平渓線を行く 

Die Ping−hsi Linie


平渓線は台北近郊の総延長12.9kmのローカル線。
 起点は宜蘭線の三貂嶺站。ここより基隆河に沿って山間へと進んでいく。かつてこの鉄道が
石炭輸送が目的で敷設されたことから、沿線には炭鉱が点在していたが、近年は石炭産業が
衰微し、現在は閉山に追い込まれている。
 貨物輸送は廃れたものの、沿線には緑が豊富で、また、大華站付近には十分瀑布もあり、
休日ともなれば旅情を求め平渓線を訪ねる利用客が多い。
 このコーナーではまだ藍色気動車が活躍していた時代と、新型のステンレス気動車が登場し
た後の情景を織り交ぜてご紹介する。

撮影機材 
  M6 : Leica M6 SUMMICRON M50mmF2.0 SNAPSHOT-SKOPAR 25mmF4.0
  F3 : Nikon F3 50mmF2.0 24mmF2.8
  Nm : Nikon-mini 28mm F3.5



宜蘭線瑞芳が始発の平渓線気動車
平渓線の起点駅は三貂嶺であるが、列車は宜蘭線の瑞芳站か、侯(同)站から出ている。
三貂嶺は渓流に面した小駅であるが、侯()は気動車の基地があり、また瑞芳は比較的大きな町である。
写真は瑞芳站で折り返しの時刻まで一休みする藍色気動車。
1996年12月撮影。Nm
※侯(石同)の後ろの字は「石偏に同」ですが、ワープロに該当する漢字がないためこのような表記といたします。

宜蘭線を下る
瑞芳を出た平渓線方面行きが宜蘭線を下ってきた。
気動車はトンネルを出て侯()に差し掛かる。
2002年5月撮影。M6+50mm

三貂嶺の信号所を横目に下り気動車到着
宜蘭線から平渓線が分岐する三貂嶺站。
左手が山で、右手に基隆河が流れる。作家宮脇俊三氏が「山陰本線の保津峡」と例えた風光明媚な景観である。
ご覧のコンクリート造の古風な信号所も藍色気動車とともに過去の思い出となった。
1996年12月。F3+24mm

平渓線に入る
三貂嶺站を発車した列車は、宜蘭線から分岐し、単線区間に入る。
線路はすぐに基隆河を渡る。
写真は1996年の撮影で、この頃、橋は鉄橋であったが、後にコンクリート橋へと架け替えられた。
橋を渡れば線路は右へカーブし、河に沿って進む。
Nm

車長座位
気動車は半室運転台なので、運転台の向かいは座席になっている。
ここは車長、つまり車掌の指定座席となっている。
車掌が手にしているのは車内運賃精算で使う補充券。
1996年12月。F3+24mm

渓流に沿って
上り方面を振り返る。
ご覧のように、河へ落ち込む崖を少しばかり切り込んだところに線路が敷設してある。
バラストの際はすぐに崖である。
2002年5月。M6+50mm

藍色気動車の車内風景
この日はどんよりとした曇天であった。
車窓間際まで木々や崖が迫るので、車内は薄暗かった。
時折気動車は素掘りのトンネルを抜けて奥へ奥へと進んだ。
1996年12月。Nm

卵のバケツ
最初の停留所大華で農家のおじさんが、鶏卵の入ったブリキのバケツを持ち込んだ。
今朝産みたての卵であろうことは容易に察せられた。
1996年12月。Nm

十分站到着
十分は平渓線の途中にある主要駅である。
この頃は周囲には重光、新平渓の炭鉱があり、構内の側線には石炭車が留置されていた。
ここでたいてい列車交換をするダイヤグラムになっている。
1996年12月。Nm

十分站の上り列車
島ホームに立っていると上り列車がやってきた。
土曜日の午前中であったので、台北方面へ向かうとおぼしき乗客が多かった。
十分站の駅舎はコンクリート造である。その駅舎に向かって構内踏切が延びているのも懐かしい。
1996年12月。Nm

新型気動車
ステンレス車体の新型45DR1000系気動車。
日本車輛製の冷房付である。
左手に側線の腕木式信号機が見える。
十分站、2002年5月。M6+50mm

十分站 上り方の情景
その十分站の上り方に変わった情景が広がる。
そこにはわずかな商店が軒を並べる村の商店街があり、平渓線の線路は、大胆にも、その商店街の真ん中を走っているのである。
1996年12月。Nm

八百屋の軒をかすめるように
気動車は商店の店先をかすめて通り抜ける。
ここではこれが日常の情景の一コマなのである。
1996年12月。F3+50mm (TMS1997-5)

八百屋の店先
八百屋には南国台湾らしく、豊富な果物が並んでいた。
野菜は日本で見慣れたものもあれば、普段目にしないものもある。
1996年12月。 F3+24mm (TMS1997-5)

樹木をくぐり抜けて
列車は1,2時間に上下各1本程度。
線路際では、買い物のおばさんが立ち話しをしている。
学校帰りの学童が線路を跨ぎ、家路に着く。
木陰で食堂の女性がしゃがみ込み食器を洗っている。どこからかラジオの歌謡曲が聞こえてくる。
そんな静けさをかき消すように気動車が地響きを立てて通り過ぎる。
1996年12月。F3+50mm (TMS1997-5)

気動車が変わっても樹木は変わらず
5年半ぶりに十分を訪ねると、情景は確実に変化していた。
建ち並ぶ商店に手が加わり、道と線路を仕切る植栽が所々に置かれ、軌道の枕木は木製からPCへ替わっていた。
2002年5月。M6+50mm

樹木の下で
夕食の支度まで時間があるのか、おばさんたちが樹の下で立ち話をしている。
そこへ何やらトラックが到着した。
運転手のおじさんは、やおら荷台に飛び乗ると、積んであった容器の蓋を開けた。
開けたと同時に湯気が立ち上る。
何だろうと見ていると、傍らの籠から鶏をつかみ、ごそごそとやっている。鶏の騒ぎ方から、ただならぬ状況であるようだ。
周囲に羽が散って、おじさんは釜の中に鶏を入れたようである。
ほんの数分で、だらりとした丸裸の鶏が引上げられ、待っていたおばさんの手に渡っていった。
2002年5月。M6+25mm

再び列車で進む
十分を過ぎると車窓はいっそう鄙びたようだ。
相変わらず基隆河の流れが沿っている。
1996年12月。Nm

車内補充券
車内運賃精算の補充券。
台湾では「補價票」といい、右側の欄に乗車日、区間などを書き込む。
左側には、縦に0から9まで数字が4列並ぶ。それが一から千の位を示し、短冊状に切ってある。宮脇俊三氏は「両端がつながったイカ刺し状」と比喩した。
車掌は必要事項を書込み、運賃に該当する数字のところで、この短冊を千切る仕掛けである。
今は携帯式補充券発行機の登場で、この補充券も過去のものとなった。
1996年12月。Nm

終点 菁桐站
終着駅菁桐である。
かつて周囲で石炭の掘削が盛んであったので、構内には積込施設も残っていた。
駅舎は日本統治時代の木造建築だ。
周囲はひっそりと静まり返り、することもないので今来た気動車で引き返した。
1996年12月。Nm




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