日本縦断 地方私鉄車輛巡り 


かつて日本各地には数多くの地方私鉄が存在し、旅客輸送や貨物輸送の主力となって地方
経済の発展を支えてきました。
しかし、高度経済成長が円熟期を迎えると、自家用車の普及による輸送人員の低下、道路整
備によるトラック輸送の普及、そしてJR貨物輸送合理化による貨車連絡の途絶と、地方の私
鉄を取り巻く経営環境は厳しさを増し始め、この間多くの私鉄が廃止を余儀なくされました。
このページでは1980年代に撮影した地方私鉄の車輛を「日本縦断」のスタイルで巡り、多様な
車輛をご紹介します。写真は走行写真でなく駅構内での車輛スナップや形式写真で構成しまし
た。
※本来全私鉄をご紹介すべきですが、一部私鉄の撮影フィルムが中判サイズのため掲示できません。ご了承ください。


津軽鉄道
Die Zugaru bahn
旧国鉄キハ11の譲渡を受けたキハ2400型。座席につくと背後に座る人の動きが背中にモソモソ伝わってくるのも国鉄時代のままであった。
右は西武鉄道のクハを客車化したナハフ1200型。
1987年5月、五所川原駅で撮影。

弘南鉄道の電車達
Die Kohnan bahn
旧国鉄や大手私鉄から譲渡を受けた雑多な電車の寄せ集めという印象で大変興味深い路線であった。
左は京成、秩父、弘前と渡り歩いてきたモハ105。後ろの108は元京急400型である。
右の電車は旧国鉄モハ11の弘南モハ11型。
1987年5月、大鰐駅にて。

南部縦貫鉄道
Die Nanbu-juhkan bahn
既にご説明するまでも無い有名な南部縦貫鉄道のレールバスである。
東北本線野辺地駅のホームから木造の跨線橋を渡ったところがレールバス乗り場であった。
背後には鉄道防雪林が黒々と続き、冬の気候の厳しさがうかがえた。
キハ101 1987年5月撮影。

同和鉱業小坂鉄道
Kosaka bahn
現在は貨物輸送だけとなってしまったが、小坂鉄道の旅客輸送の最後は、この日本車輛製の気動車キハ2100型で運行されていた。
同型車輛では関東鉄道キハ800型があり、一時期のメーカー主導マスプロ的車種といえる。日車標準型電車にも通ずるおとなしいが飽きの来ないデザインである。
小坂駅 1987年5月。

十和田観光電鉄 
Towada-kanko dentetsu
東急電鉄デハ3800型2輛とクハ3850型1輛が改造の上、十和田観光電鉄へ譲渡された。
写真は改造後東急田園都市線内で試運転する同編成。
1981年11月あざみ野駅。

岩手開発鉄道
Iwate-kaihatsu bahn
岩手開発鉄道も現在では貨物輸送だけとなってしまったが、かつては単行気動車による旅客輸送が行われていた。
新潟鉄工所製の食パンスタイルキハ202。旅行作家宮脇俊三氏はこの気動車のことを「胎児のよう」と例えている。
終点岩手石橋駅 1987年5月撮影。

栗原電鉄
Kurihara-dentetsu
現在は「くりはら田園鉄道」になって気動車が走っているが、かつては好ましい電車達が走っていた。
この電車は栗原電鉄が1955年に軌間762mmから1067mmに改軌された際に新造されたナニワ工機製の車輛。
M151からM153が存在した。車号のMは電動車、Cは制御車の分類である。
ちなみに僕はこの塗色が好きで、なぜか瓶入の「フルーツ牛乳」を連想してしまう。
1987年6月 若柳駅にて撮影。

福島交通 
Hukushima Kotsu
福島駅より飯坂温泉に向かう温泉電車。
今は大手私鉄の譲渡車で占められているが、かつては特色豊かな自社発注の電車達が活躍していた。
写真のモハ1203は戦前製の100型を1955年に日本車輛東京支店で車体延長、台車交換の大改造を経て生まれた。
15m級の短い車体にゆったりとした側窓が特色。
1988年4月 桜水駅にて。

新潟交通 
Niigata Kotsu
今は無き新潟交通の電車。
最期は線区の両端にあたる県庁前〜東関屋、燕〜月潟間が廃止され、残った区間で細々運行されたが長くは続かなかった。
写真は車庫や整備工場のある東関屋駅構内。
雪国らしくラッセル車が留置される。左には小田急からの譲渡された2220型も見える。
1987年6月撮影。

蒲原鉄道 
Kanbara bahn
蒲原鉄道も既に廃止され過去のものとなった。
ここ五泉は磐越西線との連絡駅。JRのホームとは対照的に短い乗り場があり、渋いツートンカラーの電車が客待ちをしていた。
写真のモハ41は創業時からのデ2を1954年に鋼体化改造して生まれた電車。
1987年5月撮影。

松本電鉄 
Matsumoto-dentetsu
上高地、アルプス方面への足となる電車。
ふた昔前までは日車標準型電車がお馴染みであったが、その後東急5000系と入替わった。その5000系も過去のものとなり、時の流れを実感させる。
新島々駅。1988年4月撮影。

長野電鉄 
Nagano-dentetsu
信州の電車、長野電鉄は昔から電車の開発に非常に熱心な私鉄で、特に1950年代以後特急電車やOSカーといった名車を世に送り出した。
写真のモハ1500型は1951年に日本車両で製造された電車。この当時の日本車輛の標準設計で、同型車として富山地方鉄道の14750型がある。
デザインを見ると幕板が広く、屋根が深い。また正面はゆったりとした丸妻型で、僕は最高傑作の電車の一つとして挙げたい。
1987年6月 屋代駅。

上田交通 
Ueda-kotsu
信州の電車3番目は上田交通の電車、モハ5250型。
いうまでもなく別所線の主、丸窓電車である。
今回は丸窓の写真でなく、前面のアップ写真をお目にかける。
小柄な電車であるが、昭和初期の頑固な表情だ。前面裾のアンチクライマーも頑丈そうで、ダンプカーなど突き飛ばす迫力。
1986年8月 上田原車庫。

日立電鉄 
Hitachi-dentetsu
今は元営団地下鉄銀座線の電車で占められた日立電鉄も、1980年代はまだ雑多な電車が健在であった。
写真のモハ12は1948年日立製作所製。
当時の営団銀座線の電車と同設計の電車。
1986年11月常北大田駅にて。

茨城交通 
Ibaragi kotsu
常磐線勝田駅から伸びている茨城交通は比較的地味な存在。
写真の気動車は言うまでもなく旧国鉄キハ11である。3輛のキハ11を譲受けキハ111〜113となった。
塗装変更以外ほとんどキハ11時代のままで、この塗装はパッとしなかったが、後に旧国鉄色に塗られて大変話題になった。
1987年8月勝田駅にて。

銚子電鉄 
Choshi dentetsu
デハ801は1986年に伊予鉄道からやってきたやや大型の電車。
1950年の今はなき帝国車輛製である。
土曜日の昼、下校の小学生が到着した上り電車を取り囲んだ。
1986年11月本銚子駅にて。

鹿島鉄道 
Kashima bahn
常磐線の石岡より出ている非電化私鉄。関東鉄道から分割して子会社となった鉄道。
キハ430型(431、432)は元加越能鉄道のキハ125、126で1957年東急車輛製。
16m級の小柄な気動車だが、製造当時流行の「湘南スタイル」をうまく意匠に取り入れた。
1986年12月日立小川駅にて

筑波鉄道
Tsukuba bahn
常磐線の土浦から、筑波山の麓を抜け、現JR水戸線岩瀬までを結んでいた非電化私鉄。
江若鉄道、北陸鉄道など各地の私鉄から譲渡されてきた雑多な気動車がいて興味深かったが、白眉はこのキハ461。元国鉄のキハ04で遠州鉄道、北陸鉄道と渡り歩いた車。
1987年3月の同鉄道廃止まで姿が見られた。
1987年新土浦にて。

総武流山電鉄
Soubu-nagareyama dentetsu
全長5.7kmのミニ私鉄。
僕が訪ねた際はすでに正面2枚窓の元西武鉄道の系列で占められていた。ご覧の色以外にも黄緑や銀色もあって、目を楽しませてくれた。左に見えるのは東濃鉄道からやってきた1101号。事業用として残っていた。
1986年流山駅。

小湊鉄道 
Kominato bahn
首都圏でローカルムードが満喫できる小湊鉄道。
キハ200型は1961年より日本車輛で製造された自社発注車。20mの堂々とした気動車だ。その後の増備車は側窓がユニット式となっている。前面は親会社京成の赤電に似る。
終点上総中野でJR木原線に接続していた1988年1月撮影。キハ35のサインは正月の「賀正」。

秩父鉄道 
Chichibu bahn
C58が復活運転される以前の秩父鉄道は鉄道愛好者の間では地味な存在であった。電気機関車群に関心が集まっても、電車は話題に上ることも少なかった。
写真は旧型電車の付随車クハニ20型。製造は比較的新しく1953年の日本車輛製。相棒のデハ100型と組んで運行された。運転室の後部窓二つ分が荷物室になっている。塗装は濃いクリーム色と葡萄色。色もまた地味であった。
右に僅かに見えるのは旧小田急1800系、ロクサンの更新車だ。
1986年1月熊谷にて。

上毛電鉄
Jyomo dentetsu
空っ風が吹く赤城山の麓を走る上毛電鉄。ここではデハ101をご紹介する。
写真を撮った時は、東武鉄道の17m級譲渡車が元西武鉄道の車輛を駆逐し始めた頃で、デハ101は事業用車の性格が強かった。
デハ101は1928年川崎車輛製。自社発注車として4輛が作られた。
16m級の2扉車で、その後の窓改造で中桟が無くなり一風変わった印象になった。
1987年12月大胡駅にて。

富士急行  
FUJI KYUKO  
河口湖駅に並んだ1980年代の主力車輛。
左より3100型、元小田急2220系の5700型、3600型。
いずれも過去の車輛となってしまった。
1988年6月撮影。

江ノ島電鉄
Enoshima dentetsu
トンネルを抜け、神社の鳥居を横目に走る2000型。
2000型は3編成あり、新車のデザインがレトロ風電車に向かう前の傑作電車。旧通産省Gデザイン賞受賞。
長谷〜極楽寺間にて1992年1月撮影。

箱根登山鉄道 
Hakone-tozan bahn
箱根鉄道からは新旧電車が並んだ画像をご紹介する。
右は2002年2月に廃車となったモハ1型のトップナンバー。1919年製造のチキ1型を鋼体化改造、台車交換したもの。
モハ1000型は1980年製に登場した斬新な電車。登場から20年経った今も新鮮さを失わない。
写真はスイッチバックの大平台駅へ同時進入する情景。
1992年5月撮影。

伊豆箱根鉄道
Izu-hakone bahn
2線区ある伊豆箱根鉄道のうち、小田原から出ていた大雄山線からご紹介する。
「小田原駅」で思い出すのは、東海道本線の横に止まっていた旧西武カラーの3輛編成だ。
この線は新造ステンレスカーが登場するまで、元ゲタ電17m車の天下であった。
ここの線の車輛の整備は非常によく、写真のような旧型車も検査出場後は床下・台車まで美しく化粧直しされていた。だからこそ譲渡車を長らく使ってこられたのであろう。
写真はモハ64。国鉄クハ16を電動車化したもの。1990年2月撮影。

伊豆急行
Izu-kyuko
伊豆急開業時の電車100系も人気が高い名車であったが、このリゾート21も同鉄道の意気込みが感じられた車輛だ。写真は第2次車竣工直後、東急線内で運行された「田園都市線開通20周年記念」列車。
1986年6月東急大井町線自由が丘駅付近。

岳南鉄道  
Gakunan bahn
製紙工場が並ぶ工業地帯を行く岳南鉄道。写真は日車標準型の代替として1981年に導入された元東急電鉄5000系。この頃東急5000系は先頭車が不足しており、譲渡にあたっては中間車を先頭化改造して対応している。改造車といっても先頭形状はオリジナルと見分けがつかない。この岳南5000系も既に第一線を退いてしまった。
1987年8月岳南江尾駅。

静岡鉄道 
Shizuoka bahn
清水と静岡の都市間輸送に健闘する静岡鉄道。この鉄道は古くより車輛の研究開発に熱心で、また、鋼製車100型、300型などを自社工場で製造するほどの技術力があった。
この1000系は東急電鉄7200系に準じた設計で1973年より東急車輛で製造されたもの。正面のデザインは30年を経過した今も古さを感じさせない。
新清水駅にて1988年1月撮影。

大井川鉄道 
Oigawa bahn
蒸気機関車や各種譲渡電車が走る大井川鉄道。ここではちょっと違う切り口からというわけで、井川線の2軸DLをご紹介する。
左が1936年より製造のタイプでDB1〜7が存在した、右は戦後1952年製でDB8、9の2輛がいた。共に8t級のKATO WARKS製。軌間1067mmというより762mmの雰囲気である。
川根両国工場内、1977年7月撮影。

遠州鉄道 
Enshu bahn
遠州鉄道も静岡鉄道同様、自社発注車が活躍する私鉄だ。「遠鉄スタイル」を確立し、正面2枚窓の電車を増備してきた。このモハ32は1960年日本車輛製。それまでの車体長17mを18mとした。
1988年1月、西鹿島にて。

豊橋鉄道 
Toyohashi bahn
この頃のまでの豊橋鉄道は様々な譲渡電車が走る楽しい私鉄であった。
このモ1700型は元西武鉄道のモハ200型で、1941年梅鉢鉄工製。スッキリと均整の取れた秀逸な設計だ。
1987年12月、三河田原駅。

三岐鉄道 
Sangi bahn
元西武鉄道の電車が幅を利かせる三岐鉄道。このクハ1601+クモハ600型も西武451系を譲受けたもの。
正面の車号が通常右上が多い中、この左上というのは珍しく、一瞬「反転写真?」と思ってしまう。
1987年12月保々駅。

富山地方鉄道
Toyama-chihou bahn
富山を中心にネットワークを形成する富山地鉄。今では西武のレッドアローや京阪のテレビカーを譲り受けているが、それ以前の同社は古くより意欲的な自社発注電車を投入してきた。
左のモハ14760型は1979年登場のエース。風格さえ感じられる快作だ。
右のモハ14750型は1948年製の運輸省規格型電車。前出の長野電鉄1500型と同設計である。ただこちらは台車を交換したり、前照灯が2個だったりと、長野の車とはだいぶ印象が違う。
1987年11月電鉄富山駅にて。

黒部峡谷鉄道 
Kurobe-kyoukoku bahn
いまさら説明するまでもなく黒部峡谷へ向かう軌間762mmの電化私鉄である。
このED型は18号機以後のグループで、重量15tクラスの日立製作所製。
台車周りは青みがかった灰色である。
1987年11月宇奈月駅。

北陸鉄道 
Hokuriku bahn
かつての北陸鉄道は金沢を中心に松金線、粟津線、片山津線、加南線、金石線、能登線、能美線、金名線、小松線と多くの路線を有していたが、この頃は石川線、浅野川線を有するだけになっていた。
ここでは浅野川線の小型電車をご紹介する。
この路線の電車は実に多彩で、模型の自由形コレクションを見るようであった。
左のモハ3563は1937年木南製。5回の改番と種々改造を受けて生き延びてきた電車。
右のモハ3501は1961年製。当初より車内放送と暖房装置がついていた。
二色塗装の魅力を地でいく様な電車たちだ。二色塗り万歳!
内灘駅1987年11月撮影。

京福電気鉄道福井支社 
Keihuku-denki bahn Hukui filiale
京福福井支社も不採算路線の縮小が進み、この頃は三国芦原線、越前本線、永平寺線の3路線になっていた。
写真は越前本線東古市駅。永平寺線の分岐駅だ。
左の電車が永平寺行の元阪神の電車。中央はモハ241型242で、同社京都本社叡山線デナ11型を入線後、車体新造を受けたもの。右は阪神の譲渡車。
同線は事故による運休を経て、2003年に「えちぜん鉄道」として再出発した。将来に期待したい。
1987年11月東古市駅(今の永平寺口駅)

福井鉄道 
Hukui bahn
福井〜武生間でJR北陸本線と競い合う福井鉄道。典型的なインターアーバンである。
このモハ200型は1960年と1962年に急行用として新造された看板電車。写真ではわかりにくいが2車体連接構造である。福井駅付近では、こういう電車が併用軌道を快走し、実に楽しい情景が展開する。
福井駅前にて1987年11月撮影。

近江鉄道 
Ohmi bahn
モハ2と組むクハ1222。湘南型から端を発したと思われる正面2枚窓は、角ばったオデコや腰高の窓配置と相俟って、独特な印象を与える。これは同鉄道一時期の標準型で「近江型」といわれている。
このグループは廃車発生品の台車、機器類に自社工場製造の車体を組み合わせた電車であるが、このクハ1222は1966年の完全新造車である。
八日市駅 1987年12月。

叡山電鉄
Eizan dentetsu
京都の奥座敷、鞍馬へ向かう電車である。
今は新車に置き換わってしまったが、鞍馬の電車はやはりこのデナ21型がよかった。
同線伝統のニコニコ窓とクリームと緑の二色塗りは沿線の町並みや緑豊かな山並みにしっくり溶け込んでいた。
デナ23は1929年京都電燈が導入した電車である。
1985年9月鞍馬駅。

水間鉄道 
Mizuma bahn
南海電車の貝塚駅から出ている水間鉄道。
この当時は南海のモハ1200型を譲り受けたモハ500型が主流であった。
古い車輛にクリーム色を基調とした新塗装は少々似合わなかったが、重々しいモーター音を響かせて住宅地を走り抜けていた。
1987年11月貝塚駅にて。

野上電鉄 
Nogami dentetsu
野上電鉄は各私鉄からの小型譲渡車が健気に走る味わい深い私鉄であった。
経営危機を乗り越え何とか頑張ってきたが、会社の解散という悲しい結末で廃線となった。
モハ24はもともと阪急の1型であるが、1961年に正面5枚窓の阪神600型の車体に交換されたもの。車体は1924年藤永田造船所製である。
1987年11月動木駅付近。

紀州鉄道 
Kishuu bahn
紀州のミニ私鉄である。
キハ603はキハ604と共に大分交通耶馬渓線からやって来た気動車。1960年の新潟鉄工所製である。
写真は廃止された終点日高川駅で、当時現役とはいえ既に駅舎もホームもボロボロであった。
1987年11月撮影。

別府鉄道 
Behu bahn
別府鉄道廃止まで名物であったのがこの2軸客車ハフ7。
1926年の汽車会社製である。木造車体であるが、外板に鋼板が打ち付けられている。窓は元々一段下降であったが、中桟入りの下段上昇式に改造されている。またW屋根を見ると、トルペードベンチレーターは撤去され、屋根布はキャンバスでなくビニールシート状のものが張られている。このあたりに半世紀以上にわたって使ってきた苦労がにじむ。
1984年撮影。

片上鉄道 
Katakami bahn
港と備前の山間を結んで硫化鉄鉱を運んでいた同和鉱業片上鉄道。
貨物列車あり、ブルートレインあり、古典的な気動車ありの貴重な非電化私鉄であった。
写真は終点の柵原駅。左側が精錬所の大工場だ。荷積みの無蓋貨車が見え、隣にオープンデッキの客車が並ぶ。
気動車キハ802は801と共に系列の小坂鉄道より転入した車輛だ。
1987年9月撮影。

下津井電鉄 
Shimotsui dentetsu
今は無き軌間762mmの電化私鉄。
本四連絡橋の開業で観光客増が期待され、新車まで導入して備えたがその努力も空しく廃止された。
左のクハ24+モハ103は1961年ナニワ工機製、右のモハ1001は1954年帝国車輛製のクハ23を1972年に電動車化したもの。
1987年9月下津井駅にて撮影。

水島臨海鉄道 
Mizushima-rinkai bahn
倉敷の臨海工業地帯を行く水島臨海鉄道である。
写真のキハ53型は元国鉄キハ10型である。1970年代前半までの同鉄道の主力であった元国鉄07型や夕張鉄道の譲渡車の置換え用としてやってきた車輛である。
1987年9月水島駅にて。

一畑電気鉄道 
Ichibata denki bahn
山陰地方で孤軍奮闘する一畑電気鉄道。
写真の電車はモハ1型。同電鉄の電化に際し1927年に導入された電車である。
大社線大社駅付近1988年5月撮影。

高松琴平電鉄
Takamatsu-kotohira dentetsu
四国高松で路線網を形成する高松琴平電鉄。
写真の3000型300号は1926年汽車会社製の生え抜き。車体長14m級の小型車である。
もともと両端の側扉の戸袋窓は丸窓であった。
この電鉄は電車の保守がすばらしく、今橋の車庫で間近に電車を観察したが、手間を惜しまず整備されているのがよくわかった。
1987年12月瓦町駅にて。

伊予鉄道
Iyo bahn
同じ四国でもこちらは松山の電車である。
3つの路線と路面電車網を持ち、伊予地方の大事な足となっている。
この頃、この線には各私鉄より譲渡を受けた電車が第2の奉公をしていたが、中央運転台に改造されて、何となくみんな伊予鉄の顔付きになっているのが面白かった。
写真のモハ134は京王電鉄デハ1403を譲渡されて改造を受けた電車である。
岡田駅1987年12月撮影。

熊本電気鉄道
Kumamoto denki bahn
九州の電化私鉄といえば熊本電鉄。
ここの5000型は、全国各地で活躍した東急5000系の譲渡車の中で、最も東急時代の雰囲気を残していた。
ワンマン運転のためバックミラーを装備したり、単行運転に備えて平妻の後部に運転台を新設したりと手を加えている。
北熊本駅にて1988年7月撮影。

島原鉄道
Shimabara bahn
九州に残る長大非電化私鉄である。
旧国鉄乗入れ用の冷房付気動車を用意し、急行に併結して走らせるなど旅客サービスに力を入れてきた。
風光明媚なムツゴロウの有明海に沿って走るが、雲仙普賢岳の噴火では大打撃を受けた。
写真のキハ2017は旧国鉄キハ20の譲渡車で、冷房装置を加え、座席も柄物に張替えて白い枕カバーを付けるといった改造を加えている。
1988年7月古部駅。



以上、北から南まで各地の地方私鉄よりご紹介いたしました。


ENDE


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