編」に連載
小学館の「昭和の名人完結編」が一年間刊行されて、それの箸休めページに一年間連載をさせていただきました。尾道とか長野とか箱根とか、結構取材にも行かれて、楽しかったですわ。
3位 「稲田和浩の時間」で正岡容を語る
今年も5回「稲田和浩の時間」をらくごカフェでやらせていただきました。その最後の12月7日は独演で「正岡容」について語らせていただきました。「お前なんか正岡容知らないのによく語れるね」「それは小沢さんたちの仕事で君の仕事じゃない」。いろいろ言われましたが、まぁ、やってよかったです。正岡を語ったこともですが、無事に語れたのは、永井啓夫とあと、大西信行先生の怪しい本のおかげですが。独演で出来たというのも、これからのなんかやる指針とでもいいますか、方向の一つになったのではないか。まぁ、一回目だからお客さんも来たけど、次にやってもお客さんが来るのかどうかはわかりませんが。
来年も4回、3月28日、6月27日、9月26日、12月7日にやります。よろしくお願い致します。
2位 東日本大震災
これの影響は個人的生活にも大きくのしかかりました。
被災者の方々にくらにべたら、どうということはないです。
うちはちょっとゆれただけで、地震そのものの被害は皆無でした。
でも。
余震におびえ、原発について考え、そして、仕事がいくつか飛びました。
1位 本が一冊も出せず
これからは本を中心に仕事をしてゆこうと思っていたにもかかわらず。今年は一冊も出ませんでした。多分、もう出ないかもしれません。ご愁傷様です。
というわけで、今年一年、皆さんはどんな年でしたでしょうか。来年こそは登竜門みざして、のぼり龍と参りましょう!
って、どうでもいいまとめだなぁ。
林家正楽師匠
面白過ぎる!
昨日は「民族芸能を守る会」楽屋で。
35年前の寒中、川に下りながら紙切った話。当時は一楽。
それ、やじうま寄席でやってて。俺は見てる。
ツービートがレポーターで。
昼の12時からの番組なのに、水着のお姉ちゃんはオッパイ出すわ。そんな番組。
結構ちゃんと覚えてたのを改めて確認した。
やじうま寄席は談志師が司会の番組で。円蔵師(当時、円鏡)とか、毒蝮さんとか、モダンカンカンに、若手でいまのぜん馬さんや琴桜さんも出ていたっけ。
正楽師が入門した年に、初代が亡くなっている。だから、初代の生まれ変わりなんだって。
初代とは素人時代、トロリーバスで一度だけ会ったそうな。トロリーバスっていうのがいいねえ。トロバス。昔、走ってた。
(11/12.20)
正岡容を語るについて2
「稲田和浩の時間〜正岡容を語る」(12月7日らくごカフェ)無事終了。稲田が独りで正岡容を語るという、ある意味無謀な会でもあったが、終演後の打ち上げの正岡容スペシャルドリンクの効果もあり、「稲田和浩の時間」初の満員御礼となり、2011年の最後を飾った。
内容もいたって好評ではあったが、中には「正岡容に一度もあったことのない、関係もない若い者が正岡容を語る資格はないのでは」という批判もあったことは真摯に受け止めなくてはならない。
理屈を言えば、豊臣秀吉を語る人で豊臣秀吉に会った人などいないという反論は出来るが、現時点で正岡容を見たり聞いたり、薫陶を受けたり、あるいは寝食をともにした人たちがたくさんいるのである。私ごときが語るのは確かに出過ぎた真似ではある。そのことは百も承知で、いま、中途半端ではあるが語っておくべきだと思ったのは、永井啓夫の「正岡容が本当に江湖に理解され評価を享けるのは、おそらく今後のことに属する」という一言にあったのだと思う。
今後も手を変え品を変え、怒られないように語り続けていきたいとは思う。
(11/12.9)
正岡容を語るについて
別に俺が語るべきことではない。
そんなことは他人に言われなくてもわかっている。
語るべき人も、語りたい人もいっぱいいるんだ。
だが、いま、とりあえずは中途半端でも、語っておきたいと思った。
そういう頃合でもある。
ホントは白山雅一先生にゲストに来てもらおうと思った。
正岡容の物まね、随分前にやってもらった。
9月に亡くなられて。残念だね。
(11/12.7)
何もかも
俺には何が足りないんだ?
何もかもだ。
(11/10.2)
早いね、もう平岡正明さんの三回忌
3日、岡本の新内の会で、平岡正明さんの三回忌の偲ぶ会。偲ぶ会だけど、今日は平岡さんが好きだった二席を演奏して、あまり余計なことは喋らないようにすると宮之助さんは言ったが、「次郎吉ざんげ」を演奏して感極まったのか、いくつか思い出話をする。評論家と芸人という関係だけじゃない、わかりあえる「友」の死が辛い……と。文弥師と平岡さんの出会いは多分「新内的」(批評社)で、平岡さんが何故新内を取り上げたかったかは、正岡容が新内の口説き節に江戸を見ていたからだと思う。これも先ごろ自殺した中村とうよう氏が平岡さんを文弥師に引き合わせたそうだ。
文弥師の死で、一時平岡さんは新内から離れる。それは偲ぶ会で、「むじな」とか「ありらん」とか小作品しか出せなかった一門のふがいなさにあきれたからだと宮之助さんは言う。数年後、宮之助さんは「次郎吉ざんげ」が演奏出来るようになったので聞いて欲しいと平岡さんに手紙を出し、平岡さんは「次郎吉ざんげ」を聞いて絶賛した。それから宮之助さんと平岡さんの交友がはじまったのだそうだ。
「お絹心中」はそのあとだから。俺は評論家と芸人(作家もある意味、みなし芸人となるんじゃなかろうか)の付き合いしかない。
宮之助さんは一度突き放され、それでホンモノを聞かせて交友に至った。決して、家に行ったり酒を飲んだりする交友ではない。だが、舞台と客席を通じて、黙して多くを語り合える交友だったのだろう。そして、平岡さんの死を、宮之助さんは「友の死」と語った。
俺は「お絹」がペキンパーのような新内と評され、それはそれで嬉しく、それは褒められたから嬉しいのもあるけど、それだけじゃない。ホンキの評論を感じたんだよ。評論でメッセージするホンキの評論だ。だから、山本進氏が平岡さんを「あんなのは評論じゃない」と一瞥したことは実は許せんのですよ。山本進ごときに、そんなことは言われたくない。山本氏がどう思おうと構わないけど、そんなことを俺の前では言って欲しくはなかった。
俺にとっては、宮之助さんとは違い、評論家と芸人でしかなかったけど。勿論、新内だけでなく、「水滸伝」とか落語とか、いろんな共通項はあったのかもしれないけど、そこにあったのは「お絹心中」だと思う。講談の「張順」とか落語の「年季が明けたら」も聞いてもらってるけど、ほとんどノーコメントだった。ただ浪曲の「河童奇談」は裏テーマに気付いてくれたみたいで嬉しかった。あとストーリーだけ説明したら爆笑してくれたのが「元禄淫乱」だが。最晩年の、はぐれ鳥になった快楽亭を応援している時だった。いろいろ接点はないわけではないが、やはり平岡さんの本気をかき立てたのが、文弥師亡き後の岡本を宮之助さんがふるい起こそうと覚えた「次郎吉ざんげ」であり、そのあとの「不心中」などの古曲であり、あえて挑んだ新作の「お絹心中」だったのだろう。
亡くなる前に、実は宮之助さんと相談して、病床の平岡さんを励ます意味で、「閻婆惜」を作った。ほら、「水滸伝〜任侠の夢」で、平岡さんが中国でやったという幽霊だ。多分聞いたら、俺がやった女はそんなんじゃない、とか言われたかもしれない。もしもそういうやりとりがあったら、俺も一人の女を巡って「友」になれたのかもしれないが、平岡さんは「閻婆惜」を聞くことはなく亡くなった。
(11/9.3)
原発に思うこと
昔、20〜30年くらい前かな。その頃は明確に反対だった。
未知の怖さ。テロとか事故もありうる。
気分的に「核」が嫌だった。
当時から自民党支持の奴らは「エネルギー不足の代案を出せ」とか言う。そんなのが出せる頭があったら、理系に進んでるわ。「原発に反対ならテレビもクーラーも使うな」。馬鹿か。お前の電気かよ。
四半世紀くらい前に仕事で新潟の某町へ行った。
「ようこそ原発の町へ」の垂れ幕。「嘘だろう」。同行は結構リベラルな連中だったので、皆、怒ってる。けど、町の人と話したら、推進派、反対派半々で。推進派の人たちの地域事情を聞いたら、他所者が大きな声で「反対だ」とは言えなくなる。
反対の意思表示したら、東電の代理を名乗るところから電話があって脅された。「電気止めるぞ」。
しかし、いろいろやることも多い。忙しくしてたら、原発への関心も薄らいでゆく。
中越地震の時、原発事故が心配だったが、ことなきを得たのは技術への信頼を高めた。
そして、11年3月11日……。まさか福島で原発事故が起きようとは、夢にも思っていなかった。そして、いまに至る。
すぐに関東での計画停電と節電。あきらかに原発止めるとタイヘンなことになりますよという政府と電力会社の脅しだ。
あいつら声がでかい。
風力発電も太陽光も金が掛かって効率悪い。火力もコスト高でCO2の問題もありますよ。クリーンで安全で低コストなのが原発ですよ。そんなのはまやかしだと、福島の事故で皆が知ってしまった。産業と未来のために原発は止めてはならない、叫ぶ政治家がうようよ出て来た。そこまで固執するのはなんだ? 意地か見栄か、それともハナクソみたいな利権か?
大丈夫だよ。日本の頭脳はね。凄いんだよ。今まで原発に掛けて来た金を他のエネルギー政策にまわせば、なんか考える。俺は頭悪いから何も出来ないけど、考える人が考えればなんとかなる。地域の活性だって、原発の補助金に頼らず、なんか道を見出せる。知恵を出そう。
関心が薄れた自分に反省して、これからのことを見てゆこう。それしか出来ないんだよ。もう。
(11.8.8)
無計画停電
認識が間違っているのかもしれない。ただ、これが市民感情というものだ。
勿論、被災地のことを考えたら、何を言うかである。節電はしなきゃいけない。んなことはわかっている。原発についても考えゆかねばならない。(って俺が考えてもどうしようもないんだが)
無計画停電。
そう言ったら、元東電社員というおじさんに恫喝された。
「停電にならないために計画停電やってるんだ。そんなこともわからないのか!勝手なことを言うな。23区であんたのところは停電しないんだ。そのためにやってるんだ」
声がでけえんだよ。
大きな声でなんか言って相手を黙らそうとする、いまの東電そのものじゃねえか。
市民感情で何が無計画に見えるのかをあげる。
・地域わけ。確かにわが家は停電にならない。が、中には日に二回停電になる地域もある。
・時間帯 電力需要の多い時間に停電になるんだろうが、朝や夜はいかがなものか。子供は怖がるだろうし、出勤、帰宅に不便を感じる人は多いだろう。
・交通機関への影響
・告知の不徹底 エレベーターに閉じ込められたお年寄りの話もあった。
・将来が見えない たとえば二三日なら我慢できないこともない。当初、四月いっぱい実施と言っていた。それでも長いな、と思ったら、夏場の電力需要が増えるからやるとか、年内は。揚句、生活様式を変える、まで出た。
ただの生活の不便だけじゃない。コンビニが暗いのは別にいい。電気がないことで起こる首都機能の低下、産業の停滞等、大局のビジョンがないまま、いまの無計画停電を一年以上も実施したら、東京はどうなるんだ?
まだまだいろいろあるが、東電の上意下達なもの言いも問題である。
ひょっとしたら。いや、そんなことは絶対ないはずだが。もしかしたら。今度のことで反原発な感情は高まるだろうから、原発ないと停電するぞ、という東電の恫喝? いやいや、絶対そんなことはないんだよ。
あのおじさんだって、恫喝したんじゃない。声がでかいだけだ。昔変電所にいて、谷の向こうに生声で知らせるから声がでかくなったと言っていた。
だからなんなんだ、文句言ってるだけじゃねえか。
確かにそうだ。
私は理科苦手だから。起死回生のアイディアなんてない。
ただ、なんかもっと「計画的」なことが出来ないものかと思うだけである。
・地域と時間 短期間なら、もっと広範囲に停電し、そのかわり朝夕の時間の停電は避けるとかは出来ないのか。
・一早い電力供給手段 原発が片付かなきゃ無理なのかもしれないが。火力発電所の復旧や、変電の技術的問題の解決とか。理科苦手な私にはそれがどういうことかなんてわかんないけど、理科得意な人たちに頑張ってもらいたい。
・計画と展望 出来る出来ないはともかく。いつ頃までに復旧出来るのか、その方法はどうすればいいのか、ビジョンを示して欲しい。
・一方で節電の呼びかけ これは私が反省すべきところ。昼間は電気点けずにウンコするようこころがけよう。
停電ならないように。私たちの出来ることは節電くらいしかない。それがもどかしくもある。
(11/3.25)
地震
3.11東北で地震があった。
津波があった。
原発がタイヘンなことになった。
東京でも停電とか、都市機能が混乱した。
とりあえず、覚え書き。
さて、この先どうあなるんだろう。
(11/3.20)
見届けることすら出来ない
殺し合いがあった。
二人組みの殺し屋。俺も殺されそうになったが、スキンヘッドの大男に助けられた。しかし、スキンヘッドは殺し屋に簡単にやられてしまい、罠に掛かって有刺鉄線で縛られた。痛そうだ。
隠棲して農業をしていた老人が殺し屋に狙われていた男で、スキンヘッドは彼の部下だった。老人の下に部下たちが集まった。殺し屋も仲間が増えてバトルになった。
尋常じゃない戦いが繰り広げられた。助け出されたスキンヘッドは俺に、「お前は逃げろ」と言う。人が殺されてゆく。大勝さんに似た男が老人側で、毒きのこを食べていたが平気だった。
逃げる俺だが、車のエンジンが掛からない。やっとエンジンを掛けて逃げた。後悔した。俺を助けてくれた人たちが次々に死んでいた。俺は彼らを助けることなんか出来ない。戦士対戦士の戦いなのだ。足手まといなだけだ。
浜辺のビジネスホテルに一泊し、悩みに悩んだ。せめて戦いを見届けるくらいは俺にも出来るんじゃないか。俺は戦場へ戻った。しかし、冷酷な殺し屋たちに老人の部下たちが次々殺されてゆく現実があった。警察も来ていたが、すでに警官の死骸がころがっていた。何かしたくても何も出来ない現実があった。何も出来ないばかりか、怖くなり、俺はふたたび逃げた。
勿論、夢の話だが。自分には何も出来ない、どうすることも出来ないことがあるということを、ただ痛感した。
(11/2.15)
私が演芸作家として大成しなかった理由
なんとなくだが、ふと、わかった。
オイラの作品って「おふざけ」はあるが「笑い」がなかった。
そういうことらしい。
(11/2.10)
いまさらだが、2010年をふり返る
何やってたんだか。
書籍、単独一冊もなし。共著「ザ・前座修業」(NHK生活人新書)、「落語の黄金時代」(三省堂)、「落語長屋 噺の処方箋」(アールズ出版)。「ザ・前座修業」はちょこっと売れたようだ。ホントにちょこっと。
「稲田和浩の時間」はじめた。らくごカフェ。やんないとはじまらないと思ったけど、やってもはじまらない。でもやるだけの成果はあった。
一応内容。
1.前座噺 つくし「占い」「八九升」 麟太郎「道灌」 守田梢路
2.昭和新作1 今輔「表札」(作・鈴木みちを)
3.落語評論 つくし「食べる女」 大友浩
4.浪曲入門 浦太郎「野狐三次」
5.悪 きつつき「悪」
6.昭和新作2 枝太郎「狭き門」(作・大野桂)
今年唯一の新作落語は「悪」
キングレコード「落語塾」の解説。一応、自分の落語観書いた。
商工新聞「元気が出る紙上寄席」連載。
落語、やった。「落語オルタナティブ」(武田俊彦・プロデュース、七針)。
だが、ルガンガにも武田浩介にも敗退。
出演は他に、「新内岡本派」(お江戸日本橋亭、5/1)、「弥次喜多」の解説、「五月一朗の至芸」(国立演芸場、5/5)、対談、「噺の処方箋トークイベント」(紀伊国屋書店会議室、9/21)、対談。
講演は。東京農工大学「共生教育論」、3時間喋りっ放し。
食品衛生管理責任者の資格とる。まあ、講習受けりゃ誰でも取れるんだけど。
メタボに引っかかり、生活指導。腰痛で鍼治療。健康診断はE判定。50歳ってそんなもんかもしれないが、多分、そんなに長生きは出来ない。
(11/1.29)
小説
よく「小説でも書いたら」と言われるけど。
知り合いの作家の人に、世間話ついでに聞いてみた。
「小説ってどうやって書くの?」
「別にやり方なんてないよ。書けばいいんだよ。才能があれば書ける」
「俺も書ける?」
「無理」
あっ、そう。やっぱり。
(10/11.22)
人生が終わった
たとえば仕事で失敗したり、人前で大恥をかいたりした時に、よく「人生終わった」と思うことがある。だけど、人生終わっちゃいないんだ。
莫大な借金抱えたって、ケセラセラの人はいくらもいる。
女にふられたって、世の中にはいい女はいくらでもいる(まぁ、付き合ってくれる女はいないかもしれないが、好きなくとも可能性はゼロではない)。
どんな恥をかこうが、一時のことさ。
だから、何があっても、死ぬまでは人間、生きていけるんだ。
(10/8.28)
8月のある朝のこと
円朝まつりの朝。支度をしながらテレビを見る。
毎度おなじみ東京MXテレビだ。
兼好さんの「だくだく」。爽やかないたずら心が面白い。
それが終わったら。
西●邁氏を中心にした座談番組がはじまった。
座談の趣旨はおおむねこんなところだ。
この時期、大東亜戦争(彼らはこう呼ぶ)を反省する番組が多い。負けたからって反省することはないじゃないか。戦後マスコミがGHQの顔色をうかがい、反省してきた。独立後も反省させられているのはおかしい。
辛かった、苦しかった、ものがなかった、という戦争体験ばかりがとりあげられ、いかに勇敢に戦ったのかを語る番組がない。旧兵士だった人たちに対しても、マスコミが反省をうながす質問ばかりしている。彼らのホントの声に耳を傾けるべきだ。いまこの時期、あえて反省でなく、大東亜戦争を考えることを提案する。
なんかMXテレビじゃなくて、チャンネル桜?
考えることは悪いことじゃない。
しかし、ここで西●邁氏はいくつかの極論を語る。
本土決戦をやっていたら、犠牲者は出したろうが、こんな日本にはなってなかった。
特攻隊にはアジア諸国は敬意を払っている。
あえて極論を述べているんでしょう。テレビ的に面白くするために。
太平洋戦争は世論がはじめた戦争かもしれない。でも、負けるとわかっている戦いに国民を導いたのは国家だ。国家には国民の生活を守る義務があるはずだ。
それをあえて開戦した。アメリカやアジアに対してでなく、日本国民に対して反省すべきではないのか。
靖国神社の集古館でさえ、大東亜戦争(集古館もそう呼ぶ)を分析し、軍事的に敗北の原因を展示してある。
辛かった苦しかったものがなかったという戦争体験ばかり。事実、辛かったと思う。苦しかったでしょう。まだ生きて帰った人はいい。死人に口なしが三百万人以上もいる。
ものはなかったんだ。兵站とか、軍事の専門的なところはわからないが、弾丸なく戦わされた兵士に対しての反省は必要ではないか。
勿論、国家のため、天皇陛下のため、家族のため、アジア解放のため、日本軍兵士は勇敢に戦った。それを誇りに思っている旧兵士の方々もいるだろうし、その方々の話を真摯に聞く姿勢は一方で持つべきである。
ただ戦った兵士には職業軍人と、徴兵された兵士がいる。徴兵された(あるいは戦局を考え志願した)兵士は、職人だったり、芸人だったり、誰かのお父さんだったりしている市民である。そのことを忘れてはいけない。
特攻隊は勇敢だった。しかし、なんで特攻隊なんていう作戦をやらなきゃならなかったのか。爆弾落として帰ってくればいいものを、なんで突っ込まなきゃならないんだ?特攻隊はそもそもはフィリピンレイテの極地的戦術だったはず。それがいつの間にかあたり前の作戦になった。死ぬ気で頑張れ、と、死ね、は違う。それを考えることは反省ではないのか。
勿論勿論、テレビだから。面白く極論を言ってるんだよ。そんなことはわかってる。私は西●邁さんって人がどんな人かは知らない。知り合いの中に知っている人はいて、高潔な立派な人物だと言っているのを聞いた。
多分、知り合いとは、「高潔で立派」の意味が私とは違うんだと思う。反省ばかりのマスコミに、いつまで戦勝国の言いなりになっているんだ、まではわかる。ホントは戦勝国に対しての反省でなく、物資も武器もないのに戦争をはじめた国家が国民に対して反省すべき、特攻なんていう無茶な作戦を命じた軍が兵士に対して反省すべき(大西中将は腹を切ったけど)、という展開にはならないのだろうか。
その先の極論をテレビ的面白さで言っているとしてたら、そんな極論をギャラのために言ってるんだとしたら、あまりにもいじきたなく情けない。
そはんな番組見ないで消しちゃえばいいだけなんだけど。
(10/8.11)
前途多難
一体どうすればいいんだろう。
(10/6.14)
オルガナティブから1ヶ月
1ヶ月はまだ経ってないけど。
反省することは多々ある。
ちょっと他人の感想を。
稲田和弘 自作新作落語 『煩悩一直線』(タイトルあたしが今考えました)現代とからみついた傑作でした。刈ったり、ふくらませたりすれば、どれだけ楽しくなるか。シンプルで、強力な」設定、力強い展開。さすが、作家であります。突然の大声、殴るしぐさが、生で、こわい。
演芸作家の稲田さんの「やくざな生活」。主人公の男がものすごく怖かった。声も大きいし体も大きいし迫力あります。ブログなんかでみられる稲田さんらしさも垣間見られるし。会社勤めの期間が短いのにサラリーマンの心情を表現するのが上手いのはどうしてなんだろう。
稲田和浩『やくざな生活』。
オープニングの場面が、火葬場。妻を亡くした男が、喫煙所で居合わせた男と会話する。
ん、「死」できたかと思いきや、無神経なことを言う男をボコボコにしてしまう、バイオレンスな展開。
その後、さらに会社をリストラされた男。ああもう!て感じで自暴自棄になった、じゃなくて自暴自棄になりたい、そんな男の流浪譚。
なった、じゃなくて、なりたい。「二階ぞめき」じゃなきけど、完全妄想ってわけにもいかない。こちとら大人だ。
お見合いパーティーの描写、その後のアブノーマル体験など、取材の賜物だろうか。
火葬場で男をボコボコにした、そのテンションでもって、リストラ、お見合いパーティー突入といけば、ドライブ感を増したんだろうけど、煩悶、そして理想と現実のズレ、ここら辺へのこだわりがオフ・ビート感でもって作品のトーンになる。
そして自分の理想・妄想と現実のギャップは、サゲまで持続していく。
ようは怖いってことか。
下手って言われるのは納得するが。
落語やって怖いっていうのもなぁ。
(10/4.19)
50歳になってしまった
50歳になってしまった。しかも足元の定まらないまま。困ったものだ。
後半の人生をどういうスタンスで生きてゆくのか。というか、いつ死んでもおかしくない年齢でもあるということだ。その覚悟もしておかなきゃいけない。
山田風太郎「人間臨終図鑑」による50歳で死んだ人は次の通り。
足利義満 過労による病
芭蕉 赤痢(?)
マラー 女刺客により刺殺
西郷隆盛 切腹
ニコライ二世 銃殺
秋山真之 盲腸炎
島木赤彦 胃癌
竹久夢二 肺病
岡本かの子 脳溢血
梅崎春生 肝臓癌
旅に行き、旅先で弟子たちに看取られながら死んだ芭蕉に対し、誰も家族に看取られなかった(自業自得?)夢二。
西郷さんは結構生きたかったらしく、官軍に除名嘆願したり、最後も撃たれて倒れるまで粘りに粘って、とうとう「もう、よか」。生に執着したというよりも天下国家の行く末を見届けたかったんだろう。
「坂の上の雲」の秋山真之、盲腸炎が命取りになる時代だった。箱根に滞在していたため近くに手術の出来る医者がいなかった。いまの医師不足時代にはあるかもしれない。
いよいよ癌も登場。
マラーのうら若き美女の刺客に殺されるっていうのが個人的には理想なのだが。
(10/3.31)